魔の2歳児と思わないで 我家の篤姫 ?

国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭


はじめに
冒頭に拙稿に対するご示唆とご叱正の過程で暖かい激励を内外から賜り、衷心から御礼と感謝の意を表する次第です。
我が近藤ゼミの前期の院生の研究発表の課題「少子化対応子育て支援策」は、とても今流であって、そのセンスの善さと渉猟は広範性を維持しての論証の上、仮説を昇華させた時宜的な汎用性に富んだ提言は、とても学ぶ点が多く有意義でありました。
それは少子化対応策としての育児支援を提言するものでした。
政府も少子化相のポストを創設する時流である。
その提言は、昨年来の報道論調も育児支援対応企業は収益が向上し、上場企業も社内に育児支援施設の増設や制度創設の内規制定は、適材確保と収益向上に貢献するとの冒頭の研究課題での提言と軌を一にする整合性がありました。
翻って我が身を省みる機会がありました。

1 我が家の三歳児
我が娘は嫁ぎ先から、第二児の出産のために今学期の始めから、2歳の女児を連れて逗留している。5月23日に五体満足の第二児の男子を無事出産し、御蔭様で母子共々健康である。
正直に言って私は子育ての経験はあるものの、総て家内任せで皆無に近い実態にある。
従って 長男の婚礼の披露宴では、定番の最後に花婿の父親が謝辞を参会者に恰も自分が総てを育て上げた如くに述べるスタイルが一般的であるのを止めた経緯がある。
しかしながら、私はこの挨拶は実質的に子育てをした家内に振ることにした。式場は明治記念会館で格式を重んじる同会館で司会者から、当日になって撤回を求められたが、趣旨を理解していただき、家内に振ることが出来た。
そのようなことから、此の度の2歳の女児の母親の出産入院中を含めての家内との育児は、将に 青天の霹靂であった。
巷間に「魔の2歳児」A と言う言葉があることすら私は知らなかった。一定期間預り面倒見るのは、母親方の実家が多いことは知っていたし、事前に「褒めて躾をしよう。」「子供の母不在の心情を理解しよう。」「子供でも説明をしてダメの一点張りでなく代替の機会を与えよう。」等々の決意で臨んだものの、三日と持たなかった。何を言っても泣き叫び、狭い我が家の2階建5LDKを子猿の如く走り回り、目線以下のものは手当たりしだい触る。
走るな、触るな、騒ぐなと言っても「これはグランパの大事なお仕事だから、破かないで。」 キャー!!! 何を言っても金切り声で叫ぶ。そして「遊ぼぅ−?」「根気良く躾けるのだ。」「泣くのは自我の主張だ。」「この娘を善い子に育てるぞ。」などの考えは三日と持たなかった。
一か月程経って出産のために入院する時期には、慣れるどころか孫娘との関係は、都合の悪いことに友好的よりも、やや対峙的で、娘は後ろ髪を引かれる思いで入院したのではと 今になって気付いた次第である。
冷静に考えれば、3歳直前の子供に母親が入院することなど理解することは不可能である。 しかし 面前で言うこと聞かない場面では、怒り心頭に徹して仕舞う姿が、自分の子供ではないので怒ってはならないと我慢が限界に達することが、”魔の三歳児”にも伝わり、金切り声で泣いて仕舞うことの繰り返しであった。
近刊のKids+は「母親は子供の守護神だ、叱るよりも自己中心の心理を理解した褒め言葉」が肝要で効果的と指摘の如く、”魔の三歳児”の母親たる我が娘は、褒める目的と叱る目的を子供の目線で捉えてマナー、モラル、正しいことと悪いこと、そして行為の過程の長所を把握して適時適切に褒めて意欲と自制心を育んでいる。
