夢中説夢―私の中国報告(5)

博士後期課程(国際情報分野)1期・博士 山本 忠士


「狗頭羊肉」が正しい
 「羊頭狗肉」という言葉がある。羊の頭を看板にしながら実際には狗(犬)肉を売るまがい商売を指して使われる言葉である。この言葉の前提は、狗肉より羊の肉の方が上等で値段も高いということにある。だから高い羊の肉の象徴として羊の頭を看板にして実際には安い犬肉を売るのである。ここでのポイントは犬肉が食肉として認知されているということにある。狗肉を「犬肉」というと、隣のポチをイメージし、当地で食べる食肉としての狗肉の感じがしない。故に、ここでは「狗肉」と表現することをあらかじめご了承願いたい。
 昔から「羊頭狗肉」は四文字熟語としては知られているが、日本人には「羊肉」はジンギスカン焼肉に使われることで知られているが、狗肉が食肉として食卓に出るなど、考えられないことである。「狗」は、「狗尾続貂(くびぞくちょう)」(優れた者に粗悪な者が続くたとえ)としても使われるが、余りいいたとえには使われていないようだ。だから、日本から来た友人に漢字で「狗肉料理」と書いて、今晩食べにいきましょうかといっても、それが「犬肉料理」の意味であるとは理解しないのが一般的である。 説明すると、途端に拒否反応が帰ってくる。狗肉に対するそんな反応を見ていると、日本人は「羊頭狗肉」の意味が理解できていないのではないかと思う。つまり、「羊頭」を掲げて、食べてはいけない「狗肉」を食べさせる、ということが「羊頭狗肉」の意味だと受け取っているのではないか、と思う。

 中国語と日本語では、同じ漢字を使っていても意味内容が相違することが多々ある。例えば、干支でも日本人は「イノシシ」年は「猪」であるが、中国、韓国、ベトナムでは「ブタ(猪)」年ということある。中国語では「猪」は、「ブタ」の意味であり、日本語では「猪」はイノシシであって、豚ではない。イノシシ年になると、中国では可愛いブタの置物が飾りに使われるのは、そうした意味である。
 さて、狗肉の扱いが不当であることの理由を説明しなければならない。当地のスーパーマーケットで1キロあたりの食肉の値段を調べてみると、豚肉が16元、牛肉が18元、羊肉が24元である。つまり、豚や牛肉より羊の肉の方が値段が高いのである。スーパーでは、狗肉を売っていないから、同じ店での正確な比較はできないけれども、なじみになった肉屋の親父にいわせると、狗肉は入荷量が少なく値段も羊肉より高いという。一般的に、狗肉は問屋から直接的に料理屋に入る流通形態である。冷凍された「狗肉」が、店先で解体される様子をみたことがあるが、シェパードほどの大きさのもの、次々と小さく処理されてたらい一杯になって調理場に運ばれた。犬に限らず、ヤギも昼間人々の通る店先で屠殺・解体処理されて、夜にはくし焼き肉として売られている。動物の屠殺が法的にどのようになっているのか、よく分からないけれども、感覚的には昔日本でも自宅で鶏を絞めたのと大差ない感覚のようである。日本では四足動物を食べ始めたのは、明治以後だから、彼我の「食肉」の歴史の差でもあろう。いずれにせよ、吉林省の現状から見る限り、「羊頭狗肉」などという表現は、昔の話しであり、現代では値段の高い「狗肉」に対してやや礼を失する表現ということになる。

