「東武練馬まるとし物語 第三部」

 その六 「みんなの輪」

国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎

 春のさわやかな風が、街に流れていく。物事は見方や考え方次第で、大きな差が生じるように思う。大きな風や小さな風が、みんなの心を動かすようだ。

 きたまち商店街のホームページは、立派なものになった。その作成や更新は、商店街のある商店主の方が日々こつこつと、仕事の合間に行ってくれているお陰だ。

 商店街では、予算のない中、作業がしやすい様に思いきって、そのホームページ管理者用の持ち運びができる、新しいパソコンを購入した。

 そのことで、組合員だけでなく、街路灯費を毎月実費負担してくれている店も、ショップ一覧に加えて、無料でページを作れるような、画像容量に悩まない体制ができた。実現には、みんなが後押しをしてくれた。

 こうして、商店街で長年商売を行っている方が、ご自分の1番得意な分野で、商店街運営の新たな側面から関わって下さるようになったことは、何よりうれしい。





 いつものように、大泉学園町商店会にある、練馬商人会の仲間の店に買い物がてら顔を出した時に、商店会のブランド品として、純米吟醸酒の「桜泉」というお酒が発売されることを知った。発売前であったが、立ち寄った片山呉服店の片山さんに声をかけてもらい、1本買うことができた。

 大泉学園町の三大お祭りの1つである、「桜まつり」の翌日、ナカタヤの中田さんが店に家族で食事に来てくれた。そして、その時、貴重な「桜泉」をみやげに持ってきてくれた。会場での限定販売分は、即、完売だそうだ。

 大泉学園町の「水」と、山口県の「桜酵母」を小仕込みによる酒造りには、多くの方が関わられているそうで、美味しくいただいた。

 「桜泉」には、大泉にお住まいの漫画家による「桜泉誕生物語」という漫画もついていた。その話では、練馬商人会の仲間の3人も堂々と登場、商品開発に大きな力を発揮している。





まるとし1  5月13日、石神井公園およびその周辺で「照姫まつり」が行われた。華やかな時代行列を最大の見どころとする春の祭典は、今年で20回目を迎えた。

 一昨年は、重臣役、去年は、輿警護武者役を務めたことは、以前にも書いた。(第20号・第24号参照)

 そして、今年、念願であった、親子共演が実現した。人気の稚児童姫役に次女と三女が選考されたのだ。僕は、旗持ち武者役となった。

 本番の早朝、衣装が並べてある小学校の体育館に入った。それぞれの役ごとに雰囲気のある着物や鎧兜があり、その側には名前の紙も置いてある。

 集合時間より、かなり前についたつもりだったのに、同じ稚児童姫役の子供たちの半分くらいは来ている。

 2人の娘は自分の名前を見つけると、うれしそうに、そこに座った。もうすぐこの衣装を身に付けられるんだと、わくわくしている様子なのが分かる。

 そして、手際よく着付けをしてもらい、髪の毛やメイクをほどこすと、すっかり可愛い童姫になった。

 頭の飾りが少し重くて、傾きそうになるのが気になるらしかったが、親子3人で写真に納まることが出来た。

 例年の照姫まつりは、4月下旬の日程だったが、選挙の時期と重なったことで、開催時期が5月となった。

 時代行列をするには、むし暑いが、さわやかな五月晴れの天気に恵まれた。昨年の雨模様を思えば、今年の行列は大丈夫だろう。

 殿様である豊島泰経の役は、毎年芸能人が扮するが、練馬区独立60周年をかけて、夫婦そろって60歳を迎える、田辺靖雄さんと九重祐三子さんが、泰経、奥方になった。九重さんが行列で通ると、人垣から「コメットさん」と声がかかった。

 子供や僕のシャッターチャンスをとらえようと、静かな裏通りで待っていた妻が、「見物人が少ないところでも、九重さんはにこやかに手を振っていらっしゃるのが印象的だったわ。」と言っていた。

 石神井公園内や、石神井公園駅前と2度行う、ステージでの演技は、次女が演技をすることより、キョロキョロと客席にいる妻の姿を探しているのが分かった。

まるとし2  無事に行列を済ませて戻ってきた、僕と子供たち。やっと飲み物や食べ物を口にできた。妻は、物産品やたこ焼きなどを買って、先に体育館で待っていた。

 「本当に楽しかった。楽しかったけど、この衣装すごく暑いんだよ。昔の人はこんなに重ねて着物を着ているなんてすごいね。」と三女が言った。

 この日行われた、「照姫まつり」は、史上最高の来場者を迎えたそうだ。ケーブルテレビでは、1時間にわたる野外ステージでの演技が完全生中継された。泰経公の前を先導した僕や2人の子供たちの姿もそこにあった。