その所為か、電車や外出先、レストランでの順番待ちは驚くほどに大人しいのが他の子達と比べて見えるのは、決して贔屓目ではない。近辺の文具店やクリーニング店、菓子屋等へ連れだって孫娘と行くと決まって「何歳ですか、善くお手伝いできますね。」と外交辞令半分にしても頂戴すると孫娘もグランパも悪い気持ちはしない。帰宅後にその旨を伝え聞く家内と娘は「陰の苦労があるのよ。」と窘められる。
魔の2歳児も3歳誕生日
そう言えば家内には、
乳飲み子が泣くと決まって「明日の仕事に支障がある。泣かせるな。 !! 」
子供二人と母親が風邪で枕を並べて寝ていようが「仕事だ。付き合いだ。!!」
と出掛けたわね。
と良く言われましたと何度か言われたことがある。
2 育児支援は社会全体の国際的義務
人口の増減は、その国の将来と国際的地位に厳しいツケを突き付ける。
少子化は将来の労働人口の減少の遠因であり、GDPの将来的減少を招来して国力の逓減化の顕著な余兆となることは、自明のことで、今更 歴史的教訓を紐解くまでもないことである。社会的インフラから、組織企業体の経営指針や当然に国策の重要な柱に据えることが、喫緊の課題であるとの認識を全国民が堅持することが肝要である。しかしながら、先送り体質は、決断と改革に迅速性に欠け、目先の当面の対処事案に忙殺されて、その処理に追われているのが実態でもある。
そこで 些ながら、この子育て支援をこの四月から実践している。
まず 電車等の乗換駅での階段でバリア・フリー施設が施されていない所で、母子がベビーカーで苦渋している場合は、支援の手を差し伸べることに決めた。
そして育児真最中の母子には、それぞれが懸命に我が子を只管愛育中なので、街角で見かけたら、暖かい視線を送る。ことに決めた。
六月には、地下鉄丸ノ内線新宿駅西口の階段付近で三組の外国人母子が、乳母車と買い物袋を抱えて、登りあぐねていた。特に外国人にしては小柄な一組の乳母車を改札まで抱上げた。そしてJR改札口まで、三か所持ち上げる結果となった。最初は「Yokota」と聞こえたが、「Yokosuka」へ帰る米海軍軍人家族連れだった。そして奇遇にも私が三回目を四月中旬に訪れたSan Diegoが故郷の方で、四月に訪ねた旨を伝えると周囲が振り返る程の大声でReally ?? とAppreciate !!を繰り返し、改札口から何度も振り返りつつ、人混みに消えて行った。 また 七月の夏期スクリーングで航空公園駅のホームでは、二十歳代の母親と思しきかたが、エレベーターやエスカレーターが在るにも拘わらず、階段で持ち物を肩に懸け両手で乳母車を持ち上げる瞬間に出遭ったので、片方を持って改札階まで上げた。丁寧にお礼を言われたが、初めての降車駅の様子であった。
私共の年代には、父親の育児休暇などは、想像もできなかった。出生届は、14日以内と法定されているのであれば、遅きに失した感がある。特に 海外では米・英・仏・独・豪・瑞西などの見聞した範囲では、乳母車は我が国よりも大型で、バリアー・フリーが徹底しており、空港・駅・公園などでは、周囲からの暖かな目と援助の手が差し伸べられるのを何度か目撃し、その所作がとしても自然に感じられた。
世界はイスラム圏以外では人口減に見舞われ、労働力確保はお国柄を反映した移民政策で国力の維持を図っているのが実態である。そこで少子化対応策の一環としての育児支援こそは、今後の社会構造基盤維持の国際的義務と温暖化対策と軌を一にして提唱される情勢下の認識が肝要である。後継者問題に晒されている中小企業間にもこの育児支援が浸透するのは時間の問題である。そうすることが生残策でもある収益増加に繋がれば、組織企業体は、積極的な推進は当然の結果である。
我が国の中小企業関連の経営者の七割は60歳を超えていることとその後継者は2割程度のみしか確定していない実態はB、子育支援こそは喫緊の課題であり、子育支援の一環としての時間休暇制度がニュースとなるのはC、労働力逼迫の予兆の証左である。

