普遍性と個別性のカテゴリー

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司


 普遍性と個別性のカテゴリーは、客観的な実在の各々の側面をあらわしているカテゴリーではなく、客観的な実在の各々が別々のところにおいて、成り立っているものでもない。この普遍性と個別性のカテゴリーは、法則や概念が指し示す対象の範囲の区別に関係する、カテゴリーなのである。このように普遍性と個別性のカテゴリーは、実在する事物や事柄とそれ自身の内に常に関係し結びついて一体となっているから、これらのカテゴリーの区別は客観的な実在だけからは、決して生じないものである。これらのカテゴリーを区別する根拠は、客観的な実在そのものの内にあるがこれらのカテゴリーの区別が、客観的な実在とこれらを反映しての認識する概念や法則との関係から、発生するものである。こうした客観的な事物や事柄は、個別性でもあれば特殊性でもあり、また普遍性でもある。普遍性と個別性のカテゴリーは、本質や現象のカテゴリーとの関係が普遍的なものとして諸現象の中で、しばしば反復として繰り返してあらわれる。この繰り返えされる反復作用は、しばしば法則を発見する方向性を捉えることがある。

 われわれは、普遍性が対立し合うものとして時々目にする反目は、特定の普遍性と結びついている個別的なものが、数多く存在するからである。例えば、植物の生育について、樹木が日当たりの良い方向により多く枝や葉が繁るという現象の反目が、時々目に付くことがある。この繰り返される反復によって樹木は、その生育のために日光を必要とするという普遍性が、見出されることになる。樹木のもつ特定の普遍性は、日光のエネルギーによって同化作用を営むと言うことが、各々の個別的な樹木と結びついて存在しており、このような個別的な樹木が数多く存在しているから繰り返される反復が、認識することができるのである。或る樹木を観察するには、その生育に同化作用である日光のエネルギーが、必要だということが理解されるが、普遍性を認識するのには必ずしも繰り返される反復が、あることを必要としない。だがしかし、個別的な現象の中からは、普遍性を見出すことが事実上はきわめて困難なことである。このようなことから、普遍性は、多くの場合これらを認識するためには対象である事物の、認識に対して外観ではなく現象の内的な関連を、分析する必要がある。このような場合に普遍性は、認識の順序に関して言えば本質というカテゴリーで、現されるべき性格を持っている。これに対して特殊性や個別性は、より多くの現象的な性格を持っている。しかし、このような事柄は、多くの場合のことであって常に必ずしもそうあると言う、必然的なものではない。

 普遍性と個別性のカテゴリーについて多くの場合は、その関係を捉えると必然的なものは同時に普遍的であり偶然的なものは同時に、個別的であるように見える。たとえば、アイザック・ニュートンの万有引力の法則は、必然的でありかつ同時に普遍的な連関を示しており、植物の成長に見られる突然変異などは偶然的でありかつ同時に、個別的な現象である。しかしながら、もう少し詳しく考えて見れば、常に必ずしもそうではないことが理解できる。なぜならば、まず、個別的な現象であっても、必然的な現象もあると言うことである。普遍的であっても必然的でない連関は、本質的な連関と言うことではない。本質的な連関は、普遍性と必然性と言う二つの特徴が同時にそなわっている場合にかぎり、その連関は本質的な連関であると言うことである。普遍的でありかつ同時に必然的な連関の内には、現象はその真に内的な統一を見出すのであり、これが現象の本質である。個別性と言うのは、様々な現象のことであり普遍性と言うのは、そこから取り出される共通の本質的で、必然的なもののことである。

 つまり個別性と言うのは、たとえば、庭にある樹木のことを指し示してこの樹木は桜の木であり、あの樹木は樫の木であると言うような、個々のもののことを言うのである。しかし、個々の樹木は、各々の樹木の特徴が詳細において違いはあっても大枠では、樹木としての同じ性質と特徴を持っているのであって、どれも樹木であることに変わりはない。このように個々の樹木だけでなく、どんな樹木にも共通している特徴を捉えて、それを普遍性という言葉で、表現するのである。現実に存在しているものは、一見するとただ個別性だけであって普遍性は、存在していないかのように見える。たしかに、この桜の木とあの樫の木は、現実に存在していてもこの桜の木とあの樫の木とは、区別された樹木そのものと言う一般的なものがそのものとして、存在しているわけではない。だが普遍性は、樹木と言うそのものとして存在していないけれども、桜の木や樫の木と言う個別性のものの中に含まれて、存在しているのである。現実に存在している樹木は、この桜の木であったりあの樫の木であったりする。樹木一般そのものとしては、存在してはいないがこの木もあの木も樹木一般の各々の、具体的な樹木の姿なのである。