まるとし3  春から夏へと季節も移り変わる。今年は猛暑という予報も耳にする頃、商店街の会議で、今年の「きたまち打ち水大作戦」の日程について、話し合った。

 僕からは、昨年と同じ日程での8日間開催という提案をした。それを1週間早めて、特に人が集まる、7月28日(土)の「きたまち阿波踊り」の日も入れて、午後の打ち水を1時間遅くし、阿波踊りを観戦しようと場所取りをしている人たちにアピールをしてみてはどうかという貴重な意見もあり、予定を組むことにした。

 北町は東西に長く3つの商店街が連なっている。昨年は、2つの商店街で共催することができた。今年の「きたまち打ち水大作戦」では、あと1つの、北一商店街の方々にも参加してもらうことが、この2年越しの願いだった。

 店のお客様はもちろん、地域に住まわれている方々には、商店街ごとのくくりはない。でも商店街からすると、それぞれが独自性を持つ意識が強く、そのギャップは大きいものである。

 企画書等を用意し、きたまち商店街の理事長から、北一商店街の理事長にお話をしていただけることになった。もちろん他の理事も了承していただけた。

 また、隣のニュー北町商店街での会議にも出席し、この打ち水の日程に合わせて、今年も共催という形で開催出来るよう話を進めた。練馬商人会の仲間であり、ニュー北町商店街の理事長の岡本さんにも、大きな力をもらった。

 ありがたいことに、当初からの僕の目標であった、3商店街合同開催の「きたまち打ち水大作戦」は実現した。北一商店街は、夕方歩行者天国になるので、午後のみの打ち水への参加ではあるが、みんなが街のために力を合わせられる。

 「第3回きたまち打ち水大作戦」は、7月25日(水)から8月1日(水)の8日間の開催。1回目11時30分。2回目16時。ただし、28日(土)の「きたまち阿波踊り」の日のみ、2回目17時。

 話は前後する。6月に入り、このように、会議で予定を進めている時に、1本の電話をいただいた。相手はNHKの番組のディレクターから「都内各所の打ち水を取材した結果、とても脂がのっている、きたまち商店街を番組で取り上げたい。」とのこと。そして、商店街の会議でも、撮影の話にみんなが協力してくれることになった。

 一週間ほど、商店街での撮影があり無事終了した。その後行われたスタジオ収録に僕が呼ばれた。有名芸能人の楽屋が並ぶ中、用意されていた大きなスペースの1人部屋には驚かされた。リハーサルではなかなかうまく話せなかったが、本番は何とかこなすことが出来た。

 その番組、「難問解決!ご近所の底力」は、7月29日の朝10時5分から、NHKの総合テレビで放送された。その内容については、以下、番組のホームページより、その一部紹介させていただく。




     

『東京・練馬区の「きたまち商店街」では、夏場、暑さをしのぐため、町をあげて通りに「打ち水」を行っています。昔ながらの知恵ですが、涼しさを長続きさせるには、様々な極意があるんです。

@「みんなで一斉にまく」
一人だけで水まきしても、道路にたまった膨大な熱の影響を受け、水がすぐに蒸発し、効果が小さくなってしまいます。みんなで時間を決め一斉にまけば、一気かせいに熱を奪うことができ涼しさが長持ちします。

A「朝と夕方にまく」
昼間暑い盛りに水をまくと、すぐに蒸発するだけでなく、空気をジメジメさせ、むしろ不快になることがあります。朝、まだ日ざしの弱い頃にまけば効果が長続きするほか、夕方や夜にまけば、寝苦しい熱帯夜を緩和することもできます。

B「日陰や風通しのよい場所にまく」
日なただけでなく日陰にまくことで水の効果が長持ちします。また、風通しのよい場所に打ち水すれば水が蒸発する際に作る冷気が町に流れ出し、涼しさが増します。

C「水道水は使わない」
「きたまち商店街」では、原則として水道水は使用していません。“風呂の残り湯”“冷蔵庫に貯まる水”などを再利用して使っています。 』

     


