「第8回 日本言語聴覚学会に参加して」

人間科学専攻 8期生 臼井 浩一

日本言語聴覚士学会に参加した理由
 私は言語聴覚士ではない。理学療法士である。理学療法士とは、運動や物理療法(温熱・電気刺激等)を主な手段として、基本的な姿勢や動作、歩行能力の回復を促し、対象者の人間的な権利の回復を目指すリハビリテーション専門職である。
 一方、言語聴覚士もまた、リハビリテーション専門職である。言語聴覚士は、コミュニケーションや高次脳機能(認知機能)、聴覚の障害、摂食・嚥下(飲み込み)の問題に主にアプローチしている。
さて、私が専門外の言語聴覚士の学会に参加しようと考えたのは、嚥下に関する研究動向を知りたかったからである。嚥下障害に関しては理学療法士もこれまで関わりをもってきているが、主に全身の姿勢や運動を調整することによる場合が多く、嚥下機能に直接、働きかけることは少ない。私の関心が嚥下それ自体にあったため、言語聴覚学会に参加することを決めたのである。さらに、私の職場である高齢者施設の利用者は認知症の方が大半であり、認知症に関する言語聴覚士の研究動向も知りたかった。
 そして今回は嚥下研究の分野で著名な藤島一郎先生の講演が企画されており、同じ眞邉ゼミの先輩である宇野木さんが学会事務局にいて、同じく先輩の中村さんとともにポスター発表をされる予定だった。今回の言語聴覚学会は様々な点でメリットが多かった。こうして私は、平成19年6月2日の早朝に、学会会場である浜松へ旅立つこととなった。

うなぎの入ったお弁当を頂きながら
 浜松は、浜名湖のうなぎが名物である。また、楽器製造業が有名であり、ヤマハのピアノや電子ドラムが駅構内に展示されていた。そして、浜松は道が少しずつ曲がりくねっていて、歩いていても方向感覚がわからなくなる不思議な街である。 攻めてきた敵の武将に対して、城の位置を惑わすための戦国時代の戦略なのだと、後で聞いた。
 会場であるアクトシティ浜松は、駅から徒歩で2-3分のところにあった。アクセスが良く、非常に立派な高層ビルを有する会場であった。
 一日目は、幾つか発表を聴いた後、ランチョンセミナーに参加することになっていた。先輩の宇野木さんから、事前に、ランチョンセミナー(昼食を頂きながら講演を聴く企画)があり、予約をしておくとよいと教えて頂いていた。それで、NSTに関する長崎大学の石飛進吾先生の講演を聴きつつ、名物のうなぎと嚥下訓練用ゼリーが入った楽しいお弁当を頂くことができた。NSTとはNutrition Support Teamの略であり、様々な栄養摂取障害に対して総合的な対応を行なうチームで、病院における栄養管理の主流となっている。様々な専門職が相互に緊密に連携をとりながら同じ目標を目指して取り組んでゆくチームアプローチの重要性は、経口摂取(口から食べ物を摂ること)の課題についても当てはまる。このチームにおけるリスク管理に、言語聴覚士が当たるべきだというのが石飛先生の講演の内容であった。私のとなりに、言語聴覚士と見受けられる若い方が座っていた。彼はボリュームのあるお弁当をあっという間に平らげ、熱心に聴講していた。そういえば、この学会の参加者には若い方がとても多かった印象がある。言語聴覚士は国家資格となってから、まだそれほど長い年月が経ってはいない。この全国学会もまだ8回目である。学会長の長谷川賢一先生によれば、日本の言語聴覚士は20〜30歳代が全体の7割を占めている。若い参加者が大半の会場なのだった。

茂木先生の「強化」の話
 先輩の宇野木さんから、プログラム集を事前に送っていただいていたおかげで、演題の会場と時間を事前に把握できており、とても助かった。聴きたい演題のそのほとんどを聴くことができたのである。
 他、興味深かった講演は、有名な脳科学者である茂木健一郎先生の特別講演である。特に私が面白かったのは、茂木先生が「強化学習」について言及され、行動の後に得られる報酬について力説されていた点である。つまり、行動の後に快楽などの報酬があることによって、その行動が強化される。その報酬とは脳内では神経伝達物質のドーパミンである。この「強化学習」によって人の脳は変わると茂木先生は言われた。「強化」の原理は、眞邉ゼミの研究の立場である「行動分析学」のキーワードである。クオリア(感覚の持つ質感)の研究等で有名な茂木先生の講演で「強化」について聴くとは思ってもみなかったし、意外であった。

