27回目26ケ国目のメキシコ (The United Mexican States)のティファナ(Tijuna) 日帰りの旅
国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭
はじめに
今春 4月14日〜同月21日の間、8泊9日間に2ケ国、米国2州、ハワイ・カリフォルニア・3都市を巡る旅(飛行距離のみで20,518Km、日本列島は3,000Km)の途上の4月15日(火)に米西海岸カリフォルニア州San Diegoから、国境を超えメキシコの国境の町として御馴染のTijunaへ日帰りの旅をした。
これまでの渡航の経緯は1991年の湾岸戦争は世界戦史上では、初めての空軍戦力主導の戦で勝利した多国籍軍の主力の米国の戦後の『治安実態調査研究と治安維持にあたる警察幹部の教育実態の調査研究』目的の政府視察団長の公用渡航が嚆矢でした。以降は当然に自費渡航のみで、数えてみたら何と27回目、26ケ国目がメキシコのティファナでした。
ご高尚の通り湾岸戦争で勝利の最高指揮官のジョージ・ブッシュ米大統領は、その後の大統領選の選挙戦では、敗退したことは、国民の目は戦争よりも経済戦争への関心がある?。 戦後の論功行賞のツケが回るのは世界史の常とも揶揄されたことはご記憶と思います。
同大統領は翌年1月7-10日の間に国賓として、昭和58年レーガン大統領以来、8年振り4度目の米国大統領としての来日を果たしている。8日の総理主催の晩餐会で突然倒れたのが致命傷だとも伝えられた。
当時の職務上、翌日の江戸資料館日程は、警護責任者として直近で接しましたが、前日の出来事は全く感じられず、バーバラ夫人と江戸職人が丹精込めて制作・献上した「飴細工の象」を仲睦ましく、視察されて伝統技術に惜しみない称賛を贈ったスタンスが印象的で「共和党の象」が選挙も護ると想像したが外れた。
1 国境の町Tijuna
そこは San Diegoからは、車で35分程の地である。
人口約120万余で、高度100mの地にある。この太平洋沿岸の国境の町Tijunaは、米国からの観光客が多いためか、土産物店やバー・レストランの類は、 メキシコ料理店と所謂無国籍料理店が犇めいている。国境の街はラテン文化独特の雰囲気があり、米ドルや英語は通用度が高く米国とのギヤップは短時間の滞在であったものの余り感じないで楽しめる街だった。
Tijunaはティフアナとはどうしても読めなかった。
Tijunaは最近メキシコ政府が経済特区「マキラード」と呼ばれる関税免除地域に指定し、外貨としての米ドルや円を呼び込み、外貨と雇用の創出を目指しているところから、一大流通・工業団地へとの変貌中で、遥か彼方まで造成建設工事中の大型工作機械が轟音を立てている。しかし 米国への輸出の八割を依存するメキシコ経済は、米国の経済事情の直撃を受ける。世界第六位の原油生産国でありながら、政府収支の三割はメキシコ石油公社が国庫納付金として支え、同国憲法は石油の国家管理を定めているところから、海外投資家には構造改革の遅れの印象を与え、ブラジルの積極的民営化で経済浮上を果たした国策とは対照的で厳しい経済情勢が続く要因を秘めている。
Tijunaは、バハ・カリフォルニア半島の南北に位置し、長さ1,680Kmの世界最長半島の北端にある。その世界最長半島の長さは、関空から香港まで1,547Kmであるから、その長さは想像に難くない。尤も我が国土の広さは、ほぼ米カリフォルニア州と同程度である。
この巨大な半島には、都市形態はたった4つのみである。北端のティファナとメヒカ、そして南端のラパスとロスカボスだけで、その間には小さな町はあるものの荒涼たる砂漠、岩山と不毛地帯が続き、天を衝くカル
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メキシコの土産店の前 |
ドン・ハシラサボテンや元気の無げに繁茂するイドリアと珍しいユッカが厳しい自然環境に順応するかの如くに奇怪に人間を寄せ付けない風景に旅人は魅かれる。その触りはTijunaへの道程にもあるが、この特異な自然を満喫するには、往複バスであと二日と言われて断念した。ここから最南端部の都市ラバスまでは、バスで20時間、運賃N$1300で、メキシコ・シィテイへはさらにバスで50時間、運賃N$1700でした。このバスで注意したいのは、近郊・市内・メキシコ・シィティなど国内遠距離の三方向のバスターミナルが別々に相当の距離(約10Km)で,離れて存在している点も要注意である。
メキシコ・シティはメキシコの首都であることは知られている。しかしながら、周辺部を含めると何と約2,000万人が住み、都市人口としては世界一であることはあまり知られていない。反論としては都市部の定義には、諸説あって含める範囲によって上位が入れ替わることがある。所謂 人口密度が連続するアーバンエリアと見るか通勤、通学、雇用圏の経済圏であるメトロポリタンエリアと見るかで見解を異にすることを肝に命じた上での議論が公正である。
2 メキシコ入出国とTijuna市内観光
米国側に駐車、徒歩で入国した。米国出国手続きは、不要である。
