哲学と世界観について

人間科学専攻 8期生・修了 川太 啓司


 我々人間は、常に行為をしなければ、生きてゆくことが出来ない。この課題は、人間が自らの事由によって、その行為を選ばなければならない、ということを指し示している。我々人間は、衣食住を基本とする人生の営みの中で行為を選ぶ自由を持っている。この点において、他の動物と人間とのあいだには、本質的な相違があるといえる。人間以外の動物は、ただ本能によって行動しているだけで、自由によってその行動を、規定しているわけではない。我々人間だけが、このような行為を選ぶ自由を持っている。何人といえども人間が自由を持っており、それによって行為を選択しているということを、否定することは出来ない。人間が自らの自由によって、行為を選ぶものであるならば、そこには、自分の行為を選ぶための原理が、存することになる。我々人間が、何らかの行為を選ぶ場合においては、必ず何らかの原理を捉えることで、それにしたがって行為を選ぶことになる。こうして我々人間は、事由によって行為している以上、ある程度のまとまりのある考え方に基づいた、行為を選ぶことになる。そして、その生き方を決定する根本的な考え方を、持たないわけにはいかない。この考え方がいわゆる世界観というものであり、この世界観に理論的系統だったものが哲学である。

 とすると世界観は、人間である限りどのような人でも、必ず持っているものであるということが言える。行為を選ぶ自由が存するところ世界観は、おのずから生じくることになる。だから、人間の自由と哲学は、不可分の関係にあるといわれる。この意味で哲学は、我々の生活にとって無関係なものではなくて、むしろ生活と密接に関係しているのであって、我々の生活の根底にあり生活や生き方を、規定するものである。我々人間は、どのような人でも意識的にせよ無意識的にせよ世界観によって、その人は生活している。そして、世界観や哲学の対象は、世界の全体のことでありその世界というのは、我々人間を取り巻く自然や社会のことである。このことからして自然を捉えるには、自然の特徴やその法則を把握する必要があり、また、社会を捉えるには社会の特徴やその法則を、把握する必要が求められる。そして各々の対象を、個々バラバラに取り扱うのではなくして、自然にも社会にも共通した普遍的で根本的なものを、取り扱い吟味することである。この根本的なものは、自然法則にたいしても社会法則に対しても、その根本となる法則であって普遍性を伴った、法則と言うべきものである。

 我々人間は、自然や社会という世界の中で生きている。だからして、自らの根本的な正しい世界観を持たないと、様々な目の前の現象についての、正しい認識をすることが出来ない。色々な自然現象や社会現象をどのように捉え、どのように考えて把握すればよいのかという問題が発生し、正しいものの見方や考え方をすることが、大変難しくなる。とすると、それを捉える方法や仕方も必ずしも正しいものとは、ならない場合もある。おおよそものを見る場合には、そこにものの見方というものがあるはずであり、また、ものを考える場合にはそこにものの、考え方があるはずである。対象である或るものを処理する場合には、そのものの対処の仕方があり、その方法と考え方や在り方がある。正しい方法のためには、その方法自身やまたその仕方が、世界の正しい見方と一致した仕方や、方法でなければならない。哲学は、自然や社会に対する正しい見方や考え方であると同時に正しい仕方であり、方法を確立するためのものでもある。したがって哲学は、世界観であると同時に方法論でもある。こうした哲学は、我々の生活の現実に根ざしたものでなければならず、また、科学的に確実なものでなければならない。

 ここでいう世界というのは、地球上の各国々のことをさすものではなく、我々人間を取り巻く自然と社会の全体のことを、指し示す言葉である。我々人間一人ひとりは、自然の中の一部分であり社会の一構成員でもあるわけだから、世界の一構成要素でありそれは小さな一部分ではあるけれども、世界の中にある一定の位置を占めている。そこで、この世界と自分自身との関係や、その位置づけについての、問題が発生してくる。このような、世界と自分との関係や人間の生き方や考え方の問題に、答えるのが世界観である。つまり世界観とは、自分自身をその一部分として含むところの、世界についてのある程度まとまった、見解のことである。そして哲学とは、その世界観を理論的発生史的に、筋道立てられたものである。換言すれば、世界観とは、自然と社会の全体についての原則的な、見方であり考え方である。そして哲学とは、私たちに必要なものを事実に即して、自分の頭で考え合理的な根拠を踏まえて、納得したことに確信の基礎を置くような、体系的な世界観である。それはまた、体系的系統だった理論的な世界観ともいえるものである。

