四度目のワシントンDC
―親切の金の鎖に支えられ念願叶いワシントン記念塔初登頂を実現−

国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭


はじめに
 米国の首都ワシントンは、都合4回も訪れ、その都度に目的と想い出に教訓があった。
 再来年のSCIPA 国際年次総会は、同地の開催予定で、今から想いを廻らしている。
 所謂 S-11B を鋏み、訪れているので情勢の激変を肌で感じる場面にも遭遇している。
 ’91.3.29の初訪問、生涯でタッタ1回の公用渡航の際、NY・DCの日帰往復でした。
 ‘98.7.21はサンフランシスコ→デンバー(陸路) →NY(空路) →DC(陸) →NY(空)往復でした。
 ’01.8.5はNY→(空路)DC2泊,マイアミ3泊、ミネソタ1泊で帰国した。
 ’07.5.3はNY→(陸路)DC5泊、NY経由のミネソタ1泊の帰国と記録にあった。
 映画やニュース画像でお馴染みのワシントン記念塔に親切の金の鎖に支えられ念願叶い初登頂が実現、親切な日系米国人の観光客接遇の実態と観光立国を目指す我が国の世界遺産と観光資源についての一端をも考えました。

1 世界遺産と観光資源 −問われる観光マナーと世界遺産−
 世界遺産のモンサミッシェルは、一昨年シカゴでのSCIP創立20周年記念国際年次総会の帰り、欧州の仏・英・瑞西・仏を経てNY経由帰国した際に寄った。
 パリのモンパルナスからフランスの誇るTGVでレンヌ、バスでモンサンミッシェルへ往復。レンヌからモンパルナス(パリには「パリ駅」という駅は無い。7つの国鉄駅が点在している。行き先によって発着駅が異なる。どの駅かを確認、その間の移動手段の地下鉄メトロやRERという都心と郊外を結ぶ電車とバスの所要時間の把握が、極めて重要。)を経てメトロで、シヤンゼリーゼ通りのホテルへ戻った。観光案内書は日帰り無理とある。パリ朝7時発、夕7時帰着、現地5時間は十分に世界遺産を堪能出来て、島全体が別世界のユッタリとした雰囲気に包まれており、教会やレストラン、土産店は静かな佇まいで静寂な雰囲気は、観光客をも喧騒と性急と峻別されて不思議とスローな動作をしていた。 ユネスコは’72「世界文化と自然保護」条約を採択、既に851の世界遺跡を登録している。
 世界遺産条約は、人類にとって重要な価値の存続、将来に恩恵を齎すものの保護が目的、戦略的に整備、価値を人類の遺産として活かす指針は5つのCと言われている。
 @ Credibility 信頼性 
 A Conservation 保存性 
 B Capacity Building 能力の開発性
 C Communication 意思の疎通 
 D Community Involvement 地域社会の参加は、世界遺産の価値を高める鍵である。
 私は一昨年米テネシー州とノースキャロライナ州に跨るグレートスモキー国立公園の中にあった地元大学研究グループ設置の熊の保護区域の看板を想起した。
 29号電子マガジンで紹介した南豪のカンガルー島の海浜のレンジヤーの毅然たる動物保護海浜制限区域での立入人数制限や動物への接近制限距離に対する対応の厳しさを誇りと威厳に満ちての職務執行の場面に遭遇した。写真のベストビューポイントを尋ねると懇切丁寧に博識と体験からの教示を享受した。南豪州政府の公用名刺は、以下の記載があつた。
Government of South Australia Department for Environment and Heritage Regional Conservation Seal Bay Conservation Park Kangaroo Island Kenedy Claarnce

