人生が180度変わった学生生活
国際情報専攻 金子 光浩
2006年11月4日、私は仙台にいた。階戸先生にお会いするためだった。
当時の私は、その時の自分が嫌いでなんとかして自分の殻を破りたかった。しかし、なかなかそのきっかけが掴めないでいた。
そんな時、わが母校、日本大学に通信制大学院があることを知り、とにかく話が聞きたくて仙台に飛んだのだった。
初日は残念ながらお会いする機会がなかった。もちろん、司会席にいらしたのは知っていたが、いざとなるとなかなか足が前に出ないものである。もしかすると、このまま何もできずに2日間過ぎてしまうのだろうか。そんな不安が頭をよぎった。
しかし、転機はすぐに訪れた。たまたまエレベーターで一緒になった花岡宏伸さん・森田喜芳さん(お二人とも経営研究会のOBです)に階戸先生をご紹介いただき、翌日に名刺交換させていただくことができた。
指導教員と直接連絡を取ることが必須(私はそう思い込んでいた)ということで、これでまず1つ、大学院入院の条件をクリアしたと思ったのもつかの間。その年の12月にノロウイルスにかかり、さらに翌年2月初頭には胃潰瘍で入院(こっちに入院か!)してしまい、2月17日の入試に果たして間に合うかどうかと微妙な状態であった(本当はあまりにも吐血が激しく、生命の危険があって、それどころではなかったようだ。知らないのはあくまでも本人のみ。幸せなものである)。
無事手術が成功した私は、主治医に「なんとか2月16日までには退院させてほしい。大事な入試がある。」と嘆願した。当時38歳、主治医は子供の入試と思ったようだが、実は私は独身。子供ではなく自分の入試と知ると、「わかりました。2月12日に退院予定で行きましょう。がんばってくださいね。」と、あたたかい激励までいただいた。結果、2月12日に無事退院し、1週間の在宅待機があったので、ゆっくりと入試準備に取り掛かることができた。
無事、大学院に入ったが、それから先は日々の業務と学業との両立の戦いであった。
時間をやりくりすることが苦手な私は、今まで予定など立てたことがなかった。しかし、それでは2年で修了できるかどうかもわからない。いままでだったらレポートは締め切り前日に「滑り込みセーフ」といった形でやっていただろう。しかし、1年目・2年目ともに、レポートは締め切り1ヶ月前にはすべて書き上げていた自分がいた。今までの自分では、全くありえなかったことだ。
大学院に入って半年ほど過ぎたある日、会社で人事異動があり、どちらかといえば学校の勉強に近い部署に配属になった。私は会社ではあまり大学院に通っていることは公言していなかった(今では有名になってしまったが)ので、「これは勉強をやった成果なのかもしれない」と自分の中で思いつつ、勉強と仕事が並行してできる環境になっていった。
そして本日(2月15日)、修士論文を無事投函し、この2年間の学生生活が終わることをパソコンの前で噛み締めている。
振り返れば、大学院に入る前と今とでは自分も変わったし、周りの環境も大きく変わった。なにより大切なものは、一緒に学んだ7人の同志と先輩、はるか昔から知り合いだったような錯覚に陥るほど、彼らの存在は大きく、また共に成長できたと感謝している。
そして何よりもお世話になった階戸照雄先生に、この場を借りて深く御礼申し上げたい。