眞邉ゼミ in 天童

人間科学専攻 9期生 三浦 ひとみ

震災!! 集結!!
 平成20年6月14日、この日、日本は歴史に残る岩手・宮城内陸地震にみまわれ、甚大な被害をうけました。被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。そしてこの震災の当日山形で予定していた眞邉ゼミを行うべく、ゼミ生は集結していました。
 午前9時東京駅、新幹線中央乗り換え改札口には私を含めた眞邉ゼミ生4名が「つばさ109号」に乗るために集合しました。そして「つばさ177号」に乗車予定の池谷さん、「つばさ111号」に乗車予定の松本さんと桜井(広)ファミリーが3歳のリン君とともに山形県天童市に向っていたのでした。一方、天童では眞邉先生と松田さんが、蔵王から大自然を見つめながら我々の到着を待っていてくださいました。

「ただいま、東北地方に地震が発生しました。新幹線の運転は見合わせております。」

 まず中央乗り換え改札口に集合した藤原ゼミ長、桜井(庄)さん、土屋さんそして私の4人は、アナウンスに愕然。いち早く作戦を練るべくカフェを陣取ったのでした。こんなとき桜井(庄)さんは、絶妙の判断をしてくださいます。そしてこの判断力に引っ張られるように私たちのゼミの旅は始まったのでした。
 後発予定の池谷さんが合流し、次いで松本さんも私たちの陣取ったカフェへ合流。東京駅の様子を見守り、山形の先生、松田さんへ連絡を開始したのでした。しかしなかなか通じず、震災で何かあったのかとも心配しながら、何度も何度も携帯電話をかけなおしていました。やっと通じたその時、先生の最高のシャッターチャンスであったことは、後から分かった事ですが・・・。 とうとう、東京駅は「東北地方の方はご旅行を中止してください。」のアナウンスとなり、上越、長野新幹線のみの復旧を告げていたのでした。
 時間は刻々と過ぎ、そろそろ決断の時が近づいて来ました。
 やっと通じた松田さんからは、「昼過ぎには動くと言う情報がありますよ」と連絡をいただいたものの、東京駅とは全く情報が違い戸惑うばかり。
 一方、飛行機利用の石川さんはというと、「えっ!どうしたの?何かあったの」とのメールで、新幹線組の私たちを和ませてくれたのでした。

決断!!  出発!!
 夕方まで解散。そして夕方判断しようということになったものの、誰も立ち上がらずそれぞれの思いを話し始めていました。
 何ヶ月も前から、松田さんは準備をし、ホテルを取り、HPまで立ち上げて我々を迎えようとしていたのに・・
 お酒をたくさん用意してあるというのに・・・
 HPで見たさくらんぼうは本当においしそうだったのに・・・
 名物のおそば屋さんも予約してあるのに・・・と、ぽつりぽつりとの声・・・
 一瞬、もうあきらめるしかないのかとなりかけたものの、桜井さんの

 「こんなにいろいろと用意してくれた松田さんに、行かないとはいえない!」

  との声に、再び盛り上がりを見せ始めたのが、このゼミらしいところなのです。

 「こうなったらツルハシもって、山こえるか・・・、ザイルでつなげば大丈夫だ!」
 「自転車借りて走るか・・・明日にはつくか!」
 「車はどうだ!!レンタカーはどうだ!!在来線はどうだ!!」
 「え〜い、とにかく新潟回っていけるとこまで行くか〜後はどうにかなるさ!!!」

 桜井さんのこの言葉で、とうとう午前11時半、異様な盛り上がりに乗ってしまった男3名と私は新幹線の改札を抜けてしまいました。
 「夕方まで待って、山形行きが動くのを祈ります」との池谷さんと松本さんに手を振り、新潟行きの新幹線でいざ出発したのでした。
 そしてこのとき、桜井(広)さんファミリーもあきらめることなく新幹線を待ち続けたのでした。3歳のリン君とともに・・・・
 私たちはそれぞれの方法で、しかし誰もあきらめていない天童への道が始まったのでした。

