Guam島 Vacation の旅

                       国際情報専攻 6期生・修了 森田 喜芳


 久しぶりに今年の6月22日から26日まで4泊5日、家族と行ったグァム島への小旅行の感想記を以下にお届けする。
 この時期にVacationを取った理由は、毎年7月上旬にアメリカの自動車会社が従来シャットダウンと称して約2週間の休暇を取るため、今年は私も少々早いがデトロイトより日本に戻って休暇を取り家族旅行をした。又、もうひとつの理由としては、妻のグリーンカード保持のため、アメリカへ入国する必要があったためである。妻は昨年11月以降久しぶりのアメリカ入国であった。結果は、心配することは無く、イミグレーションでも問題なくすんなり通過した。

 今回の旅行での私の役割は、ツアーコンダクター兼、運搬係であった。私と妻と娘、そして1歳3ヵ月の孫娘と全員で4人の旅行であったが、空港での搭乗手続きやチェック・イン、荷物の出し入れ、空港からホテル、そしてホテル内の荷物の運搬、など常日頃やったことない力仕事で、今回のvacationは体力の耐久テストのような感があり、かなり疲れて年齢を感じた。特にめったに会わない孫娘のお守りもあり、日頃使わない神経を使った4泊5日の旅であった。

 成田からのJAL便は予想とおり満席で、全て日本人客であった。ホテルに到着してチェック・インしてみたら、ホテル内のお客の約90%ぐらいが日本人の観光客であった。特に就学前の子供連れが多かった。乳母車つきの子連れ夫婦と、祖父母の組み合わせが多く、帰りのJAL便でも乳母車は15台近くあり、子供連れの優先搭乗室の専門場所には、子供達だけで20人くらい集まっていた。何故か男の子が多く、80%ぐらいの比率であった。
 Guam島は成田空港から3時間のフライトなので、小さい子供連れにはちょうど良いフライト時間のように思えた。たとえば成田空港からハワイへは約6時間、アメリカ本土の西海岸では9時間、中西部までは12時間のフライトなので、海外旅行は子供が大きくなるにつれて、フライト時間が多くなる所に旅行するのであろうと考えられる。

 グァム島の島全体は日本語が多く、どこでも日本語の看板が目に付く。ホテルの従業員、バスの運転手、レストランのウェートレス、ショッピングモールの店員のほとんどは日本語を喋り、我々と意思疎通ができた。
 観光の島めぐりツアー、ショッピングの広告、レストランなどの食事も日本人用のメニュー(特にセットものの内容のメニューが多かった。)は、まるでマクドナルドのセットメニューと同じだと感じた。ショッピング街やレストランは、同じように出かける日本人だらけだった。ホテルの近くのDFCショップでもほとんどが日本人客であり、若い男女が目立った。
 Guam島は、JTBやJALPAKなどの日本の旅行会社が日本人向けに企画を開発し、気軽にvacationを楽しめるような観光地になっている。また、Guam島へのフライトが3時間と短く、費用も10万円以下であり、常夏の島、ブランド物のショッピング(DFC)、ゴルフ、外国の雰囲気、などで日本人に人気があるのであろうと思った。

 Guam島の道路事情は、排気ガスが臭くて咳こんでしまった。まだまだ自動車の排ガス規制が徹底していないと感じた。しかし毎日午後のスコールや島全体に吹いてくる風により排ガスも吹き飛んでしまうので、毎朝透き通った青空に心地よい風と綺麗な海が大変印象的である。

 我々が泊まったホテルのオーシャン・ビューは大変すばらしい。海が大変きれい!海水浴場は300メートルほどの遠浅で、背の高さ以下の浅瀬であり、ほとんど波は無かった。海水は綺麗で、海底がよく見えた。ただし海底の砂は小さい岩が多く、素足で歩くのは危険である。
 私は久しぶりに海水浴をした。海水パンツをはいて、海に入ったのは、最近では記憶に無く、おそらく30年以上前のことであると思う。しかし、今回は何といっても主役は孫娘である。浮き輪の空気を入れたり、孫娘を中心とした写真を撮るなども私の担当であった。
 先述したが、我々と同様に子連れで、祖父母などが同行している旅行者が多く、日本人の生活の豊かさが感じられた今回の旅行で、一つだけ良いことがあったのは、海水浴のおかげで何故か体の調子が良くなったことである(理由は不明である。)。
 また家族から、「今回の観光旅行では、お父さんは珍しく知っている人に合わなかったね!」と言われた。(従来は何故か家族旅行などに出掛けると常に私の知人や友人に会う。)

 かつての、第二次世界大戦での日本およびアメリカの激戦の面影は全くみられず、この繁栄した観光地を作り上げたアメリカの実力の凄さをまざまざと感じさせられた。同時に、観光地に変貌したこの土地で、2万人もの日本人兵士が玉砕した敗残兵としてここで過ごした「横井庄一」さんは、どのような気持ちで27年間もジャングルでの生活をしていたのだろうと考えると感無量であった。と同時に、まだいる日本兵や現地人に溶け込んだ兵士、あるいはその子孫が現地人としてこの地に根をはっているのかと思うと、思わず帰りの機上から、Guam島を離れる窓を見て頭が下がり神妙な気分になった。

 来年も冒頭の理由により又、どこかに家族で小旅行などを検討したいと考えているが、やはり日本より3時間くらいのフライトで行けるサイパン島あたりが良いように感じた!今回の旅行でであった。



総合社会情報研究科ホームページへ 電子マガジンTOPへ