  ◇吉林自慢の狗肉料理
 他の省のことは分からないけれども、吉林省は朝鮮族の多いこともあって、朝鮮料理の一つとして狗肉料理が根強い人気をもっている。朝鮮料理店以外でも、狗肉料理がごく普通に出される。
 ある日本人留学生は中国到着早々に、大学関係者からしゃれた料理屋で食事をご馳走になった時、なにやら動物の足が4本、皿の上にあったが、おなかが空いていたから狗肉とは思わずに食べた。少し落ち着いてから、周りを観察し自分の食べた料理が「狗肉料理」であったことに気がついたという。「皿の上に、足が4つあったんです。一匹分だったんです」とその時の驚きを、昨日のことのように話してくれた。
 パソコン画面に愛犬の写真を飾っている中国人の先生は、このワンちゃんを見ていると、なんとなく「狗肉が食べづらいのよ」とおっしゃる。学生たちの話では、「狗肉」は大型犬で食肉用に養殖されているものであり、その辺を走り回っている愛玩用の犬とは違うと強調する。
 私は40年ほど前、香港に留学していた時代、知人の家で密やかに「狗肉」をご馳走になった経験があった。今でも食べてはいけないものを食べた、という思いが残っている。動物愛護にうるさい英国の植民地という当時の香港の環境もあった。しかし、北方の吉林省では、狗肉料理を食べることに対して密やかなイメージは、まったくない。どこでも食べることができる、といってもいいほどである。
 私も近くの朝鮮料理店で「狗肉料理」を時々食べるようになった。メニューを見ると「狗肉是朝鮮族伝統美食之一」とあり、狗肉が美味であるばかりでなく栄養豊富で腎臓病治癒等の効能があることが、麗々しく書かれている。その店のメニューには約40種類の狗肉料理が記載されており、値段は豚・牛肉料理よりやや高い。骨付きの「狗小腿(すね肉)」は、豚足のような感じである。その他の狗肉料理も、特別なものを食べているといった違和感はなかった。お澄ましの狗肉スープは特においしかった。

  ◇狗肉料理と動物愛護
 日本にいたとき、鳩を見て「おいしそうなハト」といった留学生がいた。ハトを見て「愛らしい」と感じるか「おいしそう」と感じるかは、食習慣の問題である。「鯨」の問題でも、「食用派」と「愛玩派」に分かれて論争が展開されている。海もなく、鯨を食べたこともの範疇に犬は入るが、牛や豚は入らない。そこに文化の問題が関連する。西洋中心の文化的な基準をアジアに当てはめることの反発もそこから出てくる。フリー百科事典「ウィキペディア」によれば、韓国では1988年のオリンピックの時、犬食禁止令が出されたが守られてはいなかったという。薬膳としての効能が信じられていることもある。今年(2008年4月)になってソウル市は、正式に犬を嫌悪食品とする禁止令を撤廃し、食用家畜に分類する発表を行ったが、結局、犬肉合法化推進は撤回されたという。「Help Korea To Stop Dog Meat」などによる運動が功を奏したようである。北朝鮮でも「狗肉」は食されており、結婚資金を稼ぐために数頭の犬を飼う若い女性が「犬のお母さん」といわれているとか。生長した犬は、自由市場で売買される。

 日本でも食用にされていた歴史がある。日本書紀(675年)の「肉食禁止令」で4月1日から9月30日まで稚魚の保護と五畜(牛、うま、いぬ、にほんざる、にわとり)の肉食が禁止されたことがある。しかし、犬食がないかといえば、そうではない。2006年には、中国から31トンが輸入されているという。新宿・大久保のコリア・タウンで狗肉が食べられることは周知のことである。

 捕鯨問題に見るように、多数決原理によるグローバルな会議が、伝統的な食習慣の問題に遠慮なく関与する時代である。やがて「狗肉」も外国動物愛護団体から猛烈な抗議を受けるようになり、狗肉禁止のための国際会議が設置されるような事態にならぬとも限らない。韓国の「犬肉非合法化」運動の人たちは、「犬肉料理は韓国文化」という表現に強く反発し、韓国文化などではない、と強調している。北京オリンピックでは、「狗肉料理」が自制されたとも聞く。「伝統美食之一」である狗肉料理も、グローバルな狗肉禁止会議が開催されて、狗肉を食べたことのない人たちの多数決で、禁止になる時代が来るかもしれないと思ったりする。中国では、韓国のように「狗肉」に対する反対運動のような、動きはない。
 しかし、仮に国際会議が開かれて「狗肉料理禁止」などという、伝統的食習慣に踏み込む決定が下されるような事態になっても、中国・東北部の「狗肉」愛好家は、慌てず騒がず「これは狗肉ではなく羊肉です」といいながら「羊頭狗肉」的精神で問題を打開するに違いないと思ったりもする。



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