思想としての民主主義と制度としての民主主義

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司


 J・ロック(1632―1704)は、自然法の見地から人民主権の原理を唱えて「自然の法の範囲内で自分の行動を律し、自分が適当と思うままに自分の所有物と身体を、処理するような完全に自由な状態である。それはまた平等な状態でもあり、そこでは権力と支配権はすべて互恵的であって、他人より多くもつ者は一人もいない。なぜなら、同じ種、同じ等級の被造物は、分けへだてなく生をうけ、自然の恵みをひとしく享受し、同じ能力を行使するからである。すべての者が相互に平等であって、従属や服従はありえないということは何よりも明瞭だからである。」(1)と述べている。このことの意味は、民主的な政治制度の原理を定式化し、名誉革命の基礎づけを与えたことである。そしてこの思想は、後世の民主主義的な思想へと引き継がれ、アメリカ独立宣言に結実し、やがてフランスの人権宣言にも大きな影響を、あたえたのであった。その内的意味は、われわれ人間は生まれながらにしてすべて平等であり、譲り渡すことのできない権利を持っているものであり、政府はその権利を保障するために被治者の同意によって、設けられるものとされている。このような民主主義の思想は、人間の尊厳の思想を基礎におく人民主権の思想であり、基本的人権の主張とその擁護を求めるものである。

 アメリカ独立宣言では「われわれは、つぎの真理が自明であると信ずる。すなわち、すべての人間は平等につくられ、造物主によって一定のゆずりわたすことのできない権利を与えられていること、これらの権利のうちには生命、自由、および幸福の追求がふくまれていること。また、これらの権利を保障するために、人間のあいだに政府が組織されるのであり、これらの政府の正当な権力は統治されるものの同意に由来すること。さらに、どのような形態の政府であっても、これらの目的をそこなうようになる場合には、いつでも、それを変更ないし廃止し、そして人民にとってその安全と幸福をもっともよくもたらすとみとめられる原理にもとづいて新しい政府を設立し、またそのようにみとめられる形態で政府の権力を組織することが、人民の権利であること。」(2)と述べられている。さらにフランスの人権宣言は「人間は、自由で、権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。社会的差別は、共同の利益にもとづかないかぎり、もうけられることはできない。」(3)とされている。ここには、人間は生まれながらにして自由平等であり、法は一般意志の表明であると言うことがうたわれている。人権宣言においてうたわれた民主主義には、理性によって導かれて自己を形成する、創造的な主体としての人間の尊厳という思想が、その根本的な基底となっている。理性的な人間の尊厳というこの思想は、近代の民主主義思想の根底をなす思想であり、今日のわれわれにとって国民の立場からその成果を自らのものとして発展させながら、引き継がれるべきものである。

 われわれは、ここに歴史的に形成されてきた人民主権の思想を、見出すことができる。それは、すべての人間は平等であり、譲り渡すことのできない権利宣言の冒頭に、生命・自由・および幸福の追求を掲げていることである。トマス・ジェファソンがうけついだロックの人権論では、所有概念が使われていたが、ジェファソンがあえて所有概念を使わずに、生命・自由・および幸福の追求という概念を強調したことは、極めて重要で意義のあることである。さらに人権宣言は、人民の基本的人権の保障こそが目的であり、政治や政府はそのための手段でしかなく、人民の革命権の承認をも含むことを、明らかにしたことである。この人民主権の根底にある思想は、人間は生まれながらにしてすべて平等であり、何人においても生命・自由・および幸福追求の権利を、保持しているという思想は、すなわち、自然権の思想である。この自然権の思想とは、今日的には基本的人権の思想と同義語として、使われているものである。したがって、民主主義の思想の根底にあるものは、明らかなように人間の権利の思想であり、生命・自由・幸福追求の権利あるいは、自然権の思想である。また基本的人権の思想ということでもある。
 しかし、こうした政治形態としての民主主義は、制度としての手続きや形式だけの民主主義だけではなくて、そういう形態や形式の根底にある哲学・世界観が重要視されなくてはならない。つまり、民主主義的な世界観とそのあり方を、思想として捉えるということである。思想としての民主主義の意味は、つまり、議会制というような政治形態を生み出し、多数決主義というような手続きを生み出したところの、根底にある思想を捉えるのである。思想としての民主主義を捉えるに、その基底をなすものとして、人間の自由と平等という思想を掴むことである。周知のように中世封建制社会は、身分的な階層性の社会であり、思想的にこれらを支えていたものは、封建制を容認する差別の思想である。近代の民主主義は、この身分制原理に対決するものとして、人間はすべて平等であると言う思想として、定着してきたのであった。思想としての民主主義は、このような平等原理のうえに成り立っているのである。この原理を成り立たせているものは、人間の基本的な権利についての認識である。すべての人間が、人間として一定の譲り渡すことのできない、基本的な権利を持つという認識が、広く一般に成立しなければ、およそ人間の平等という思想は、成り立たち得ないものである。