米国側のサンインシドロからTijunaに向かうとかなり長い陸橋を渡り、鉄製のフォークの歯を交互に刺した型の鉄回転扉を潜るとメキシコ(The United Mexican States)に入国である。直ぐ右にメキシコ入国管理事務所がある。
その鉄扉から左右を眺めると地平線の彼方まで背丈の倍以上の高さの忍び返しを設置した国境の壁が延々と続き、鉄網塀の両側の緩衝地帯は、米国とメキシコでは歴然と国力の違いを冷厳に見せつける整備状況が、越境者には厳しい米国の姿勢が窺い知れた。
以前ナイアガラからカナダへ入国の際も同様な光景に遭遇している。
米国からの72時間以内の短期滞在者は、’94 年の北米自由貿易協定(NAFT)発効以降は無審査通過である。だが 日本は当然NAFT締結国ではないので、ここの入管で入国スタンプを貰うこと。直ぐにでも出国する場合でも、必要不可欠であることを注意しておきたい。そのままで法執行機関員の職務質問を受けると”不法入国”となる場合がある。他の外国人も同様でも、そのままノーチェツクで通過しないことが肝要である。
車での入国は、比較的緩いが、出国は厳しくメキシコと米国入国の両側のCIQ(Custom税関 Immigration入管 Guarantine検疫 )を通過するのに、5車線は渋滞の極限状態に達しており、その車線上には区画線の上に簡易なスタンドで土産からファースト・トフード、ドリンク、アイス屋が犇めいて商売している独特な風景は国境上の陸橋から見渡せるここのみの特有のものである。
出国と米国入国は手ぶらの私共観光客には至って簡単であった。
市内の観光の中心は国境を越えて徒歩で30分程に位置する巨大なアーチを潜り、左折するAv.Revolucion通りがメーンで、約1Kmの沿道両側には、土産店、レストラン、ホテル、銀行が密生しているという表現がピッタリのような街並みである。この巨大なアーチのモニュメントまでの国境の陸橋からの道は歩行者天国で、車は通行不可の東京浅草の浅草寺の門前店の道幅を5倍に広げて、奥行きの深いメキシコ土産店が所狭しと林立し、浅草は赤色が主だが、ここは赤と緑がかった青の原色のメキシコの国旗を想起させる色彩が印象に残った。特に革製品を専門に扱う店は匂いが強烈で、縁日の屋台の雰囲気である。
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ティファナの巨大アーチ・モニュメント |
このメーンのAv.Revolucion通りや国境を超えての陸橋にも、道路端には、手足の無いホームレスが物乞いしているのが居る。橋の上の両足のない男の笑顔が優しいので、つい3US$を皿に入れた。帰り道にそこを通ったらAppreaciate!! Have a nice trip !!と言われた。聞くところによる米国へ越境周旋業者に支払って、建設分野で働き仕送りをする外貨がGDPの3%を占めるとのことで、国境付近に手足を失った若者が多いのは、怪我をして戻された不幸な者が多いとのことである。 そして彼等は米国流の言葉で、話しかける様は、事情を聴いたら施与の気持ちになる。
それと道路には、観光用の記念撮影のロバが体中を安ペンキで塗られているのが、物哀しかったし、子供や若者層が意外に少なく、お土産店やレストランの従業員は中高年が多く、Drug Discount やPharmacyが多く文字通り軒を並べているし、走る車は新車には見当たらなかった。
昼食は観光案内所のご推薦の店でタコスとエビのランチにし、テキーラは止めた。
次回は、お客の口にウェターがお酒を注ぎ、頭を振ってシェークする飲み物を試し、メキシコプロレスを観るのも一興かと思いつつ、国境へ戻るところのViva Tijuanaと言うシヨッピングセンターに寄って帰途についた。
3 総括と御礼
以前にも米国から日帰りで、ナイアガラからカナダ側へ、シンガポールからマレーシアへ、
フランスからユーロスターでイギリスへ、それぞれ日帰りの旅をした経験から、国境超えは、言葉と遵法が最大の鍵だと痛感した。個人企画旅行なので総ては自己責任であるものの、一種の緊張感と国境超えの達成感は替え難い感触が島国育ちの日本人にはある。
勤め先と子供二人には詳細な旅程表を事前に止宿先や訪問先の所在地・電話を確認したものを残置する習慣を継続している。今後も旅の場合は、経済格差や通商友好条約締結国とか査証免除協定締結国間の出入国は詳細な事前調査と在日大使館情報は欠かさず、外務省安全情報の確認も不可欠であると再認識した。
以前シンガポールからマレーシアへの日帰りで、出入国した際には、タバコ一箱で、密輸入罪に問擬されそうになった失敗がある。シとマの両国には、GDPに大きな格差があり、当時は、車の出入国はガソリンのメーターが確認されていた。
“ 確認無き着手は、飛んで火に.入る夏の虫の如し” と言うこと忘れないようにしたいものである。国の内外の院生・修了生の諸賢からの貴重なご示唆と激励を賜り、また 暖かいご指摘は何よりも有難いものです。それに加えて国外の方からの多分、翻訳ソフトを駆使しての評価や大学院の品格重視と差別用語の摘示等で多大なご労苦をしている編集担当者の方々に対し、改めて衷心から御礼を申しあげます。忌憚なきご叱正をお願いします。
“旅は人を若くする” ハンス・クリスチャン・アンデルゼン 好きな言葉です。