斎藤茂吉と葦原将軍

博士後期課程 小泉 博明


 斎藤茂吉は、若い頃から葦原将軍こと、葦原金次郎と親しく接していたので、次のような歌をよんだ。葦原将軍とは、どのような人物で、どのような高貴な人なのだろうか。大正10年とは、茂吉が長崎医学専門学校教授を辞め、留学を決意した年であり、10月には欧州へ向け出港した。
 ゆたかなる春日(はるび)かがよふ狂院に葦原金治郎つひに老いたり
(『つゆじも』大正10年「帰京」)
また茂吉は、将軍の死を哀悼し次の歌をよんだ。
朝刊の新聞を見てあわただしく葦原金次郎を悲しむ一時
入れかはり立ちかはりつつ諸人は誇大妄想をなぐさみにけり
(『寒雲』昭和12年「春寒」)

われ医となりて親しみたりし葦原も身まかりぬればあはれひそけし
(『寒雲』昭和12年「餘響」)
 将軍と呼ばれる葦原金治郎は、1850年(嘉永3)に越中高岡に生まれた。明治維新後は櫛問屋で働いていたが、間もなく発病し、巣鴨病院から松沢病院へ移り、56年という長期間、「有名人」として入院していたのであった。明治13年6月12日の東京自由新聞には、正三位勅任官勲一等左大臣葦原将軍藤原の諸味(もろみ)という名が載った。
 読売新聞に明治36年5月7日から6月20日まで連載された「人類の最大暗黒界瘋癲病院」の記事には、府立巣鴨病院の状況が克明に記され、その中に葦原将軍の項目もある。 1  
▲葦原将軍 葦原将軍と云へバ本院第一の名物にて元ハ菓子屋職人の芦屋金次郎、入院以来狂名世に高く、二三の新聞にも其性行を紹介されたるが、今日も相変らず院内を我領国と心得、横行闊歩、傲然として威張散し、仏蘭西皇帝が会見を求めて来たの、亜米利加の大統領と相撲を取たのと、口から出任せの大法螺を吹き立つる処、如何にも愛嬌あれども、憎むべきハ他の患者を叱咤して、無理無体に食器器具の類を横奪し去る事なり。
 ここでは、菓子屋職人となっている。さらに記事を読むと、将軍は八畳一間を一人で独占して、他の病者と比較すれば特権的であったが、看護人も将軍を利用し、他の病者を統制させていたのが実態であった。
 岡田靖雄によれば「将軍、帝と称し、勅語をかいた(多くは代筆)。誇大的時事放談をするので、新聞記者は記事がなくなると、かれを取材してかいた。1910年には、廃兵院経営の参考に巣鴨病院を見学した乃木将軍とはげましあった。面会料、写真のモデル代をとり、勅語をうって、その金で部下に菓子をくわせたりした。運動会の仮装行列では、将軍の馬車が呼びものだった。将軍の礼服はだれかが韓国のそれを芦原におくったとされている。」2とある。新聞記者は記事が無くなると、将軍に取材したとあるが、社会状況を考えると、将軍の名前を巧みに使い、世相を批判したのではないかとも想像される。
 礼服姿の葦原将軍の写真を見ると、長い顎髭をはやし、フロックコートに帽子をかぶり、右手には扇子を持っている。コートにはいくつかの勲章が付いている。写真では、本物のように見えるが紙製であるらしい。
 茂吉が東京帝国大学医科大学の学生の時には、呉秀三教授は葦原金次郎を傍らに立たせ、精神学臨床講義を行った。そして、大学を卒業し、指導教授の呉秀三が医長である東京府立巣鴨病院に勤務するようになると、新米の精神科医であった茂吉は、病者である葦原将軍と相見えるのであった。昭和23年に記した『回顧』3では、次のように述懐している。
 医員となれば、当直をせねばならぬ。当直には夜の回診がある。夜のは未だ馴れないうちは気味が悪い。男の方は男の看護長、女の方は女の看護長が随行する。この全体の回診は優に一時間はかゝりかゝりした。重症などあると、まだまだ時間を費す。そのころ有名な将軍、葦原金次郎といふ者がゐて、長い廊下の突あたりに、月琴などを携えて待って居る。さうして赤酒の処方を強要したりする。これは前例で既に黙許のすがたであったから、又気味悪くもあるから、私は彼のために赤酒の処方を書くといふ具合であった。
 赤酒とは葡萄酒のことである。新米の茂吉には、院内に君臨した葦原将軍に逆らうことができない状況であり、まさに将軍は病院の顔であった。
 この東京府立巣鴨病院は、大正8年11月7日に、東京府下松沢村に完成した新病院に移転した。当時の輸送機関を考えると、数百人の病者の移送は難事業であった。茂吉の長男茂太によれば、重症者や逃走の危険のある者は自動車19台で、残りの三百名は電車輸送したという。4その移動の病者の中に、葦原将軍もいた。
 また、森繁久弥が葦原将軍に扮し、将軍の一生を描いた劇を上演した時には、木馬にまたがった将軍の指揮で、全病者が徒歩で松沢まで移動するという設定で、途中九段の靖国神社で休憩する場面もあったという。5
 昭和12年2月2日に、葦原将軍は没するが、茂吉の義弟で、松沢病院副院長の西洋が、葦原将軍の解剖を行ったところ、将軍の脳髄には「病的所見ヲ認メ得ズ」という。将軍の誇大妄想の病名は未解明である。
 森繁久弥が扮する葦原将軍が、舞台で最後に「世の中は狂っとる」と言う。まさに、この迫力のある台詞は、現代の日本の偽装、癒着、談合などの諸相を的確に言い当てているのではないだろうか。
なお、小生の駄作を記す。

将軍に今の世相を問ふならば如何ともなし返答もせず


1南博責任編集『近代庶民生活誌』「病気・衛生」20巻、三一書房、1995年、 p.191
2岡田靖雄『精神病医 斎藤茂吉の生涯』思文閣出版、2000年、p.290
3 『斎藤茂吉全集』第7巻、1974年、岩波書店、pp.667〜668
4斎藤茂太『精神科医三代』1971年、中公新書、p.88
5同上、p.99


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