『物狂ほしけれ』

車谷長吉著、平凡社 2007年

文化情報専攻 6期生・修了 山本勝久

    
       
   

車谷長吉が『徒然草』に私注をつける。この役はハマリすぎ。兼好と車谷、どちらも「世捨て人」を志向し、底意地わるく世間をみる。それでいてリアリスト。
車谷自身、人生の転機といえる時期に『徒然草』を読んできたという。「困ったことが出来れば、また徒然草をよめばいい、といつも思うている」とも。
あまりにも有名な『徒然草』序段。「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」について、車谷はこういう。

     兼好は強い人だったから、強迫神経症に囚われるというようなことはなかっただろう。「あやしうこそものぐるほしけれ。」に堪えた人だった。「狂う」ということは、ない人だった。徒然草は実に曇りのない目で、この世のことが書いてある。恐ろしい人である。私の場合は「いやし」を求めるような男であったから、狂うたのである。
これまで私小説のネタにつかってきた自身の経験を反芻するように『徒然草』を読んでい く。読者としては、車谷作品のあれこれを思いうかべながら読む楽しみがある。このあた りが、一般の「徒然草本」とのちがいであろうか。

私は神田の古本屋街で、いちど車谷氏を見かけたことがある。そのとき、ふいに荷風の晩 年のすがたを思ってしまった。もちろん、よれよれの古着を着こんで、ボロボロのかばん をさげた荷風のいでたちと、車谷氏のそれとはまったく異なるが、屈折したダンディズム という点で通じるところがあると思う。このつぎはぜひ『断腸亭日乗』について書いてほ しいものだ。







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