Great Smoky Mountain N P TN USA ’06.4.16


2 券2枚あります。
 正式呼称”Washington, District of Columbia”,「ワシントン・コロンビア特別行政区」です。
 全米50州のどの州にも属さない連邦政府直轄地で、特別行政区に、連邦政府の立法、司法、行政の機能と世界最大の博物館群であるスミソニアン協会の18博物館と美術館・動物園が存在し、住民は公務員と弁護士・外交官とその 関係者のみ、その所為かインテリジェンスな雰囲気が漂う街でした。
 米北西部のワシントン州との混同を避けるために”Washington DC”・単に”DC”で通じる。
 DCは米合衆国の中心地であるばかりか、世界の政治・外交の中心地でもあり、お堅いイメージよりも見どころやシヨッピングやレストランは各国料理が楽しめる街だった。
 DCの象徴的なワシントン記念塔には未だ登ってはいなかった。今回は遅いブランチはホワイトハウスを眼下に見下ろす、吾がワシントンホテルの5階スカイテラスで執り、記念塔に向かった。このテラスは、各種の映画やTVでのシーンでお馴染み場所です。
 Washington Monumentは合衆国初代大統領George Washingtonの偉業を讃えた建造物、高さ169.3mの現存全米No1の高さを誇る石造建築物で、DCにこれより高い建物は無い。建物高度条例(1899)は、DCにこれを上回るものは建設させない。1959年製のエレベーターは70秒であまり広く、しかし、自由の女神の塔よりは4倍程広い最上階展望室に着いた。
 そのDC中央に位置する塔の最上階は東西南北に各2つの窓から360゜でDCを見渡せる。
北方はホワイトハウスが眼下に、’01.8には内部の見学を果たしていた。1ケ月後のS-11以降の見学中止措置は未だに解除されていない。その時は恒例の大統領記者会見場を通り裏門から退出した記憶が蘇った。当時の印象は、期待が過大で、やや期待外れ、我が国の官邸や迎賓館の威容に数回直に接していたので、その方が素晴らしい印象がある。米国人には象徴的建物で盛んにシヤッターを切っていたのが印象的でした。
 東方はDCの駅ユニオンステーションやS-11後は見学中止のFBIビル、真東は米国会議事堂が聳え、真西はリンカーン記念堂で、この一帯は誇りを込めてThe Mallと呼ぶ。
 南方は、大西洋へ注ぐポトマック河畔は東京の尾崎市長が贈った桜並木が綺麗、’91.3に来訪した時は、桜花爛漫の河畔で日本の贈物を示すプレートをArlington Memorial Bridgeの左岸で発見、大いに感激しているとAre you from Japan?と声を掛けられてドキマギしたことが過った。大勢の各国人が桜花を楽しむ風情に感銘し、国際親善とは息の長いものだと再認識した。帰国後に東京中野の警察大学で桜が咲き誇る校庭を帰朝報告書作成中に教授室から眺め、年に2度も花見を果たした懐かしい想い出が脳裏を翳めた。右岸はDC空の玄関ロナルドレーガン国際空港から離陸する多彩な航空機の眺望は飽きなかった。でも米国各地からの観光客は、各自は約2〜3分で次の方に順番を譲っている。そのマナーの善さは多国籍民族の国なる所以かとも思った。登頂の時間待ちの間に米国各地のテキサスやワイオミングからの観光客と噺が弾み、私共の4度目のDC来訪には誰もが驚愕の念を隠さなかった。素直に他人の経験や噺を傾注する国民性が好きである。
 西方に目を移すと遥かにペンタゴンやケネディが眠るアーリントン国立墓地が見えた。
ペンタゴンシィティは訪れたが、ペンタゴンも内部見学禁止措置中で行かず仕舞いでした。アーリントン国立墓地は’01.8にはユックリと訪れて、20代の頃にケネディ暗殺ウォーレン報告書を読み、不躾にも米国大使館に矛盾点を質していた経緯がある。(米最高裁判所長官ウォーレンは真相解明委員会委員長としての報告書所謂『ウォーレン報告書』の記述の中で『大統領を狙撃の銃声とバックミラーで確認した先導中のダラス警察署長はハンドルを右に切って近くの病院へ急行先導した。』の記事にハンドルを右に切ったら、路外に出るし、署長が運転とは止笑千万だと指摘した。答えは「右側通行だから、ご指摘の通り左です。誤訳でしょうか。しかし 署長の先導車運転は米国では常識です。」は半信半疑だった。’92,3ホノルルのLee D.Donohue警察本部長が自ら、公用車を運転してホテルに私を迎えに来た際に同様の質問に、州ではお抱え運転職付(Chauffeur)は、州知事のみとの回答に接し納得した。)墓苑はボトマック川の右岸のDCの郊外バージニア州側で、250万平米の小高くポトマック川を越えDCを見下ろし、The Mallが一望出来る景勝地に建立されている。’63年遊説中にダラスで46歳の若さで亡くなっ35代大統領JFKと’94に亡くなった同夫人だったジヤクリーンの墓が寄り添うように、その右に眠る。
 最も高い場所に鎮座する大理石の墓標は1.2次世界大戦、朝鮮、ベトナム、イラク、アフガンなどの無名戦死者30万を祀り、陸軍兵士が24時間体制で護り、夏30分、冬1時間交代で、交代儀式のセレモニーがあった。
記念塔へ下調べを済ませホテルから徒歩で10:30に塔下部のブースを尋ねた。「整理券?」と尋ねると近くの白いブースを係員は指差して教示したので向かうと無人で張り紙はSold Outでした。戻って午後の分は聞くと「Sold Outは総べて無い明日に挑戦しなさい。」とその時思いもかけぬ「券2枚あります。不要になりましたので、お譲りしましょう。」と日本語で呼びかけられた。

Robert A. Rinaldiご夫妻
 『先程から聞いていました。日本の方ですね、私は日系米国人で夫と友人二人の4人で見学予定でした。友人二人は体調不良と今判明し、夫を待っています。券2枚あります。』とのことでした。
 以前ホワイトハウス入場券は事前スタンプが腕に無いと入場不可能でしたが、と聞くと先程の係官も「No problem」と、その方のご厚意により前述の眺望を堪能しDCの善い思い出に1頁加えた、異国での親切な同胞に感謝している。
 ご主人も到着し、名刺は元U.S. Department of Transportation Federal Motor Carrier Administration の Managerの要職にあったRobert A. Rinaldiご夫妻でした。当方もNihon Univ GSSC M.A.I.P.S.Eの名刺を交換し、彼は先ごろ退役した公務員でお互いに公務員の退役者の話は、彼の在日時の空軍での活動に話題が集中した。
 

3 外国人観光客へのスタンス
 10月末〜11月初旬の週の私の手帳には、「メトロ新宿駅で、パリからの男性外国人『国会議事堂』へ」「JR恵比寿駅埼京・湘南線ホームで、アルジェリアからのペア外国人『新木場への電車』へ」との記載があった。
 東京オリンピック以降、私は道に困っている外国人は目線で解り、週に平均2回程度の道案内をしている。彼らは私にとっては「歩く教材」と認識し、私共は外国で、一度も間違って案内された経験はない。感謝の念を込めて案内を継続中で、前述の恵比寿駅の発着表示板は同じホームから湘南方向が先、新木場方面が後でした。改札を出てから駅員に事情を話し、戻り、先程の外国人の居るホームに急ぎ、「次の次に乗車」と告げると笑顔でAppreciateと応えた。Have a nice dayと返すとYou too, Thank you so much!との言葉は達成感と充実感を味わえます。

此処は何処でしょう。判明した方は旅名人。
 
“徳は孤ならず必ず隣あり” 論語   Virtue, the safest defense. 仁者無敵。






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