『漱石の夏やすみ』

高島俊男著、ちくま文庫 2007年

文化情報専攻 6期生・修了 山本勝久

    
       
   

この本が文庫化されたのは嬉しい。もとの単行本が出たとき、読んでみておもしろかったので、当時同僚だった国語担当の先生にすすめてみたところ、いろいろ新しい発見があったと読後の感想を話してくれた。まあ、受験生に漢文を教えていても、漱石の漢文まで読む人は少数派でしょう。そう、高島は、この本において漱石の若いころの漢詩文『木屑録』を現代語(といってもいくぶん文語調)に訳し、解説を付した(岩波書店から出ている新しい方の『漱石全集』第18巻<1995(平成7)年>は、一海知義による訓み下しと語注を入れるが口語訳はない)。あわせて日本における歴史的な「漢文」についても述べる。

われわれが漢文訓読をするとき、もっともやっかいなのが下から上へもどったりして訓み下しているうちに、文意がたどれなくなってしまうこと。高島は、返り点などをもちいて行きつもどりつ不自然な訓み下しをすることについて、それは昔の日本人が原文を暗記するための方便だったとする。たとえば、『論語』の「學而時習之」を「まなびてときにこれをならふ」との訓みについてつぎのようにいう。

    「まなび、ときに…」ではなく「まなびてときに」と「て」があるのは、「學」のあとに「而」があることをおぼえるためである。(中略)「之」は「これ」ではない。「習」が他動詞であることをしめす語である。「これをならふ」は日本語として意味をなさないが (意味なすと思うひとは漢文の毒にあたったひとである)、ここに「之」があることを記憶するために「これを」というのである。
こういう性質をもつ訓読文では、原文の微妙なニュアンスは伝わらず、つねに一本調子になる。高島はこれを「千篇一律荘重体」と呼ぶ。
さて、この本でとりあげる漱石の漢文は、名づけて『木屑録』。旧制中学の夏やすみを利用して房総半島を旅したときの紀行文で、松山で静養中の子規に見せるべく書かれたもの。内容からいっても一種の戯作である『木屑録』を「千篇一律荘重体」でやったのでは漱石が泣くと高島が現代語に訳した。『木屑録』原文冒頭は以下のとおり。
    余兒時誦唐宋數千言喜作爲文章
これについての高島訳は以下である。
    我輩ガキの時分より、唐宋二朝の傑作名篇、よみならつたる数千言、文章つくるをもつともこのんだ。
どうして上の原文から下のような訳文が出てくるのか、これについては高島自身がひとつ ひとつていねいに解説している。

ところで、中国文学研究者はおよそ一致して漱石の漢文を高く評価する。高島もその例外 ではない。気になるのは子規の方だが、これはもうはしにも棒にもかからないレベルだっ たとか。つまり、漢文を作るにも、もともと日本語で発想し、それを漢字でおきかえて文 章にするくらいが関の山だったらしい。しかし、それでも子規は堂々としていた。べつに 子規が厚顔無恥だったわけではない。明治期における漢文の地位低下がそうさせたという のが高島の推測。それにしても、そんな近代日本にあって、千年以上昔の中国人とおなじ ような文章を作ることができた漱石は、やはり変わった人だったのか。







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