夢中説夢ー私の中国報告(7)
「天下没有免費的午餐」−世の中、ただ飯はない

博士後期課程1期生 山本忠士

はじめに
 中国の東北部、吉林省の四平市に来てから、間もなく3年になる。月並みな表現だが、月日のたつのは本当に早いと思う。
 生活に慣れてしまうと、最初のころの新鮮な驚きや違和感も当たり前のような風景になってしまう。例えば、食事の後、食べ残した料理を持ち帰る「打包」に抵抗感があった。しかし、今はない。おいしかった料理は持ち帰り、温め直していただく。ここ1年は単身赴任だったから、料理をしない手間が省けるということもある。
 勤務先の吉林師範大学は、2003年に四平師範学院から吉林師範大学に校名変更をした。省内の師範系高等教育機関の中には、もっと歴史の古い学校もあったから、省の名を冠した師範大学に名称変更できたのは、それだけ過去の実績が評価されたからであろう。大学に昇格する前の2003年の吉林省内の大学評価では、ベスト8のなかで、学院(カレッジ)として唯一7位にランクされていたことでもそれは理解できる。
日本と同じように中国も少子高齢化が進んでおり、大学間の競争も結構激しくなっている。各種の大学評価も発表されて、学生たちの関心も高い。評価が高くなれば、就職にもよい影響を及ぼすからである。
 印象深かったのは、最初の授業での1年生との出会いであった。「軍訓」(軍事訓練)の成果発表会で好成績を納めたことを知っていたので、最初の授業でその努力を下手な中国語でほめたところ、教室が学生の歓声ではじけた。それで、わたしと学生の垣根が一気にふっとんだように感じた。
 生まれて始めて生身の日本人と会った、という学生も結構いた。もの珍しそうに眺められると、日中の関係は歴史的にも近いと思っていたのに、日本も案外存在感がないんだな、と意外に思ってしまう。彼らとてどこかで日本人を見ているはずだと思うのだが、日本語がわからないから日本人を韓国人と区別するのは難しいのかも知れない。事実、私が外国人らしいと分かると、決まって「韓国人か」と聞かれる。「日本人か」、と聞かれることはなかった。
 何はともあれ、生身の日本人として学生と交流し、日本人も中国人と変わらないんだな、と思ってもらえれば、私が中国に来た意味もあるとおもって、やってきた。
 中国東北部は、かつては五族協和を掲げた「満州国」(現在の中国では「偽満洲国」と呼びならわしている)の地であり、この五族の中には漢族、朝鮮族、満族、蒙古族と共に「日本族」も含まれていた。100万を超す日本人が居住し、「満州国」全体で300を超す「神社」も存在したことを知る人は、少ない。私の住む四平市にも、かつては「四平神社」があったが、今ではその片鱗すら見い出し得ない。
 戦後も60年余が過ぎ、日本人にとってはかつての「日中戦争」は、記憶のかなたにあるが、こちらでは昨日の出来事のごとのように、テレビの戦争ドラマが歴史の風化を食い止める役割を果たしている。一人ひとりの兵隊の鉄砲にくくりつけられた「日の丸」は、戦った相手が日本軍であったことの象徴である。例えば、戦争映画で一人ひとりの兵隊の鉄砲にその国の国旗が取り付けられているドラマを見ることはないが、こちらのドラマの中では、しばしばそんな日本兵の映像をみかける。そんな映像にも、驚きを感じなくなった。 昨年、改革開放30年の記念行事が行われたが、経済成長の著しい中国は、高等教育の面でも高度成長を成し遂げ、高等教育機関の学生数は、2千万人を超えるまでになった。しかし、中国の経済成長をもってしても、これだけの学生たちに「就業」の機会を与えることは容易ではない。まして、昨年のアメリカ発の金融危機によって、厳しい受験競争を潜り抜けてきた学生たちにとって、就職問題が先行き不透明になってきた。
 真面目で、よく勉強する学生たちを見ていると、これまでの努力が報われないのではないか気になるが、この傾向は当分続きそうである。学生たちも2年生の後半になると、就職問題を意識し、3年生になる現実としての就職問題にかなり真剣になる。4年生は、もう完全に就職モードになって、企業への実習や職探しに出かけ、大半の学生は大学には来なくなる。就職率のよいことで知られる日本語学科も、今年は相当に苦戦しているようだ。 それでも学生たちは、きわめて冷静に現実を受け止め、難関に対処しようとしている。