発車!! 宴会!?
 そうはいったものの、新潟周りには一抹の不安を抱えていた4人でした。このとき、山形の松田さんから「昼過ぎに山形新幹線は動くみたいですよ」との携帯電話の声、大宮まであと10分弱、ここで乗り換えの決断です! 後になって思えば、この絶妙な松田さんのナビゲートに本当に助けられることになるのです。そしてまた、判断力の源の桜井さんは気がつくと車掌と話し、ベストチョイスをしてくれるのです。
 とにかく、山形方面に乗り換えようと大宮で降りる。別のホームには、乗客を乗せた新幹線「こまち」が・・・
 やれやれとばかりに、じゃあ買い物に行って来る!!と男性陣は買い物へと出かけた矢先に、きれいな駅員さんは「これは仙台まで停まりませんよ。山形へは行けませんよ」とのこと、トホホ
お酒?ビール?焼酎?ウイスキー?を抱えて戻ってきた男性陣と荷物を抱えて向かいの新幹線へ。 13:30に順次発車を開始とのアナウンスに一安心したものの、やっぱり最初に乗った新幹線が先に発車するとのこと、そして福島で臨時停車するとのことで、再び荷物を抱えて乗り換えた私たちでした。
 すでに3回乗り換えた末にやっと始まった、「お酒」と「うまいもん」と「酔った藤原ゼミ長」の旅なのでした。
 新幹線で向かい合わせた座席では、桜井さんのかばんから出てきた「ホヤ」のおつまみ、チョコレート、そして話しははずみ、少し安心したのか次々と飲み乾されるお酒たち。 ゼミ長のほろ酔いと桜井さんの軽快な話、土屋さんと私はその中で旅を楽しんでいました。 そして新幹線は時々駅の待ち合わせを行いながら、そしてそのたびに、男性陣はアルコールとうまいもんを調達しながら、徐々に東北の空気の中へ向かっていました

福島!! 山形!! 酔ったゼミ長!?
 そして待ちに待った待望の福島へ着いたのでした。山形行きはこの次の次の新幹線と言うことで・・・約1時間、駅のホームでは桜井さんが買ってくれた「牛タンスモーク」を食べ、男性陣はまた飲み始めたのでした。荷物を囲んでお酒を飲み、もしかしたらこの福島で池谷さんたちと同じになるのではないかと、ゼミ長の藤原さんは後発の池谷さんへ電話をします。すると、なんと東京駅で手を振った池谷さん、松本さんと同じ新幹線になったのでした。しかし東京駅発の新幹線は混んでいる様子。今までのゆったり談義は通りそうもないのでした。もちろんすっかり酔いの廻ったゼミ長が「こんなに苦労したのに、席はないんですか!」と池谷さんに叫んだところで、新幹線は混んだまま到着しました。
 男性陣は新幹線のドア口に桜井さんが準備した新聞を広げ、お店を広げてお酒を再開、ラッキーなことに私は池谷さんの隣に座らせていただきました。後部座席には松本さんもいます。眞邉先生と松田さんの待つ天童はもうすぐそこです。こうして東京駅のカフェに陣取った面々は再び一緒に山形に着くことになりました。ここで、松田さんからうれしい情報。山形に着いたら、新庄行きの新幹線が後着します、そこに桜井(広)さんファミリーも乗っていると言うことです。 もちろん桜井(庄)さんのほうは、気がつくと名物「こんにゃく玉」を食べているのでした。そしてゼミ長はと言うと「切符がない」とかばんを全開しています。確かに何度新幹線を乗り換えたことか、しかし切符はどこでも使用しなかったはずなのに・・・・。ゼミ生で荷物の解体作業により無事切符を発見し、安心して、最後の新幹線に乗ったのでした。乗った車両で桜井さんファミリーと合流。リン君も元気で全員がひとつの車両に無事乗り込みました。

合流!!  到着!! ゼミ生の絆!?
こうして、まるで支流が合流し本流に流れ注ぐように、福島、山形で合流したゼミ生は本流である眞邉先生の元へ全員がそろって到着したのでした。本来は、ばらばらで到着する予定のゼミ生が、そろって一緒に天童に降り立ったのは、松田さんの絶妙なナビゲートと桜井(庄)さんの判断力、そして冷静な池谷さんと松本さん、桜井(広)さんファミリーの心が一つになったとしか思えない不思議な、そして強い絆を感じるゼミ旅行となったのでした。そしてもちろん、藤原ゼミ長の人柄おかげで、困難も楽しみに変わったおかげでした。

