斎藤茂吉と極楽
博士後期課程 小泉博明
茂吉は、昭和11年10月16日に、木曽福島へ、木曽教育会五十周年記念の講師として訪れ、「和歌の特質と作歌の態度」という題目で講演をした。その後、汽車にて王瀧へ行き、小林旅館に宿泊した。次は、その時の歌である。
この町に
一夜
ねむらばさ
夜中
の
溲
瓶
とおもひバケツを買ひつ
(「木曽福島」昭和11年『暁紅』)
このように溲瓶の代用となるバケツを、後に「極楽」と呼んだことは有名である。この歌は茂吉55歳の時であるが、すでに使用していたのだ。バケツに付けられた「極楽」という名称は、秀逸で感心するばかりである。しかし、この時には、まだそのようには呼ばれてはいない。加藤淘綾が回顧している。
「加藤君、先ほど散歩に街へ出た時、金物屋があってこれを買って来た。十五銭だよ。安いものだよ。」
「こんなもの東京へ持って行くんですか、何所にだってあるでせうが。」
「これは今夜の溲瓶だよ、僕は小便が近くてね、長い廊下を夜便所に通ふと、冷えて
すぐまた行きたくなる。君十五銭で楽が出来るんだよ。」(略)、さらに茂吉は、
「僕はよく水洗ひして床の間へでも置いて行く。宿ではお客さん妙なものを忘れて
行ったと思ふが、買ったばかりの新品なのだから、多分また水でよく洗って台所で使ふだろう。
それでよいんだよ。」(1)
このように、茂吉はバケツを翌朝、新品なので何も言わずに宿に置いておくという。加藤は逆らうこともできずに困惑したようだ。
さて、戦後になり、茂吉は金瓶村から大石田に疎開した。この大石田の住居を聴禽書屋と名付けた。そこでの生活では、この「極楽」に大変お世話になり、手放せない。取手のついた小型なものを、二つ常備していて、交替に使用していた。ここに「極楽」を持った一葉の写真がある。昭和22年11月3日、大石田で二年半ぶりに帰京する日に撮ったものである。上下の背広の正装に、古い中折れ帽子をアミダにかぶり、右手には蝙蝠傘を、左手には「極楽」を持っている。足を見ると、いつもの愛用の草履や地下足袋ではなく、靴を履いているようだ。(2)
斎藤茂吉記念館に、この有名な「極楽」が展示されている。バケツをよく見ると、黒びかりし「茂吉 山人 溲器 昭和十五年」と墨書してある。山人とは、正確に言えば「童馬山人」のことである。茂吉は、腐食しないように、内側にはコールタールを塗った。また、バケツを自ら洗い、井戸端で手を清めていた。散歩には必ず携行していたので、ときおり村人が空のバケツを見て、野菜などを、バケツに入れてくれた。村人が「茂吉先生、持ってけらっしゃい」と言って、声を懸けたのである。茂吉は、ありがたく頂戴した。次いでながら、記念館には、肥柄杓も展示されていて、「昭和廿五年七月七日 斎藤別荘用」と墨書している。斎藤別荘とは、箱根強羅にあった「童馬山房」のことである。山房は、記念館にそのまま移築されている。
茂吉は、昭和22年8月16日、東北巡幸中の昭和天皇に上山の村尾旅館で拝謁し、ご進講をすることとなった。さらに、昭和26年11月3日、文化勲章を授与され、宮中に参内することとなった。天皇の御前にありながら、尿意が起こり中座することにならないか、最も心配なことであった。幸いにして、茂吉はその重責を滞りなく果たした。
また、茂吉の長男茂太の嫁である美智子は、次のように言う。(3)
溲瓶は好きにはなれなかったようで、晩年も小さなバケツを使っていました。義父にとっては、本当に極楽だったのだと思います。以前、NHKテレビで「茂吉の生涯」という番組がありましたが、最後は秋草の上に極楽バケツが置いてあるシーンで終わっています。
茂吉は幼少時に夜尿症(小便虫)であった。次のように回想する。
私は小さい時分に、よく寝小便をした。夏の日には毎日川に行って水泳ぎをするので、その頃は毎晩のやうに寝小便をした。田舎のことで誰もかまって呉れぬので、朝になると、そっと小便に濡れてゐる布団を土蔵の脇の竹竿にかけて、それから学校に行ったものである。それほど大きくなるまで寝小便をした。(4) (「浄玻璃の鏡」)
また大正10年、欧州留学前に健康診断をした所、尿蛋白が出て、腎臓の異常が発見された。学位を取得するため、無理をして留学をした。しかし、3か年に及ぶ留学、帰国後には火災により、灰燼となった青山脳病院の再建と院長としての激務のため、十分な治療もできなかった。そのため、慢性腎炎となり、腎臓病より高血圧症、動脈硬化症へと病像を悪化させていった。茂吉の場合、腎臓病と頻尿との関係だけではなく、神経性のものであったとも考えられる。この頻尿は、まさに茂吉の人間性を語るには不可欠な要素である。
さて、最後に小生の駄作を記す。
寝室でぐっすりねむらばさ夜中の溲瓶とおもひ湯湯婆を買ひつ
【参考文献】
- 注(1)『斎藤茂吉全集』第33巻、月報23、岩波書店、1974年、7〜8ページ。
- 〃(2)『新潮日本文学アルバム 斎藤茂吉』新潮社、1985年、91ページ。
- 〃(3) 斎藤美智子『「感謝」する人』講談社、1997年、138〜139ページ。
- 〃(4)『斎藤茂吉全集』第5巻、625ページ。