「天下没有免費的午餐」
 2年生の日本語学科の「日語写作」では、毎回、日本語で課題作文を書かせるようしにしている。2クラス73名の作文を添削し、翌週、本人に返却する。何を言いたいか分からない文章を前に考え込むこともある。時間的には、授業時間の数倍の時間がかかるから、結構、疲れる。しかし、わずか2年に満たない学習時間なのに、びっくりするように達者な文章を書く学生がいたり、はっとさせられるような内容の文章を書く学生もいる。その楽しさがあるから、添削はやめられない。
 5月の連休明けに「私の好きな言葉」と題する課題を出した。大体30分ぐらいの時間を与えて、400字くらいにまとめる。
 作文の中で、「わたしが一番好きな言葉は、世の中にただの午餐はない(天下没有免費的午餐)です」と書いた女子学生がいた。実は、自分の好きな言葉といえば、もう少し違う言葉が出てくるのではないかと予想していた。
 それだけに、私たちはレストランに入ってご飯を食べたら、必ずお金を払わなければならない。ただでご飯を食べることはできない、という当たり前のことを例にして、誰でも努力しなければ欲しいものが手に入らないのだ、と実に淡々とした筆致でこの課題作文を書き上げていた。短い時間内でまとめたものであるから、文法的に多少の誤りもあったが、平易な文章のなかに、20歳の学生の、伸びやかなそれでいて地に足のついた考えが表現されていて、感心させられた。
 彼女はまた、もう一つの好きなことばとして「簡単明快」をあげていた。現代人の生活には、さまざまなストレスがある。だから、私たちは自分の方法で生活を楽しいものにするために「簡単明快」に生活すること必要だと主張する。私たちは普通の人だから、ストレスをためないためにはシンプル・ライフがいい、ということである。これも、なかなか鋭い指摘である。
 私の接した中国の学生は、厳しい受験競争を生き抜いてきたからでもあろう、一般的に破天荒な発想をする学生は少ないように感じられる。小学校、中学校、高校という受験ヒエラルヒーの中で、常に家族の期待を背にして、好きなこともあきらめて、大学入試を目指して厳しい競争にもまれてきたのだから、破天荒な発想を求めるほうが無理なのかもしれない。常に、試験の「点数」で自分を位置づけるという、現実がそこにある。一流の大学は、上級の公務員、一流の企業につながり、それは将来の生活の安定に直結する。受験競争に勝ち抜く子供に育てるのは、家族にとっては、将来の生活を保障する一種の「保険」的な意味ももっている。健康保険や年金のある公務員や一流企業に入ることによって、生活が安定する。中国が、国民皆保険の時代になるまでには、まだしばらくの時間が必要だと考えられるからである。

さらりとした人間関係
 やや旧聞に属するが、千石保(日本青少年研究所長)が1992年に書いた『中国人の価値観』という本がある。千石は、日本人と中国人が、水と油のように違っているとすれば、それは人間関係観だといっている。中国では、中学1年から3年になるに従って相手との深い交流を嫌い、15歳から18歳の悩み多き時代に誰にも悩みを相談しないという者が、世界11カ国の比較では飛びぬけて多く、親しい友達がいるという者も世界11カ国では最も低い数値をしめしていると指摘している。
 もう20年近くも前の話だが、今でも通じるものがあるように感じている。その根拠は、変らぬ受験競争の厳しさである。例えば、2006年に日本青少年研究所が日米中韓の1−3年生の高校生に調査した結果を見ると、日本の高校生は、学校の成績や進学への関心度が最も低いという結果が出ている。具体的には、@希望の大学に入学することを選んだ者が、韓国の78%、中国76.4%、アメリカ53.9%で日本はわずか29.3%にすぎない。A成績がよくなること、を選んだ者も中国75.8%、韓国73.8%、アメリカ74.3%、日本39.8%、である。日本の数値が低すぎることは大いに問題であるが、それ以上に中国、韓国の大学受験プレッシャーが、際立っているのである。実際、中国の受験対策は並ではない。
 次の時間割表は、吉林省のある高校3年生(全学年ではない)の時間割である。