 こうした平等原理を保障する制度としての民主主義は、一般的に民主主義的な国家であるとされている。民主主義的な国家であるためには、国民の基本的人権が尊重されていることであり、権力の専制化を抑制できる民主的で政治的な諸制度が、確立されていることが前提される。近代民主主義の歩みは、これらの条件を確立し発展させるための、歴史でもあったのである。人間が人間であることによって、人間として尊重されるための諸権利を、生まれながらにして持っていると言う自由権の考えは、市民革命期に形成された思想である。それらの権利には、良心・思想の自由・宗教の自由・集会・結社の自由等の精神的な自由や、正当な理由もなく適正な法の手続きもえないで、逮捕・監禁・処罰することを禁じる人身の自由や、為政者が勝手に国民に課税をし、経済活動に干渉することを排除する私有財産の不可侵などの経済的自由が、含まれていたのである。これらの基本的権利は、為政者や国家権力といえども、侵害することができないものであり、自由権と呼ばれるものである。
 そして、このような考え方は、ホップス・ロック・ルソーなどの思想に見られるし、これらの諸権利はイギリスの権利章典・アメリカの独立宣言・フランスの人権宣言などで保障されている。しかしながら、これらの革命を指導したのは、市民階級であったからして、自由権の内容には、有産者本位の考えが見られるし、それはまた、国民全体の人権保障としては、不徹底な内容のものであった。その一つには、一定の有産者のみに選挙権が与えられ、全国民には選挙権が与えられていなかった点等である。やがてすべての国民の人権を真に保障するためには、すべての国民から選ばれた代表者によって作られた、法律によって統治する政治でなければ、ならないとしたのである。思想としての民主主義は、一言でいえば人民主権の思想である。換言すれば、主権は人民のものであると同時に、人民のものでなければならないとする、思想であり立場である。それは、明らかに人間の権利と自由の思想であり、同時にまた人民主権の主張である。そして、民主主義的な人間の権利は、市民の権利および国民主権の制度的な、法的保障の基底をなすものである。

 やがて世界人権宣言では、自由・参政・社会権を基本的人権の三種の体系として、広く示したのである。こうして世界の国々においては、力点のおき方は別にしてもともかくにもこの三種の人権を、憲法において保障している。人権を真に保障するためには、まず国民全体の利益を反映した法律を制定し、それに基づいて統治することが必要であり、一方では権力の専制化を防ぐことが要求される。代議政治と三権分立主義は、近代民主政治の二本柱である。議会が国の最重要な機関であることや、また、権力の分立が必要であることを最初に明確にしたのは、J・ロックであった。しかし、ブルジョア民主主義は、人々の自由と平等を形式的な性格なものにし、現実の社会的で経済的な条件からは、引き離されているのである。資本主義社会での民主主義は、支配階級たるブルジョアジーの民主主義であって、この民主主義はその階級支配を行うための、政治形態に他ならない。支配者である彼らは、憲法を作り議会を設けまた普通選挙制度を定めて形式的には、政治的な自由があるとされている。
 このような諸問題を含みながらも、19世紀初頭から選挙権の拡大がはかられ、参政権が基本的人権の内容として次第に、各国で施行されるようになった。イギリスでは1832年に第一次選挙法改正が実地され、第二次世界大戦後までにほとんどの国々で、男女普通選挙制が採用された。もう一つ大事なことは、社会権が新たに人権保障の体系に、加えられたことである。産業資本主義が確立した19世紀半ば以降先進諸国では、貧富の差が益々激しくなり、貧困や失業などの問題が重大な政治的社会問題となり、自由権の中での経済的自由権の修正を、余儀なくされたのであった。これまでのように国家は、個人の私的生活や経済活動に干渉せずに、自由放任主義や夜警国家の立場を持続することをやめ、経済・労働・厚生・社会政策に積極的に取り組む福祉国家の、立場をとるようになった。弱い立場にある労働者を法律によって保護し、その権利の拡大を認める労働法が、各国で制定され民主主義の発展を阻害するような、財産所有を公共福祉の立場から制限し、私有財産の不可侵の原則を、修正したのはそのためである。

 しかし国民大衆は、全てこれらの民主主義的な権利を利用する可能性を、制限されているのである。このことの意味は、社会的で経済的な国民が支配階級である資本家階級と、同等の地位にないことがその原因である。ブルジョア民主主義は、形の上では立法・行政・司法の三権分立をさせているが、事実上は行政権が他に対して相対的に比重が大きく、他の立法・司法にその力を及ぼしているのが現状である。代議政治のもとでの国民全体の利益が、反映されなくてはならぬ選挙そのものが、多くの場合形骸化されている。選挙制度そのものが、真の平等性を欠き意思決定のメカニズムが、正しく機能してないことは周知のことである。また議会運営にしても少数意見が尊重されることがほとんどなく、それらは無視され表決されているのが現状である。


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