3 自己中心主義者−幼児−への対応
「子供みたい。」と自己中心主義を蔑視することを耳にする。
企業が育児支援を推進することが収益増加に寄与することは、何も母親である企業構成員の労働力確保と熟練企業構成員育成の社内養成費用である固定費削減が収益増の遠因ではない。企業組織体の全体が育児支援策を推進するものであれば、当然に隣に座るスタッフ同士から管理する立場の役席者の総ての所謂「役職職員一同」が企業理念として確固たる 意志統一した「育児支援策」を決意した場合には、対提携先管理、対顧客管理、対社員管理、対株主対応、対苦情管理、対定着率向上管理、対コンプライアンス、対出入業者管理等々の全方位的な管理が効率的に働き、その結果として収益が向上するものである。
姉(3歳)弟(60日)仲良く
従って 何故今頃になってそのようなことが、声高に叫ばれるのかが不思議でもある。
企業組織体でも家庭でも、自己中心主義者−幼児的な方々−への対処が効果的であり、即効的であって、その対処方法が実効が上がるものであれば企業組織体・家庭ではその設立理念に基づき、費用対効果の面でも十分にペイし、所謂 収益増に貢献することとなる。
このような観点から前述の各管理の場面での対処技法に十分に採用に値する秘策が隠されているものと確信するものである。
そのような思索の基本は、組織企業体での公生活の基本は、私生活であり、公生活に影響を及ぼす合理的範囲で私生活−育児支援−に対する指導と支援は必要不可欠であるという見解は、最近再度脚光を浴び始めていることの合理性がある。

4 終章に替えて
Global thinking act local から最近はGlobal thinking act global の時代に変化している企業も多い。そのうちChild-raising assistance thinking act Child-raising assistanceと唱える日が招来する。
論より体験とも言いわれる。実体験は見るよりも子育ては総ての実社会体験の基本を踏まえていると見えるのは時期尚早と思うのは、些か短絡的とのご批判は甘受する。
私が30年程前40歳になったばかりで、45.000名の組織の50名程の教育訓練部門の一所属の管理職手前の係長職の時のH所属長は、新庁舎落成後のある日曜日、家族の父親職場見学会を突然に催した。ご自身でバス2台をチャターして新宿と上野から、集まった家族を桜田門の庁舎の休日閉庁日に業務に支障ないように父親の職場を披露した。大変に家族は満足の体であったとの家内の報告を受けた。そして所属長は、挨拶の際に「お話があるからどこに座ってもいいですょ。」と指示されたと言う。 小さな子供達は、競って4つしかない管理職椅子へ集中して座ったそうである。その時代のビジネス書には「子供に自分の職場の椅子に座らせられるか。」とあった。家内曰く「貴方の椅子よりも上司の方の椅子に子供は座ったわ。」
その所属長は一年後にご栄転された。在任中に昇任・昇格試験の合格率は向上、超過勤務時間は減り、担当業務は頗るアップし、不祥事は皆無で他所属からは羨望の的となった。
その後10年程後に、私は200名程の所属長となった時期に奇しくも入居の合同庁舎が落成した。私はH所属長に習って「家族職場見学会」を開催した。椅子は用度課から借用して総てをその日は「折り畳み椅子」とした。果せるかな、その他の施策との相乗効果から、全176所属中での個人別業績トップを維持し、全所属長会議で名指しの指摘で面映ゆい思いも経験したことから、如何に今流の「職場見学会」「子育支援」の有効性を提言したいものである。
“ 銀も金も玉も何せんにまされる宝子に及かめやも “ 山上憶良

A 日経新聞 平成20年7月5日、13版7面、「魔の2歳児−加藤 和(女流棋士)」。
B 日経新聞 平成20年8月11日、13版11面、「事業主、60歳以上7割「後継者いる」2割程度」。
C 日経新聞 平成20年8月11日、13版11面、「有給休暇の取得時間単位可能に」。



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