 普遍性は、多くの個別的なものに含まれている偶然的で非本質的な特徴や性質を捨象して、それらに含まれている共通の本質的な特長や性質を抽象することで、初めてわれわれのものとなる。つまり普遍性とは、事物が特殊な規定や形態の過程を経て、その中で常に自分自身であることをやめないそのものの自己関係と、自己同一性のことである。このような普遍性は、個別性の一部分でその事物の一側面を内包している、本質をなしているもので個別性のなかにのみ、存在するものである。確かに普遍性は、個々の共通するものをまとめているだけであるが、しかし、それによって逆に個別性もその本質的な特徴を、明らかにすることができる。これには二つの意味があって一方では、自然や社会の事物や事柄等の物をすべて同時的で構造的に捉えると、特殊な側面と要素から成り立っているが単にそれらの雑多な、集合に過ぎないものではない。そこにある事物の存在は、必ずそれを統一しその物をそのもの足らしめているものとして、存在するのである。そのことの意味は、事物のあらゆる側面とすべての要素を統一し、それらを一つの全体的な概念として、まとめているものである。これが普遍性の一つの意味である。

 そして、胚から成長する植物は、いくつもの特殊な形態と過程を経るものであるが、それはその植物が自分自身を胚から展開する、過程であるにすぎない。その胚に相当するものは、これが普遍性のいまひとつの意味である。このような普遍性は、前述の意味では事物の有機性を後述の意味ではその発展性を、指し示す概念である。また他方おいては、時間的・歴史的に見ても物は特殊な形態と過程をとおうして、運動し発展するがその形態と段階ごとに別のものになるわけでなく一定の限界内ではどこまでも、自己同一性を保持しながら存続するものである。このことの意味は、どちらにおいても特殊な規定の内にありながらも保持されている事物の生きた、自己同一性のことである。だからそれは、特殊性を捨象して得られたただの共通性や、抽象的な普遍性ではない。むしろ、特殊なものを統一し自分のうちに含むもの、また特殊なものを自分の内から生み出すもので、構造的にも歴史的にも事物の、胚をなすものなのである。これが具体的で現実的な生きた普遍性なのである。そして特殊性とは、単に普遍的なものとの区別される特殊なものでなく、それ自身が普遍的なものであるような特殊的なもので、普遍性の現れである特殊性と特殊化された、普遍性のことである。これにも構造的な意味と、歴史的な意味とがある。

 普遍性の意味内容は、特殊な側面とその内的な要素の有機的な統一であるが、それらの物を統一して一つのものに足らしめているものを、普遍性と捉えるのである。だが、そうした普遍性は、その側面と要素において自己とは別の他の何ものかでもなくして、それ自身の一つの特殊な側面と特殊な要素を、示すものであるにすぎない。こうすることで初めて事物の有機性は、その物自身から捉えられることが出来るようになる。また、この普遍的なものは、歴史的に見ると特殊な形態と過程を経て発展するが、それが同じ物の自己発展であるのは、その物の自己同一性と普遍的なものが、貫いているからである。普遍性は、特殊性として現存するこうした特殊性についての理解なしに事物の有機性を、把握することはできない。そして、その内的意味は、特殊な形態や過程がそのまま同一性と普遍性の、現れだからである。また、それがただ自己同一を保つだけでなく、同時に新しい形態や新しい段階への発展であるのは、普遍的なものが自分自身を特殊化するからに、他ならないのである。たとえば、或る植物の一つの胚や細胞が増殖し分化することは、その植物全体の諸器官を、生み出すようなものである。普遍性と特殊性との関係は、形態や段階を互いに比較し相対的に見て、一方がより普遍的で他方がより特殊的な、と言うものではない。植物の胚は、潜在的に植物全体を示す内在的な本質のことであり植物全体は、顕在化した胚であると言う意味を示すものである。

 普遍性は、自分を特殊化し自己同一性を保持するものであって、潜在的にも顕在的にもその形態と過程における、統一的な全体である。普遍性は、潜在的に特殊性でありそれを含んでいる。事物の発展は、その特殊性の顕在化であり同時に普遍性の実現である。普遍性として現存する特殊性については、こうした特殊性についての理解なしには事物の発展を、捉えることはできない。個別性とは、普遍性と特殊性との関係を統一的に捉えたものである。だが、元々この二つの関係は、不可分のものであるから普遍性や特殊性を捉えた際に、すでに個別性とは何であるかが示されている。換言するならば、個別性は、有機的な統一を保って自己発展する主体としての、事物や事柄のことを言うのである。個別性は、自分自身の存立や発展の条件を自分以外の他のものにではなく、自分自身の内に持つものである。自分の存立条件を自ら生み出すものは、自分自身の発展の条件を自分から作り出すもので、これこそがものの有機性と発展性の原理をなす、弁証法的なものである。だから物については、相対的にせよ一定の自立性をもって存在し、一定の発展を遂げるものである。普遍性や特殊性については、両者の同一性が明らかにされるのは、主体としての事物を互いに不可分なその関係を、両側面から捉えたからである。特殊性を含む普遍性は、普遍性を含む特殊性でこれが個別性であり、事物の概念そのものである。



【参考文献】
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