国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎
ホノルルからマウイ島へ向かうため、ハワイアン航空に乗り継ぐ。
成田からの飛行機は日本人ばかりだったのに、ハワイアン航空の待合室には、僕たち家族以外の日本人は、若い男性が1人だけだった。
ロビーの椅子はビックサイズで、外国人の親子が絨毯の上を素足でくつろいでいる。
日本から一緒に来た人たちはホノルル滞在の人が多かったのか、アロハ航空に乗ったのか、どこに行ってしまったのだろう?
さわやかな朝の光の中を飛ぶこと数十分、大きな雲を抜けると、海の中に緑豊かな広々とした島が見えてきた。
カフルイ空港からホテルのあるカアナパリまで車で1時間位。どこまでも続くさとうきび畑の中を走り、島でたった1つになってしまったというさとうきび工場が見える。
その後、海岸線に沿って走ると、すがすがしい眺めと、赤くて力強い岩肌が風土の違いを感じさせる。子供たちは移動の疲れで車に乗るや、すっかり眠ってしまった。
ホテルに着くと、早速周りを歩いてみる。ビーチが目の前に広がっている。日差しは強いけど、爽やかで汗をかかない。日本でみる観葉植物が道路わきに生えていて、葉が大きく茂っている。
翌朝は鳥のさえずりで目覚めた。半分眠っている頭の中で、「これはきっと南の島をイメージするための何かの効果音でも流しているのか」と思った。美しい響きで、鳥が大きな木の周りを飛びながら鳴いている。
コネクティングルームでは家族5人でも広々使えた。ベッドもセミダブルのサイズで、子供が眠ると埋もれているように見える。
せっかくここまで来たのだからと、翌日からは欲張って予定を詰め込んでしまった。日本でイメージしていたのは、デッキチェアに横になりながら、海辺をぼーっとしている姿だったのに。
翌朝8時からスノーケルツアーに参加。港までの遊歩道ではジョギングをしている何人もの外国人とすれ違った。朝から虹も出ている。
100パーセント英語でのツアー、参加者は30人位いたが、その中で日本人なのは僕たち家族だけ。風が強くて、少し肌寒かった。
出航してすぐにまた港に戻り始める。どうしたのかと思ったら、日本人7人家族(おじいちゃん、おばあちゃん、若夫婦、そのお子さん)が遅れて来たためだった。
日が照っているのだが、風が結構強くて、僕以外の家族は、この後ひどい船酔いになるのだった。
パンと飲み物の軽い朝食を船でとる。それから、シュノーケルのポイントまで連れて行ってもらうのだが、子供も妻も段々頭が下がってきて、かなり気持ち悪そうだった。
海は真っ青で、ところどころ大きな雲も出ていたが、青空で申し分ない天気のはずなのに、船の上下のゆれは続く。
やっとポイントに着く。説明があり、水中メガネやスノーケル、フィンを借りて、海へ下りようとしていたら、次女が吐いてしまった。
スタッフがすぐに片付けてくれて、話しかけられる。「ジンジャー」と言って差し出されたのは、どうやら酔い止め薬らしい。
船にいるよりは、海にいる方が気分は良いので、入って魚が泳ぐのを見たりして過ごす。
三女は足が着かない海へいきなり入るのが怖いのか、風が強くて寒いのか、震えていて、防寒用のスーツも貸してもらったが、結局すぐにそこのポイントでは船からあがってしまった。次女は海の中では元気になって泳いでいた。
次のポイントに移動する時、またエンジンを止めて何かを探しているようだった。どうやらイルカがいるポイントのようだ。けれど、この何もしないで、漂っている時が1番気持ち悪いのだ。
見つからずあきらめて船が進むと、すぐそばで何かつるっとした頭のようなものが波間に見えた。海亀だ。足をパタンパタンさせて泳いでいる様子は、とても可愛らしい。
壊れた橋のそばのポイントには魚が多いという説明で泳いだが、水に細かく浮いている物があって、水も透き通っていない。
その後、船に戻って昼食にパンとチキンとゆでたとうもろこしなどが運ばれたが、僕以外のうちの家族は誰も食べられなかった。僕はチキンをお代わりした。
外国の人たちも並べてあるチップスターなどのお菓子やフルーツ、飲み物などを食べたりとったりして談笑している。船酔いとは無関係な様子だった。
遅れてきた日本人家族たちも、ほとんど料理に手をつけないでスタッフに皿を返していた。やはり船酔いだ!
