新・どうでもいいことばかり(1)
宴会が嫌い?
国際情報専攻 5期生・修了 寺井 融
昔、政治関係の職業に就いていたためか、“宴会好き” と思われている。実は、そうではない。なるべくなら、避けたいクチである。
そうではあるが、リタイアすると時々、民社党本部の宴会を思い出す。忘年会は、いまは取り壊された、東京新橋の新橋亭(しんきょうてい)本館で行われることが多かった。
まず総務局長の開会の挨拶があり、続いて、春日一幸常任顧問による挨拶と乾杯の発声がある。
「諸君! 今宵は、忘年会だ。日頃の激務に感謝している。ここの中華は絶品だ。日本一の中華で、慰労するぞ。今日は無礼講(ぶれいこう)である。大いに食べて、飲んで、談じてくれ。さぁ、乾杯だ!」
「乾杯!」
丸テーブルの対角線上に、党幹部の国会議員2人が座り、間(あいだ)の席を籤引(くじび)きで職員が埋めていく。幹部がいわばホストであり、主役は職員なのである。“無礼講”という言葉に浮かれたのか、文字通り、無礼を働く者も、たまには出てくる。
総選挙が終わって、ほっと一息の宴会でのこと、中堅になりかけの男性職員が、落選した大幹部に対し、直接「党が負けた象徴は、あなたが落選したことですよ」と言い放った。
事実だが、こんなこと、本人に向かって言うべきことではない。言われた大幹部、見る間に、顔を紅潮させていった。
「何も落選したくて、したんじゃないぞ。同志の応援のため、全国を走り回っていたためだ」
「そりゃ、当然じゃないですか。大幹部ですもの。応援は」
「ナニッ」
双方、立ち上がった。まわりが止めに入って、事なきを得た。翌日、その職員が幹部職員とともに、大幹部宅に詫びに行って、一件落着した。報復人事もなかった。大らかなものである。
本部職員だけでの親睦旅行も、よく行われた。温泉地に出かけ、風呂に入って大宴会となる。2次会もあって、酒、酒、酒。二日酔いが抜け切れないまま、翌日はゴルフ班、観光・散策班などに分かれての班別、また各個人の自由行動となる。行き帰りのバスの中では、またビール、ビールである(民社党本部時代の話は、時評社刊の拙著『裏方物語』でも明らかにした。ご参照下さい)。
そんな職員同士も、議員と職員が交じり合った宴会も、新進党では格段に少なかった気がする。私の送別会を、鳩山邦夫広報企画委員長(当時)が開いてくれ、小池百合子同副委員長(当時)や職員の仲間が出席してくれて、大いに盛り上がったことだけが、楽しい思い出である。
昭和の宴会には、カラオケみたいなものはなかった。ひたすら飲み、食い、あいまに「それいけ」の掛け声で、歌が始まった。「武田節」や「信濃追分」など、お国自慢の民謡大会になることもあった。もちろんアカペラである。
最近、宴会に出席すると、決まった席で、席の移動もかなわないことが多い。となると、向こう三軒、両隣りではないが、話す人が限られてくる。よい人たちに恵まれたなら、それはそれで楽しいのだが、そうなると宴会ではなく、ただ気のあった友人同士の飲み会になってしまう。そうでない場合は最悪で、お喋りの私でも、会話が苦痛となり、ひたすら飲み、食べるしかない。
最初から、カラオケ屋で宴会が開かれる場合もある。最近は、食べものが充実してきたから、味は満足なのだが、会話は少なくなる。義理で拍手するのも辛い。歌うのが苦手(音痴なのです)な当方、なるべくカラオケ付宴会は避けたいものである。
と書いてきて、一度だけ、すこぶる楽しかったカラオケ宴会を思い出した。
1995年の夏、北京に行った。1975年の青年訪中団7人のセンチメンタル・ジャニー旅行で、桂林、西安を回って、首都に入った。下町の胡(フー)同(トン)巡りや下放青年の食事を出す文革食堂などを楽しみ、夜の宴会のあと、蒋介石の元の別荘に行った。高級カラオケ屋となっていた。貸し切りであったたため、メンバーが次々と立ち、歌いまくった。音痴君も、2曲しかない持ち歌「若い二人」と「惜別の歌」を歌った。「青い山脈」「学生時代」「高校三年生」「青春時代」などは、合唱である。同じ世代の気のおけない友たちによる宴(うたげ)は、気持よく時間を忘れ、深夜までになってしまった。
話は替わる。
40代前半のとき、民社党で団体渉外局次長を務めていた。業者団体、消費者団体、宗教団体など、選挙などでご支援をいただく団体との交渉の窓口である。ときは、バブルの時代である。12月ともなると、連日、宴会が続く。プライベートな忘年会も含めると、20回を越えていたのではないか。
昼は中華、夜がフランス料理のコースという日もあれば、2日続けてシャブシャブというときもあった。接待だから、一流どころで行われる。おいしかったはずだが、ヨイショに一所懸命で、味は覚えていない。午前様も、常態であった。 その仕事に精励したこともあって、糖尿病になってしまい、今日に至っている。
リタイアしたいま、真っ白な日程表を見つめていると、そんな日々が、懐かしく思い出されてならない。
もちろん一流どころには‥‥いや二流、三流どころも含めて、久しく行っていない。身体にはいいようだが、世間が遠くなったような気がする。