何故だろう?どうしよう?!

人間科学専攻  元木 芳子

 「何故だろう?」そんな疑問から始まった修士生活。2年で5つの実験をして修士論文を書き上げた。しかしそのとき感じたのは「どうしたら改善できるだろう?」という新たな疑問だった。「何故だろう?」の最初の疑問は修士論文を書き上げたとき、達成感よりも、解明するための入り口に立ったに過ぎないことを思い知らされる結果となった。「どうしたら改善できるか?」、外国語教育においては、同じ授業を受けていても成績が向上する学生と、そうではない学生が存在する。学生側にも要因があるのではないか、という点から研究を始めた。

 社会人でもあるため、仕事では大きなプロジェクトをいくつも抱え、実母の入院、手術、入院、手術その結果、逝ってしまい、引き続き20年近く同居してきた夫の父が、また入院、手術、入院で亡くなるという大きな負担を抱えつつ、コンピュータに向かっていた。

 私の仕事では、博士号の学位を取ることは特にメリットがあるわけではない。学位を取ったからといって待遇が変わるわけでもない。じゃあ、何のために研究してきたのか、と問われれば、「知りたかったから」としか答えようがない。在籍していることで、自分自身を縛り付けておかなければ、日常の生活に流され、「知りたいこと」を研究し続けることが私には困難であった。「趣味?」と問われれば、そうかもしれない。「知りたいこと」を「知る」ために、足りない時間をさらに絞り出して、「どうしたら知ることができるか」を考え、実験し、結果を検討し、考察していく。確かに「趣味」かもしれないが、私にとっては有意義な「趣味」だった。いつの間にか、「知る」ためには、何を調査すべきか、その方法はどうするのか、ということを考えるのが楽しくなっていた。

 時間が足りなくなって休学し、3年で修了するべきところ、5年もかかってしまった。修士から数えると、7年在学していたことになる。この7年間は、「長かった」とも思えるし、「もう終わってしまった」とも思える時間である。

 今、博士論文を完成したところで思うことは、「やはり、まだ入り口に立っただけ」ということである。研究には終わりはない。一つわかれば、次の疑問がわく。次の疑問を解いても、また次の疑問が出てくる。

 日大を離れて、研究を続けられるかどうかは、仕事上、不安なところではあるが、研究をするための方法論は身につけられたと思う。できれば、日常の仕事の中でもその方法論を応用して、隙を見つけて、細々とでも研究を続けていきたいと考えている。

 博士論文を書き上げられたのは、もちろん日大の先生方のご指導があってできたものである。しかし7年間も自由に「趣味」を黙認し、協力し、応援してくれた家族には大変感謝している。家族の協力がなければ、博士論文を書き上げられなかったと思う。例えば「一人の時間を確保させてくれるために」遅くまで飲んで帰ってきてくれるとか?一番理解してくれた家族にはほんとうに「ありがとう」と言いたい。



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