アメリカの大統領選挙結果の感想記

国際情報専攻 6期生・修了 森田 喜芳


 11月4日に行われた今回の米大統領選挙結果についての感想記を以下にレポートします。
 翌日の米大統領選挙に先立って11月3日の朝、私の自宅に2本の電話メッセージがあった。1本目はオバマ候補本人の録音メッセージ、2本目はこの地区の民主党の議員らしき人からの同じく録音メッセージだった。又、約1ヵ月前にもオバマ氏の女性選挙運動員が私の自宅を訪問してきた。それに比べて少なくとも、私自身へのマケイン氏からの録音メッセージや、運動員が自宅を訪れるような選挙活動はなかった。このことから、オバマ氏の組織動員数と資金の豊富さを感じた。日経新聞11月6日では以下のように報じている。

―オバマ候補は既存の組織やノウハウに頼らない新しい選挙戦術を駆使した。インターネットの積極活用、小口献金による巨額の献金集め、ボランティア中心の草の根型組織など、これまでの「常識」と「前例」を覆す方法を取り込み、史上最長規模の選挙戦で勝利にこぎつけたのである。最大の特徴はネットと「アナログ組織」を融合させた点にある。ネットを通じて少額献金をクレジットカードで支払者から集める体制を築き、携帯電話のメールを活用してボランティアを募集したり集会のお知らせを流したりした。お知らせを送る際には「友人や知人にも送って」と念を押し、これが結果的には草の根レベルの動員力を膨らませた。数万人単位の集会を全米各地で何度も開いたのは「口コミ」の効果が大きかった「副大統領を真っ先に知らせる」との理由で集めた携帯電話番号のリストは、最終戦の機動力に大きく貢献した。こうした戦術をぶりに伝統的な民主党の地盤だけでなく、共和党地盤にも食い込み、全体の集票力を底上げした。―

 ここで、次期44代米大統領に当選したバラック・オバマ氏について簡単に触れてみる。オバマはケニア出身の留学生の父親とカンサス州出身のスウェーデン系移民の母親を持つハーフである。「ケネディーの再来と呼ばれるアメリカの若きカリスマ」は、民主党の大統領予備選挙でビル・クリントン元大統領夫人ヒラリー・クリントンを激戦の末破り、民主党候補の使命を勝ち取った。大統領としては史上初の黒人大統領となるため、世界中から注目を浴びている。端正な顔立ちで痩身、静かなたち振る舞いで落ち着いた印象で、思慮深そうな表情で力強く訴えかける演説は説得力がある。
 47歳と若く、議員経歴は、イリノイ州議会議員を7年間勤めた後、2004年に連邦議会上院議員初当選と浅い。しかし、前回大統領選の2004年に政治家としての大きなチャンスをつかむ。全国では無名ながら、民主党全国大会の基調演説に抜擢されたからだ。
 「黒人の米国、白人の米国、ヒスパニックの米国などない、我々は一つの国民だ」
 この名セリフで聴衆の心をつかみ、オバマ氏は一躍、民主党のスターになる。この時点から、将来の大統領候補との呼び声が高まった。

 今回の選挙戦では、おなじみのスローガンとなった「 Yes we can 」の連呼と、スティービー・ワンダーの「涙を届けて」が頻繁に使われた。黒人ソウル音楽の代表的レーベルのモータウン在籍時に、ワンダーが発表した曲で、オバマ氏が自らの黒人の属性を前面に出した選択と言える。予備選の途中からは、同時テロ直後に米国民に融和と結束を訴えたブルース・スプリングスティーンの「ザ・ライジング」を使い、「黒人のための候補」だけでないことも示した。(もともとロックミュージシャンは民主党に親近感を抱く人が多い。)

 一方、共和党の大統領候補であったジョン・マケイン氏は、「所属する共和党の批判も辞さない超党派の1匹狼」と称され、反骨精神も強い。海軍兵学校卒業後、パイロットの訓練を終えたマケイン氏は爆撃機のパイロットとしてベトナム戦争へ従軍。北ベトナムへの爆撃任務に就き、十数回の出撃の後、追撃され捕虜となる。捕虜生活は5年半という長期に及び、最初の2年間は断続的に拷問を受けたため、後遺症で腕が頭より上に上がらなくなってしまった。尋問の際には「自分の名前、階級、認識番号、生年月日」しか明かさなかった話は有名である。その後、北ベトナム側はマケイン氏の父親が海軍大将であることを知り、彼に医療処置を施しマケイン氏補縛を公表した。