*各教科の時間数は、英語:8、数学:9、語文〔国文〕:8、地理 :7、歴史:7、政治:7、体育:1である。

 この時間割表は、大学生1年生に高校時代を思い出しながら書いてもらったものであり、記憶違いの部分があるかもしれないが、厳しい受験体制の中にいるという、現実感はこの表を見るだけでも十分に理解できる。
 中国の全ての高校がこのような体制ということではないだろう。しかし、進学校は、ほぼ同じようなものと考えられる。
 月曜日から土曜日までは、朝6時50分に各教室にクラス全員が集まり自習をする。7時30分から正式の1時限目の授業が始まる。昼休みは、2時間20分あり、この間、昼食と昼寝をする。昼寝による疲労回復が、長い勉強での集中度を担保している。面白いのは、勉強で眼が疲れるということで、ラジオ体操と共に「眼保健操〔眼の体操〕」が行われていることである。近眼が多いことも指摘されており、その対策であろう。
 夕食は、17:00-17:30までで、夕食後は9時限目に入る。10時限は19:00-21:40と長いが、この時間帯で、任意に各科の授業が行われる。
 大学受験を控えた高校3年生の特殊な受験対応対策ではあるが、朝から晩までみっしり学校で勉強漬けになる。生徒は学校内の寮に居住する者が多く、通常は23時に消灯であるが、特別室だけは終日電灯がともって、夜中の3時4時まで勉強することもできる。 日曜日は、8時から11時20分までが各自の教室で自習の時間で、午前中で終わる。友情を育むような時間的な余裕はない。事実、受験のために好きなことをあきらめるものも多いという。
 こうして晴れて大学に入学し、大学生活を満喫することになる。日本と違い「寝室文化」と言われるような4年間の全寮制による濃密な生活体験を共有しているのだから、人間関係もそれを反映して濃密ではないかと思うのだが、印象的には、ドライということではなく、きわめてさらりとした関係のように感じている。特に、上級生、下級生との縦のつながりでは、日本のような先輩、後輩といった人間関係が少なく、1年生は1年生同士、2年生は2年生同士というように、階層的な交流が中心である。
 さらりとした人間関係といったが、何故そのように感じるのかといわれるとまことに心もとないが、交流のネットワークは携帯電話とeメールで組まれており、機能的で動きはいいのだが、なんとなく関係が表面的な感じを受ける。
 例えば、実家の住所とか、両親・家族の職業とか、微妙な個人情報に関しては、お互いに余り踏み込まず、きわめて慎重のように思えるのである。
 郵便の「宅配」制度がないことにも一つの理由があるかもしれない。「個人住所」宛てに手紙が届かないとなれば、「個人住所」の意味が半減する。例えば、私の住む大学内の教職員住宅棟には、30家族が住んでいるが、どこにも郵便受けがない。手紙は、大学の関係組織に届くようになっている。私の場合は、外国人教員を管轄する外事処に届き、外事処から私のところに連絡がきて、それを受け取る形になっている。外事処にはたくさんの郵便物が届くから、郵便物が紛れ込んで、えらく時間がかかったり、友人が送ったという葉書が、届かなかったりすることもある。
 つまり、個人と個人を結ぶ情報として不可欠な「個人住所」より所属組織の方が、通信伝達手段として重視されるのである。
 現在では、世界的に携帯電話やeメールの方が機能的で、利用度も圧倒的に高い。しかし、その利便性は、電話番号を変えたり、メールアドレスを変えたりすることによって、即座に、一方的に、関係を断ち切ることができる危うさを持っている。
 これは、中国だけでなく、現代世界に投げかけられた大きな課題であるのかもしれない。巨大な中国の影響力は、今後、ますます大きくなっていくであろう。大きな渦巻きの中で、地に足をつけてたくましく生きてるわが教え子たちを見ていると、この国の抱える問題も、紆余曲折を経ながらも着実に克服されていくだろうと感じるのである。




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