因果関係のカテゴリー原因と結果

人間科学専攻 8期生 川太 啓司


 われわれ人間を取り巻く世界、すなわち、自然や社会において事物や出来事の相互連関を捉える、最も大切なカテゴリーに、原因と結果がある。原因というカテゴリーは、或る事物や事柄から他の出来事を発生させるもののことであり、これに対して、結果というカテゴリーは、そのことによって生じさせられた、もののことである。そして、この原因と結果という両者の関係のことを、因果関係というのである。この因果関係というのは、或る事物や事柄の原因が必ず他の事物や事柄に結果を、生じさせるということである。そしてまた逆に、原因が存在しなければ結果も生じないという、関係のことである。たとえば、公害問題で河川や海の汚濁について見てみると、一般的にその原因が工場排水や生活排水によるということは、今日では周知のこととされている。また、あの悲惨な水俣病というような公害問題は、工場排水との因果関係が究明されたことにより、その原因が工場による排水のたれ流しが、原因であることが明白となった。このように世の中には、原因のないものは存在しないし、世界の事物や出来事には必ずそれを生み出した原因があることは、自明のことである。換言するならば、世界の事物や出来事は、すべてにおいて何らかの原因によって生み出されたもの、つまり結果なのである。

 したがって、事物や出来事の本質を捉えようとするならば、その現在の姿を吟味するだけでなく、その結果をもたらした原因の発生史をたどって、探求しなければならない。結果からさかのぼって、原因を探求する立場こそが科学のもっとも大切な、任務のひとつである。したがって、このカテゴリーは、科学にとってなくてはならない必修の、ものなのである。われわれ現代人は、自らの意志とは否応なしに、地球的規模での環境問題に対峙せざるを、得ない状況に直面している。ブラックホールの拡大化、地球的規模での温暖化と砂漠化現象等などの情報が毎日のように、巷にあふれている。周知のように、地球の温暖化であるヒートアイランド現象などは、なんらかの原因もなしに発生したものではない。その原因を深く掘り下げて発生の源をたどっていくと、大都市におけるビルや工場などの、排気ガス、自動車等の二酸化炭素によるものという原因が、明らかになってくる。このように原因と結果という因果関係は、内的な連関であり客観的に存在しているものの、関係のことである。このような関係を正しく見ないで、因果関係の客観的な存在を否定することは、世界のものごとや出来事の発生の実態を、把握することが出来ずに客観的な真理を、捉えることができない。

 世界の事物や出来事は、それ自身に固有な一定の因果の必然的な連関に基づいて、発展するものである。そして因果性は、客観的な事物そのものに固有なものと考えて、その存在を肯定するものである。弁証法的な視点からの因果性の概念は、客観的な事物そのものに固有な連関が、人間の思考に反映されたものであって、決して人間の意識の中から引き出された、純主観的な概念ではないと断定することが出来る。この因果関係についてもう少し詳しく言うと、因果の法則は、客観的な事物の普遍的な連関と発展の過程における、重要な要素と捉えることである。そして事物には、連関と発展の過程において永遠に二つの状態が、存することが確認される。すなわち或る事物は、その過程において主動的な側面にありそして他の事物は、受動的な地位にある。人間の思考は、前者の場合を概括して原因の概念とし、後者の場合を概括して結果の概念とすることで、因果性の概念が生まれた。人間を取り巻く世界、つまり自然や社会は、限りなく複雑な事物の相互依存関係と相互連関の総体として、捉えることができる。そして原因と結果は、さまざまな出来事の全世界的な相互依存関係や、普遍的な連関と相互の関係の諸モメントを示すものであり、物質が発展する鎖の円環にすぎない。そして因果性の法則は、事物の普遍的な連関と発展の一つの要素に過ぎず、全世界的な連関の小さな一部分を、示すものである。世界の連関の全面性と普遍性は、因果関係によってはただ一面的で断片的なものにしか、表現されないのである。だから事物の因果関係は、連関と発展の全過程の中でだけ観察できるのであって、この過程を離れて因果関係を個別化させて、吟味することは出来ない。

 現実生活においては、一つの結果が決してただ一つの原因によって引き起こされることはなく、常に多くの原因が複合的に綜合されて、起こるのである。したがって、事物の発生を吟味するには、事物の側面の原因を全面的に捉えて、明らかにしなければならない。しかも、各側面の原因のうちでは、主要な原因と副次的な原因や、内的な原因と外的な原因を区別し、吟味し分析する必要がある。このようなことからして現実生活においては、同じ様な原因でも違った結果を、生み出すことがある。その原因が根本的なものであったにしても、この根本的な原因が一定の結果をもたらす過程で、根本的な原因そのものの作用以外にその他の条件が、不可避的に加わってくる。このようなことから弁証法は、原因と結果のあいだに相互転化の関係が、あることを指摘する。或る原因が或る結果を生み出すのであるが、この結果が別の関係の下においては、また原因となり得ることとされている。或る関係においては、原因と見ることが出来るものが、他の関係のもとでは、また結果と見ることも出来る。さらに或る原因は、一定の結果を生み出すがその結果の逆がたまたま原因に、影響し得ることもある。因果のこの相互転化と、相互作用を無視するならば、事物の連関を正しく認識することは出来ない。