 世界観は、自分自身をもその一部分として含むものであり、自分自身をその世界において内的な立場から、捉えるものである。我々人間は、自分自身が世界の一部分であり、その世界の中で生活を営み生きている。それは、非常に小さな部分であるが、しかし、自分自身から切り離されて、自分自身と無関係にあるのではない。ですから、自分自身がどのような世界観を持っているかということは、自分自身の世界観の中でどのような生き方をするかという問題と、密接な関係にある。世界観という場合には、論理的にまとまった学問的な見解ばかりではなく、世界についての素朴なある意味では漠然とした、見解も含まれる。我々人間は、世界の中でこれまで生きてきた経験を通して、すでに世界についての多面的な、知識を有している。そして、世界についての概括的な、おおよその考え方を持っている。このおおよその考え方は、その人の行為や生き方に深い関係がある。このような場合には、このおおよその考え方がその人の世界観である。

 世界観というのは、一言でいえば自然と社会を含めた世界全体についての、一般的な見方のことである。そして哲学は、その発生史から自然と社会を含めた、世界全体についての理論的系統だった、世界観ということも出来る。我々人間は、名々の世界観の違いによって、世界のすべての事物に対する異なった、見方や考え方を持っている。したがって、問題に対する対処の仕方も、またその方法も異なってくる。我々人間は、誰しもが生活の営みの中で自分を取り巻く、世界についての一般化した見方が作られ、それを自分の生き方と決めている。これが自然成長的な世界観というものである。歴史上の哲学者たちは、名々の立場から世界についてさまざまな解釈を加え、自然成長的な世界観で大まかな考え方に筋道を立て、体系的な世界観にまとめてきた。この世界についての全体的な見方を、世界観というのである。そしてより良い考え方とは、しっかりした世界観を持つことが必要とされ理論的に筋道たてられた、哲学が求められている。

 哲学は、我々人間を取り巻く世界である自然法則と社会法則とを、全体として把握することのうちにある。そして、そのものの現象を捉えながら、法則を抽出しその法則のもうひとつ奥の根本法則を、理解することにある。換言するならば、世界の根本原理についての理解を、把握することである。自然と社会という全体の世界が、どのようなものでありどう変化し、発展しているのかを捉えることである。そして、発展の過程を捉える立場から初めて自然と社会というものが、成り立つ世界が理解できる。全体としての世界が、新しい状態へと発展するものであれば、社会もまた新しい状態へと発展せざるを得ないし、そして、その発展の仕方も世界の根本法則にしたがって、発展してゆくはずである。それとは逆に、全体としての世界が混乱の状態であれば、社会もまた発展とは逆に、混乱の状態を示すものとなる。それ故に、対象について考察する場合、結局はその事物の現象から本質へ、そして本質から、そのものの根本的な原理へとさかのぼって、世界を成り立たせている自然と社会の問題を、把握することである。

 世界について問題を捉えるに、固定的に捉えるのではなくて、たえず可動的であり、不断の発展と自己運動の過程うちにあることを、捉えることである。自然や社会について自から自己運動していると捉える視点は、消滅と発生が繰り返されるという、弁証法的な思考といえる。それは、自己運動していることの原因を、分析してその事物の内的な自己関係を、明らかにすることが求められる。そうすることにより、全体としての世界の根本的な法則を、把握することができる。このようなことからわかるように哲学は、社会の事例についてだけの社会観ではなくして、また、自然の現象についてだけの自然観ではなく、自然と社会についての総合的、根本的な世界観である。したがって、哲学は、世界観としてあらゆる科学や知識とあらゆる思想の、基底をなすものである。哲学は、世界観として対象を根本から捉え考察することによって、その法則を捉え正しい認識をする方法と、その在り方を学ぶことである。

 哲学についてもう少し詳しく言うと、哲学とは、我々人間を取り巻く世界、すなわち、自然および社会とそれを把握する人間の思考のことであり、その知識獲得の過程に関する一般的法則を、研究する学問である。したがって、自然と社会という全体としての世界についての、見解を示す思考であり世界観である。哲学は、生活する人々の社会意識の一形態をなすものであり、したがって、究極的には人間社会の経済的関係や、生産関係によって規定されている。そのかぎりにおいて、それは社会に生活する人々の、社会的存在からの意識の表明として現れる。社会的な存在が異なるのにしたがって、哲学的な見解も相違を生じ、哲学における考え方も社会的な存在によって、差異も生じてくる。哲学的な世界観は、これらと区別されるのは理論的に基礎づけられた、世界観だということである。世界観は、自然および人間の行為や生活を含めて社会についての、統一的・組織的に組み立てられ、把握された考え方である。これには、世界の生成と消滅という発展や、人間生活の本質と意義などの見解が含まれる。したがって、哲学的・自然科学的・社会政治的な、所説を合わせ持っている。このうちで哲学的見解が基本的なものであり、そこから、哲学における根本問題や、何が根源的かという問題が発生し、世界観の基本性格が決められる。

【参考文献】
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