 


 おいしいおそばには間に合わなかったものの、ホテルで飛行機組の石川さんと村井さんと合流し再開を喜びました。こうしてゼミ生の面々が揃ったところで夕食です。松田さんに用意していただいたおいしいお酒、ワイン、そして桜井さんファミリーとリン君とともに楽しい夜になったのでした。

   

 あとから聞いたところによると、なんと男性陣は夜中におそばを食べに出かけ、偶然ながら予約していて食べれなかったおそばまでも食べたとのこと。なんとまあ。しかしその時、だれもお金を持たずにおそばを食べに行ったのだとあとから知りましたが・・。

ゼミ!!  さくらんぼ狩り!!
 翌日、眞邉ゼミは、決してあきらめず予定通りの研究発表と “さくらんぼ狩り“そして“立石寺散策”をすべてこなすべく1日は始まったのでした。  もちろん眞邉ゼミは手を抜くことなく(?)早朝から発表を行い、そのあと会議室に荷物を残し、さくらんぼ狩りと立石寺散策に出かけたのでした。

 さくらんぼ畑にはいると、さまざまな種類の木の説明を聞きながら、心は食べ放題へ。
 さくらんぼの木には、“たわわ”とよぶにふさわしいほどの実が、どの木にも実っていました。あちらこちら、どの木を見てもさくらんぼ、さくらんぼ。手当たり次第にみんなが食べはじめました。いろいろと食べ歩くと、だんだん集まる木は一つ、日当たりのよい佐藤錦、これはもう今まで食べたことのないほどの甘さ、そして食べたことのないほどの量。 脚立に登って日当たりの良い上の枝の実をとり、次々に口に入れていくことが、いつ終わることなく続きました。もちろんお土産を抱えて、大満足のさくらんぼ狩りとなったのでした。  説によると、山形県東根市の佐藤栄助翁と岡田東作翁の努力によって、それまでの日持ちが悪く酸味も多く実の固い品種が苦労の末改良され、現在のさくらんぼの代名詞とも言われる佐藤錦となったとのことでした。



絶景!! 立石寺!! 
 そして、昼食の後一路私たちは立石寺へ、ここは天台宗の寺院として山寺(やまでら)の通称で知られ、古来より悪縁切り寺として信仰を集めたお寺であるとのこと。また、当地で名句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」が詠まれており、参道には句碑があり一休みできる場所となっていました。そして見上げる高さの山寺(立石寺)は、奥の院まで階段が1,015段といわれています。途中数えながら降りてくる観光客の方々とすれ違いながら、さくらんぼ狩りと昼食でお腹いっぱいの私たちは、黙々と登り始めました。途中、先生が撮ってくださる写真タイムを一休みにしながら、何とかのぼり続けました。
 ようやく寺に着いたとき、振り向くと眼下には大自然が広がり、心地よい風が吹いていました。大自然に目をやり、疲れを癒していると本当にこのゼミに参加することが出来てよかったと改めて感じたのでした。
 この疲労感を乗り切り、時間通りバスに帰ると再びゼミ開始に向けてホテルへ戻りました。

     

最後のゼミ!! 帰路!!
 ホテルでは、疲れもなんのその、しっかりとゼミを行ってからそれぞれの帰路に着きました。昨日の震災がうそのように、1日の充実感を味わったゼミ生は、それぞれがお土産を買い込み、予定通りの新幹線に乗り込みました。
   帰りはもちろん眞邉先生もご一緒に、当初ばらばらだった席だったものの、徐々に集まり、楽しい宴会の帰りとなりました。もちろんどんなときでもゼミの心を忘れず指導してくださる眞邉先生を中心に楽しみを味わえるゼミ生の輪がすばらしいと感じるのでした。

 そして、何より震災などものともせず、今回の天童ゼミを大成功に導いてくださった松田さん、事前にHPを立ち上げてくださり楽しい写真で行く前から楽しませていただき、震災にも拘らず絶妙なナビゲートで合流させてくださり、笑顔で迎えてくださったことに本当に感謝いたします。そして、この絆の深いゼミは、藤原ゼミ長のおおらかな人柄と、日ごろからの真剣なゼミへの取り組みを支えてくださっているおかげだと改めて思いました。皆様本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。




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