日大フェニックス観戦記

人間科学専攻  11期生  林 一成

 10月4日の日本大学創立記念日、私たち眞邉ゼミ一行は日大フェニックスの試合を観戦に行きました。フェニックスはご周知のとおり、アメリカンフットボールの名門で、1980年代は東の日大、西の関学と言われ数々の名勝負をその歴史に刻んできましたが、ここ10数年は成績が低迷し、もう復活はないのではないかと言う声まで囁かれていました。
 しかし、監督が内田監督に代わり、フェニックスOBで元オンワードオークスの須永恭通さんがオフェンスのコーチに就任すると、フェニックスの名の通り復活の兆しが見えてきました。それもそのはず、須永コーチは日本フットボール界のカリスマであり、さらに私たちとともに眞邉ゼミで学び行動分析学をコーチングに活かしています。特に今年は、完全復活を予感させる試合内容で、多くの同窓生やファンがスタンドに戻ってきているという噂です。そこで、私たち一行は午前中に面接ゼミを切り上げて、日大フェニックスVS関東学院大ハリケーンズの観戦に一路アミノバイタルフィールドへと向かったのです。
 16:30の開始30分前に現地に着くと、スタンドには既に多くの観客がいましたが、お目当てのチアガールの姿が見えません。

 それもそのはず、今回の試合は関東Bブロックの予選であり、フェニックスにとってBブロック優勝はほんの通過点とのことでした。そんなチアガールのあてが外れて消沈していると、大阪から来られたという見ず知らず方から、お土産の「みたらし小餅」をいただきました。これぞ日大パワー!ごちそうさまです!思わぬお土産に気を取り直したところで、いよいよ試合開始です。開始5分後に39番の選手が抜け出しタッチダウンが成功、6点先取。43番の選手がフリーキックを決め1点追加。その後、相手チームのフィールドゴールで3点返されましたが、再度タッチダウンとフリーキックで得点を追加し、14:3で第1クオーター終了です。

 第2クオ―ターが開始して10分、10番から85番の選手への見事なパスプレイが決まり、スタンドが沸きます。そして、攻撃権が変わりオフェンス陣が戻ると、須永コーチが盛んに選手へ激を飛ばします。

 その姿をPressの許可証を付けたカメラマンが撮影し、さらにその様子をスタンドから私たち一行が見守ることになります。そうです、このカメラマンこそ眞邉教授。先生はカメラを手にするとカメラマンMに変身するのです!

 その後の第3、第4クオ―ターもランプレイとパスプレイで得点を重ね、56:6で試合終了となりました。対戦した選手間の挨拶が終わると選手とコーチが一同にスタンドへ深々と頭を垂れると、観客は惜しみない拍手を贈ります。そして、選手達が退場口に向かい踵を返すと、スタンドの一人が日大校歌を歌い始めると、やがて私も含め結構な人数での合唱となりました。おそらく校歌を歌われていたみなさんは、学生時代を懐かしんでいたことでしょう。できれば、クオーター間に「花の精鋭」を歌い、選手のみなさんを応援したかったと思ったのは、私だけではなかったと思います。

 学部を卒業して20年以上経ちますが、久しぶりに感動したスポーツ観戦となりました。フェニックス選手およびスタッフ関係者のみなさん、感動をありがとうございました。今年は甲子園ボール優勝です!

リンク:眞邉研究室のホームページ〜日大フェニックス
http://atlantic.gssc.nihon-u.ac.jp/~manabe/Phoenix/Phoenix.htm





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