帰りはエンジンを止めて、帆をはって、風の力で帰る。やはり風が強い所なのだ。
妻とは今まで何度もクルージングに参加したことがあるが、初めて船酔いを経験したと、ぐったりしていた。「もうダメだと思ったけど、眠ると何とかなるんだね。」と長女が笑った。
その後、夕方からは星空ツアーに参加した。ハイアカラ火山に車で連れて行ってもらって、サンセットと星空を観測するというものだ。日本語がとても上手な韓国人のガイドさんだった。
富士山位の3000m級の山だったので、途中何度も休憩と取りながら、ゆっくりと登ってくれた。中腹では山すそがなだらかに広がり、西日の暖かな光の中、遠くの海まで見渡せる雄大な景色を眺めた。
あちこちに乾いた糞が落ちているのは、牛が放し飼いされているからとのことだった。馬の姿もあった。ガイドさんが呼ぶとそばに来た。乾いた草をその馬にやってみせてくれて、子供たちにも草を取ってきてやらせてくれた。
ハイアカラ国立公園に近づくにつれ、気候が涼しいから肌寒いに変わってきた。植物や木もまばらになり、周りの景色がゴツゴツした岩肌になる。
夕日が沈む頃を見計らって、ちょうど山頂に着く。「ここからものすごく寒いですから、防寒服を着て下さい。」とダウンのコートを貸してもらう。
車から1歩出るとあまりの寒さに震えた。辺りには心待ち顔に夕日を待っている人が同じ方向を向いて並んでいる。
夕日が沈み出すと、空がスクリーンの様になって、水色、うす紫、ピンク、オレンジと美しい縞が出来た。地球の影も現れて、幻想的だった。
日がすっかり落ちて暗くなると、今度は風当たり少ない場所に案内してもらい、星空観測になった。月が半月だったため、その明るさで、60パーセント位の星の数だと言われたが、「星が大きくて、とても近くに感じるね。」と、子供たちは3人とも大喜びだった。
望遠鏡とレーザーを使って、北斗七星やオリオン座、水星やアンドロメダなどの星座を初めに、一つ一つの星の名前を詳しく教えてくれる。望遠鏡から見た星は、眩しくて、生き生きとした命を感じる。
月のクレーターも望遠鏡からのぞいたものを写真に撮った。「これで、『宇宙に行ったよ。』と話してごらん」とガイドさんが笑った。
流れ星が何回も落ちていく。「女性の中には、涙を流して感動される方が結構いらっしゃるんですよ。」山の下の方で、街の光が瞬いている。
美しい自然とのんびりした雰囲気のマウイ島の2日間は、あっという間に過ぎた。マウイ島のみの観光にしたかったのだが、申し込みが1ヶ月を切っていたので、マウイ島4日間はホテルが空いていなかった。そして、ホノルルに戻るツアーとなった。
ホノルルでは、日本にいるのと変わらない街の様子を感じた。海辺もテレビでお馴染みの風景だ。買物に興味のない僕たちは、マウイ島の豊かな自然が懐かしかった。
オアフ島でも指折りの美しさを誇るカイルアビーチでの無人島探検ツアーに参加する。去年、沖縄でカヤックを楽しんだ次女が、またやりたいと言うので、シーカヤック体験をする。
5人家族の為、2人ずつと1人に別れて乗るように言われる。長女が1人で、僕と三女、妻と次女の組み合わせ。
長女が1人で乗るにあたって、本人も妻も不安に思っていた。そのことをスタッフに伝えたからか、実際、海に出ると、1人でカヤックを操る長女に、スタッフが代わる代わるパドルの使い方を側まで漕いできて、「右漕いで、もっと右に」と細かく教えてくれたため、どんどん沖の方へ進むことが出来た。
ところが、妻と次女は、向かおうとしている無人島とは反対の左の方向へ進んでしまう。長女の心配をしていた妻とやる気満々だった次女のカヤックは波と平行になって、ついにはひっくり返ってしまった。
浜辺にいたスタッフのおじさんが一緒にカヤックを起こしてくれたが、「砂まじりの波にもみくちゃにされて、しょっぱい海水は鼻と口から入るし、波が荒い。」と妻が言った。
子供はカヤックにぶつかったらしく、口からちょっと血を出していた。スタッフのおじさんも自分のメガネを失くしてしまったようだ。
いろんなハプニングもあったが楽しかった今回の旅行は、僕が店主となり、定休日をなくし、5年ほどかけて、この日のために少しずつ貯めた貯金をはたいて行ったものだ。
長女が中学に入学して、毎日部活(吹奏楽部)に忙しくなり、これからあまり家族で旅行にも行けないだろうし、三女だけは今まで海外に連れて行っていないので、せっかく行くならと、ハワイ島を選んだ。
長女は中学校に入学してから、「英語なんてつまらない。全然興味がわかないし、覚える気になれない。」と話をしていて、困ったものだと思っていた。
けれど旅行後には、何か心に感じるものがあったらしく、英語も自分で勉強をしだした。そして、夏考査でのリスニングの問題が「なぜか分からないけど言っていることが、よく分かったんだよ。」と驚きながら、全問解けたこと喜んでいた。