藤島先生の講演と「かきくけこ」
さて、私が一番聴きたかった講演である藤島先生の「摂食・嚥下障害の現代医療における動向」について、特に印象に残った点を述べる。
 まず、藤島先生は「終末期リハビリテーション」(亡くなるまでリハビリテーションが必要との考え)の重要性を強調された。「終末期」と聴いて私が思い浮かべたのはアルツハイマー型認知症である。その病状は進行性であり、心身ともに障害が重度となり、最後にはいわゆる「ねたきり」になる。「終末期」を迎えることを常に念頭に置かなければならないのがアルツハイマー型認知症である。藤島先生は、経口摂取困難となる終末期まで視野に入れた上で、嚥下のリハビリテーションにおける問題性を様々な角度から浮き上がらせる。嚥下訓練の保険点数の少なさ、訓練場面での誤嚥(食物が気道に入ること)による肺炎(誤嚥性肺炎)の責任の所在、終末期での経口摂取維持か経管栄養(チューブを通して栄養を摂る方法)かという選択における本人の意思の問題など、アクチュアルな問題点を幾つも指摘しながら、それでも藤島先生は「ひとくちでも食べる」ということの意味を、あくまで強調されていた。
 嚥下リハビリテーションの心得(かきくけこ)という訓辞も覚えやすく、なるほどと思わせた。かきくけこの「か」は感動(食べられたときの喜び)、「き」は興味(どうしてうまくいくのか?あるいはどうして駄目なのか)、「く」は工夫(困難に直面したときこそチャンス)「け」は研究(過去の記述と自分が今やっていることの見直し)、「こ」は根気(すぐにあきらめない)である。嚥下リハビリテーションに限らず、臨床や研究に従事している誰もが座右にしたい良い訓辞であると感じた。

眞邉ゼミの先輩方とともに
 さて、ゼミの先輩方の発表に関して述べたいと思う。発表前に偶然、中村先輩にお会いした際、中村さんは「(私の発表は)聴かなくてもいいですよ」と照れていた。他の演題を聴いた後、駆けつけたが、中村さんのポスター発表の時間ギリギリに会場に着いた。とても多くの人だかりがしていた。中村さんの研究対象となっている自閉症は、私にはあまり馴染みがなかったが、中村さんの発表は、わかりやすかった。ひとつの研究の中に多くの実験を組み合わせた自閉症の概念形成に関する中村さんの発表を、たくさんの参加者が熱心に聴き入っていた。
 その後、宇野木さんの発表があった。発表まで少し余裕があったので、宇野木さん自身とお話ができた。宇野木さんは、学会事務局のため、ここ2日、ほとんど寝ていないと笑顔で言われた。宇野木さんの発表をそのセッションの司会者は「面白い研究」と誉めていた。失語症の語想起(質問に該当する言葉を次々に思い出して言うこと)に関する注意機能に着目したその研究は私にも興味深いテーマだった。認知症でも失語の症状は出現するし、語想起は認知症では難しい課題である。また、認知症においても注意機能は大きく低下する。2日間、徹夜だったはずの学会事務局の先輩は、普段と変わりなく平易にご自分の研究を説明されていた。宇野木さんはとても親切で優しい女性であるが、また、たいへんな努力家であると感じた。

ゼミの先輩や仲間に励まされて・・・
 この稿の最後に、同じ眞邉ゼミの2年先輩である石津さんのことを述べたいと思う。修士論文のテーマを認知症高齢者の嚥下障害にしようと考えた私だったが、実は嚥下の何について具体的に研究するのか明確でなく、かなり悩んでいた。学会で偶然出会った石津さんに、私はそのことを打ち明けた。すると先輩は「インプットとアウトプットを繰り返していけば、必ず研究は進む」と私を励まし、いつでも相談相手になってくれると約束してくれた。石津さんに打ち明けたおかげで、私はかなり気分が楽になった。悩んでいたこの時期に、石津さんに学会で偶然出会えたことはとても幸運であった。そして、このときの石津先輩との出会いが、今も続いている「北陸ゼミ」という眞邉ゼミ生3名(もう1人は酒井さん)による自主的勉強会につながっている。
 ひとつ残念だったのは、学会会場のすぐ傍にあった楽器博物館へ行く時間的余裕がなかったことである。次回の楽しみと思い、浜松を後にした。浜松は音楽が盛んな町である。オーケストラがあるしピアノの国際コンクールもある。
 帰りの新幹線で、浜松駅で買ったうなぎ弁当を頬張りながら、今回の学会参加によって嚥下や認知症に関する勉強ができたこと、眞邉ゼミで頼りになる優しい先輩や仲間を持てたことの幸運をあらためて噛みしめていた。 (学会に参加した際、カメラを持ってこなかったため、学会事務局の宇野木様、学会会場のアクトシティ浜松様に写真を借用致しました。どうも有難うございました。)

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