“The Question Is the Story Itself.”
「問題は物語それ自体」

文化情報専攻  宮澤 由江

 “The Question Is the Story Itself.” 「問題は物語それ自体」―これは私が修士論文で取り上げたポール・オースターの『ニューヨーク三部作』からの引用です。オースターはこれを言葉と現実の物事の関係を表わすために使っていますが、この言葉は私の論文後記にも相応しいように思います。なぜなら今、論文に関わっていた時期を振り返ってみると、私にとっての論文の執筆とは結論を論じること以上に、その過程に某かの意味があったと感じられるからです。

 修士論文のテーマとして文学と絵画を同じ系譜として扱ってみようと考えた時、実は学術的な根拠は何もありませんでした。それは私の「第六感」だけで決定したと言えます。取り上げようとした小説と絵画に違う角度から刺激された私は、双方を同時に考えるといっそう明快に理解できるのではと思ったのです。

 このように書くと、スムーズにリサーチや執筆がスタートしたように見えますが、実際はとんでもありません。そもそものスタートが「勘」なのですから、足元のぬかるんだ泥道に幅木を渡してその上を歩いているようなものです。さらには、私がその「勘」を動員したのは2年次になる直前ですから、アイドリング運転の長すぎるゼミ生で、担当の松岡先生にはずいぶんご心配をおかけしたと思います。

 とにかく自分の第六感を確信に変えるため、また執筆に梃子を入れるために是が非でもその絵を見なければと、ニューヨークに赴きました。おりしも、松岡先生が研究のため3ヶ月間のニューヨーク滞在中だったのはとてもラッキーでした。美術館通いはもちろんのこと、様々なニューヨーク事情をご一緒に体験させていただき、苦しかった論文執筆中での一番楽しい思い出です。

 しかし現地では「本物を見たらきっと書くべきことがすっきり見える」と思っていたのは実に単純すぎる考えだったことに気付かされました。当の絵画を目の前にすると、そこには「自分の考えを確固とする」には不可能なほど、多くの思考があふれていたのですから。帰国後、膨大な量の断片的なメモが部屋中、PC中に溢れている状態になってしまいました。文章の散漫さを何度も指摘され、引き締めてゆく作業は私にとって本当にたいへんでした。書いて、消して、入れ替えて、また書いては消す… 秋口には原稿は混乱の度を増し、中間発表のための資料や発表原稿を用意する作業の中で、やっと自分の書いているものの向かう先が見えてきたような次第でした。

 時間内にベストは尽くしたつもりですが、正本を提出した今でも、まだ手を入れたい衝動に駆られます。しかしそう思う度に感じるのは、この論文はある時点での私の思考であり、私の思考はあれからまた少しずつ先に進んでいるのだということです。  この原稿は書き上げた修士論文が保存されているPCで書いています。私の書いた論文はこの小さなハードディスク上に存在しており、またそのコピーが大学院に1部あります。でもこの論文の真の意味とは、その書かれたものだけではなく、私がそれを書くために得た知識であり、引き伸ばされた感性であり、また深められた探究心にあると思います。



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