7月29日に放送されたNHK総合テレビ「難問解決!ご近所の底力」。その番組がきっかけとなり、同じNHKの別の番組のディレクターから連絡が入った。商店街で前回のように集まり、一斉打ち水の撮影をして放映したいとのことだ。
その番組は、NHK総合テレビ「ゆうどきネットワーク」。放映は、僕が旅行中の、8月23日夕方5時15分。
撮影日は、商店街の多くの店がお盆休みの時期で、たいていの店が休みだったため、当初予定していた撮影日を1日ずらしてもらった。休み明けの店の方に、撮影時間直前まで、あきらめずに、声かけをした。何とか雰囲気を、前回の撮影の時と遜色ない形にできたと思う。
今回リポーターとして来て下さったのが、気象予報士の中村次郎さん。店の前で打ち水のやり方を説明させてもらった。
また、以前情報誌「朝日タウンボイス」の「ねりま生活応援団」コーナーに商店街を紹介したことがご縁で、面識のある、春日町のサンリーム商店街の渡辺さんから、恒例の夏祭りでの出し物を相談されて、打ち水を紹介した。そして、実際、区役所の環境政策課に協力を依頼して、打ち水を実施されたそうだ。
そして、9月7日発行された、人・街・元気マガジン『ぱど bX50』(212板橋区・東上線エリア)、情報発信コーナー「マンスリー地元ガイド・商店街を歩こう」で、きたまち商店街が、1ページ全面の特集記事となった。
きたまち商店街が力を入れている事業である、「わくわくカード」「きたまち阿波踊り」「打ち水大作戦」や、観光資源として、「北町聖観音座像」など、カラー写真で紹介された。
この記事の中で『この街この人』というインタビュー記事が掲載された。
『「きたまち打ち水大作戦」の仕掛け人、若山さん。誰でも気軽にできる環境活動と、近年注目をあびている「打ち水」を、地域貢献の一環としてはじめました。商店街の枠を超え、活動への参加を呼びかけたことが実を結び、3年目を迎える今年は、周辺2商店街を含む、およそ100店舗が協力してくれたといいます。このような地域活動を通して、各商店と地域の人々といったコミュニティの活性化を考える若山さんに「きたまち商店街」の魅力を問うと、「とにかく人が温かい、知れば知るほど味が出る街ですね」と応えてくれました。』
『ぱど』では、このコーナーは今回が初めてということで、きたまち商店街に続いて、今後、東武東上線沿線の商店街を次々に取り上げていくそうだ。
10月26日、僕が事務局を務める練馬商人会の4回目の会合を顧問である二瓶哲先生の事務所、株式会社タップクリエート・創造経営研究センターで行った。
テーマは、練馬商人会の仲間の赤井茶店の創業100周年について。また、東京商人会の結成について。
今回の会合は、二瓶先生にゆかりのある板橋区「マルフクベーカリー」の阿部さんや、豊島区「並木米穀」の小木曽さんをゲストに呼び、参加された方々の近況報告はもちろん、年内に練馬商人会と関連させて結成する、東京商人会について、先生や皆さんと話し合った。
練馬商人会は、一昨年の12月に、練馬区内の商店街(きたまち商店街・ニュー北町商店街・大泉学園町商店会・石神井公園商店街)で商売を営む若手商店主同士の交流を通して、商人としての志を高め、それぞれの個店の活性化を目指そうと結成。仲間が活発に店に行きあう交流が多々あり、お互いに刺激しあい、切磋琢磨している。
僕も日々仕事に邁進しつつ、東京都や練馬区、商工会議所などの研究会には、今も頻繁に参加している。スキルアップはもちろん、そこで得たものを自分だけでなく、気の合う仲間に伝え、話し合い、新たな発想を得ている。
結成以来2年が経ち、さらに充実をと、この練馬商人会と連動させて、東京都に住む練馬以外の他地域の若手商人で、やる気のあり、かつ人柄が良い仲間に声をかけ、東京商人会を年内にも作ろうと動いている。
「店にいつも来て下さっているお客様はもちろんのこと、ふらっと来て下さった方にも、少しでも幸せな気持ちになってもらえるような店でありたい。」
そのために、店での努力はもちろん、お客様からも、仲間からも力を日々いただいている。
なお、この連載は今回が最後となります。お読みいただいた、読者の皆様、そして、編集にお力をいただいた電子マガジンの実務担当者様方、本当にありがとうございました。
今まで書いた文について、読者の方が1つにまとめて下さいました。お時間がある時にでも、また振り返っていただければと思います。
http://www.kitamachi.or.jp/newpage6-7-4.htm
最後に、昨年亡くなった、父が生前いつも口にしていた言葉、「人に対する気づかいと思いやりが何より大事だ」これをこれからも大切にしていきたい!