 原因と結果のカテゴリーは、自然と社会における現象の相互連関の、一定の形式を反映している。この形式については、固有の特徴を持っており現実性のすべての現象を、例外なしに包括している。この関係をもう少し詳しく言うと、自然と社会における現象の因果的な連関は、現象の被制約性の特殊な形式としての、自然と社会における任意の個々の現象であり、相互に作用しあって関係している現象の総体が、他の現象を引き起こしている。また、逆にあらゆる個々の現象は、一群の諸現象によって引き起こされ生み出される、ということに現れている。すなわち、与えられた個々の現象の発生を、直接に条件付けておりその源泉として現れる各々の現象は、原因と呼ばれる。そして、一定の原因の作用によって生み出される現象は、結果と呼ばれる。あらゆる現象は、それがどんなに仔細なものと思われようとも自己本来の原因を、内的に保持している。すなわち、他の現象によって生みだされたものであり、同時にあらゆる現象は一定の結果を引き起こし、他の現象の発生的源泉なのである。

 原因と結果のカテゴリーは、個々の現象の起源を発生史からさかのぼって、明らかにするものである。個々の因果関係は、認識において選別することによって与えられた具体的な現象が、他の一定の現象や一群の現象に起源を、持つものであることが反映される。原因と結果として相互に連関している現象が、諸現象の一般的全面的な連関から、自然と社会における普遍的な、相互作用から切り離される。この普遍的な相互作用から出発して初めてわれわれは、現実的な因果関係に、到達することが出来る。個々の現象を理解するためには、それを普遍的連関から切り離し特殊化させて、観察しなければならない。だが、そうした場合において相互に転化しあう運動は、或る一つものが原因として他のものが結果として、現れるのである。因果関係の本質的な特徴は、ある現象や一群の相互に作用している現象が、他の一定の現象をあらゆる場所とあらゆる時にではなく、一定の条件が現存する場合にだけ引き起こすことが出来る、という点にある。現象の原因から区別して、ここに現象の条件と呼ばれているものは、それら自信が直接に与えられた現象であり、すなわち、結果を生み出すことは出来ない。しかしながら、空間的ならびに時間的には、原因に伴いそれらに影響を与えることによって、結果の発生にとって必要な、原因の一定の発展を確保するところの、現象の複合体のことである。

 原因と結果との時間における継起性は、結果を生み出す過程の因果的連関の基本的な、特徴の一つである。原因は、必ず結果に時間において先行する。原因が発生し作用しはじめた後にのみ、結果は生まれる。因果的連関は、自然と社会における発展の契機である。結果は新しい現象として、その原因の一定の発展段階の上でのみ発生している。それ故に、結果たる現象は、常に自己の原因の後に発生する。原因が、結果に先行するということは、仔細なことであるとはいえ任意の因果的な、連関において必然的である。原因と結果との間には、単なる時間的な継起性だけではなく、生成的な連関がある。すなわち原因は、結果を現象からさかのぼって発生史から捉えることで、結果を生じせしめる。だから、時間における二つの現象の継起性だけに基づいて、それらの因果的連関を結論することは、論理的誤りを犯すことになる。原因と結果との連関の最も重要な特徴は、この連関の必然性を捉えることである。因果的連関の必然的な性格とは、現実の原因と条件との全総体が完全に定まった現象が結果を呼び起こす、ということを意味する。換言すれば、同一の諸条件の下では、同一の原因が繰り返される場合に、同様の結果が生み出される。

 原因のあらゆる変化は、原因と結果との連関の必然的な性格によって、必ず結果に反映される。すなわち原因の変化は、作用の増大または減少に伴って、これに照応してその作用の結果に変化をもたらし、結果の全体またはその一定の側面や特徴も、増大したり減少したりする。因果関係のこの側面を強調して、一般に自然における一切のものは、原因が増大すればその作用もまた大きくなり、逆に原因が減少すれば、効果もまた減少するというように、組み立てられている。原因と結果との連関の必然的な性格は、因果関係における必然性と因果関係からの客観的側面の、基本的特徴の一つである現象の被制約性と、特殊な形式としての必然性から、区別されなければならない。原因と結果との連関の必然的な性格とは、このように結果を生み出す原因とそのもとで、これらの原因が作用する条件との完全な複合体に結果が一定の照応を、示すことを意味する。必然的な因果連関とは、偶然的なそれとは違って自然的で、社会的な生活の現象や一群の発展における、本質的な傾向を表現している。さらにそれは、大量の現象において反復される不動の一般的で普遍的な、因果関係のことである。このような必然性は、普遍的なものから切り離すことはできないし、原因と結果との連関の必然的な性格によって、原因のあらゆる変化は、必ず結果に反映することになる。

【参考文献】


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