 大統領選挙の当日、私は翌日の12:30AMまで選挙のTVを見ていた。アナウンサーは、「11:10PM頃には決着がつく」といっていたが、本当にその時間にオバマ氏当確の速報が流れた。丁度、大票田であるカルフォルニアの開票結果が出た頃だった!
 私は全米三大TVの中のNBCとABCを交互に見ていたが、2004年の選挙速報と違い、今回はほとんど同時にオバマ当確を報じていた。「オバマの圧勝」という下馬評から当確ラインが読めたのだろう。なお、当日の番組表を見てみると、アメリカの大統領選の報道は全部で9チャンネルが「プライム タイム」と呼ばれる20時から23時まで連続して放送していた。

 選挙日の当日、私は個人的興味で自宅の回り近くを1時間ほどドライブして、投票日の様子を観察してきた。私の家の周りでは、団地のクラブが投票場になっていた。投票場の入り口には、オバマ氏やマケイン氏よりも、同時に行なわれた議会選のカンバンがやたらと多く、50枚くらい立ててあったことに驚いた。その投票場では老夫婦が投票を終えて、歩いて帰るところ見た。選挙当日は晴天で気温も高く、コートが不要な日和であったので投票率も上がったのだろうと思った。
 更に2ヵ所の投票所を見た。1ヵ所は特殊学校、もう1ヵ所はなんと農場集会場のような所であった。投票場も色々あるなーと感じた。この2ヵ所の投票所の入口の状況も最初の投票場と同じく、数多くの議会選の看板が立っていた。

 ちなみに、私はアメリカの選挙権を持っていない!アメリカの選挙権を得るためには、グリーンカード(永住権)を取得し、その5年後に簡単な試験を受け、市民権を取得しなければならない(このとき、アメリカのパスポートも発行される)。現在、私はグリーンカードを取得して3年目なので、次回の大統領選挙のある2012年には、投票できるかも知れない!

 オバマ上院議員が歴史的勝利を飾った大統領選から一夜明けた5日朝、首都ワシントンでは「オバマ氏当選」を伝える新聞各紙が飛ぶように売れ、自販機や売店では品切れが続出した。歴史的価値の高さから求める人が殺到したのだろう。米建国後、初めて黒人が大統領に選ばれたという大ニュースとあって、朝刊各紙には「オバマ氏が歴史を作る」(ワシントン・ポスト)、「人種の壁が崩れた」(ニューヨーク・タイムズ)など歴史的意義を強調する見出しが踊った。(私も慌てて、翌日、新聞を2紙買い求めた!)
 また、「オバマ氏を全力で支援していくと誓う」4日夜、地元アリゾナ州フェニックスで演説に立った共和党のマケイン上院議員(72)は、清く敗北を認め「アフリカ系アメリカ人にとって特別な意義がある」と初の黒人大統領を称賛。すべての人に成功の機会が与えられる米国の素晴らしさを強調した。
 この大統領選挙で、共和党のマケイン上院議員が敗れたことで、ペイリン・アラスカ州知事(44)、が目指した女性初の副大統領誕生はならなかった。ただ、知名度を高めたペイリン氏が今後も注目を浴びるのは確実であり、また、ペイリン氏が党内保守層の支持固めに貢献したことも確かで、将来の共和党を背負う人材に成長する可能性がある。当面は2012年の次回大統領選への挑戦に注目が集まりそうだ。(共同)TVでは「Sarah Palin is She The future face of Republican Party?」と報道していた。

 次回の2012年大統領選挙では、ペイリン氏が名乗りを上げるのか?あるいは、クリントン夫人が再び巻き返してくるのか?はたまた新たな女性のヒロインが現れ「アメリカ初の女性大統領」が誕生するのであろうか?今後も大変注目するところである。

 建国から230年以上を得て、米国の有識者は初めてアフリカ系市民である民主党バラク・オバマ上院議員をホワイトハウスの主に選んだ。その歴史的な結果を以下とおりである。

米大統領選挙開票結果:
獲得選挙人:オバマ=297、マケイン=145、
獲得州:オバマ=24、マケイン=18、
得票数:オバマ=37,699,275(51%)、
    マケイン=35,453,756(48%)。
選挙人総数538人、過半数270人獲得で当選となる。



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