 放送後、番組をご覧になった方から、多くの方から、声をかけていただけた。時代なのか、いろいろなブログ等でも、この放送内容を紹介していただけているのは確認できる。

 その中にも、しっかりと番組をご覧になり、心に残る言葉を書いて下さる方もいらっしゃる。以下、Braintrustの川名様のメルマガ『 街づくり・店作り・人づくり 2007/7/31 366号【打ち水】で街づくりなんて、いかがでしょう』より。




     

 『街ぐるみでの【打ち水】運動。2年前から取り組んでいるのは、練馬区きたまち商店街(東武東上線駅前)です。 この商店街のある通りは、川越街道(中山道の脇道)の旧道にあたります。お昼前と夕方の二回、町内放送で「打ち水タイム」を知らせる音楽とアナウンスが流れると、あちこちの商店からバケツと柄杓を持った人たちが現れ、打ち水を始めます。』

 『興味深いのは、小売店や飲食店の人だけではなく、信用金庫の職員や、病院の職員が、一斉に外に出て、水を撒き始めるのです。
 その街で働く人同士が、顔を合わせるチャンスができるだけでも、すごいことです。
 考えてみれば、昔の商店街では、普通の風景だったように思います。朝は、店頭から店前の道路の掃除をして、打ち水をして、店の入口には、盛り塩をして、お客さまを迎える準備をしたものです。
 打ち水というのは、茶道でも、客を迎える準備の、重要な要素です。十分に、水を撒いてから、客が歩く石畳などの余分な水溜りを、雑巾で吸い取っておきます。客の履物や着物を汚さない配慮です。
 そういう文化が、江戸時代には、町人まで行き渡っていたのですね。』

 『エアコンが普及してから、夏場も冬場も、各商店の入口が閉ざされてしまいました。
 その結果、店内の環境は快適になりましたが、店前を通るお客様や、隣の店の人々と、気軽に言葉を交わす機会が減ってしまいました。
 この【打ち水】、ほとんどお金をかけないでできる、商店街活性化の方法として、とても有効だと思います。商店街を歩いたり、車で通るお客さん予備軍も、喜んでくれるはずです。
 欲を言えば、朝の通勤時間帯にもやりたいですね。大都市の駅前商店街では、もっとも通行量が多いのは、通勤時間帯で、お客様と挨拶しあう、良いチャンスになることでしょう。
 全国の商店街で、ぜひ、取り組んでほしいと思います。』

     


 このメルマガには、番組のホームページやきたまち商店街のホームページ内にある、打ち水の紹介ページのアドレスも書かれており、番組をご覧になっていない方にも、その意義をしっかりお伝え出来る内容になっていた。この度の機会をいただいたことに、心から感謝している。





 7月28日、恒例の「第15回きたまち阿波おどり」が開催された。心配していた直前実施の打ち水は、大成功だった。店先で飲み物や軽食を販売されている、普段交流がない店も参加してくれた。

 天気も上々で去年よりは観客も多かった。けれど今年は、新潟中越沖地震の影響で、踊り手の人数が減った。災害支援が主な仕事の、練馬駐屯場の自衛隊員の方たちが大勢支援に行かれていた。プログラムでは踊る予定だった2つの自衛隊の連が不参加となり、また、いくつかの連でも、個人的に自衛隊員の方々が、それぞれの連に参加している場合もあって、その人数が減ってしまうという事態だった。

 振り返ると、大勢の観客やスタッフ、たくさんの踊り手や連が力強く踊ってこそ、祭りは盛り上がるのだと思った。そういう年は、本当にありがたい年だったのだと思う。世の中が平穏で平和であることの大切さが感じられる祭りだった。

まるとし4  今年も踊りを続けている次女は、子供踊りの先頭だった。

 練習が始まったばかりの5月には、うちわ踊りと言って連の先頭で、うちわをひらひらと舞わせる踊りの練習もさせていただいた。

 本人も、教えてくれたうちわ踊りのお姉さんも一生懸命にやったのだけれど、6月の終わり頃、ちょっと本番までに完全マスターは難しいのではということで、来年に見送られた。来年が楽しみになった。

 「きたまちじゃじゃ馬連」の連員の方の中には、娘が踊りに参加して以来、食事に来て下さり、娘への励ましの言葉もかけて下さる方もいて、ありがたい。しっかりと安定感のある鳴り物、年々進化する踊りのコンビネーションにも磨きがかかっている。





 8月5日、トーチ出版の雑誌「S・A(Sales Adviser)2007年9月 第119号」にて、きたまち商店街が、12ページの特集記事として取り上げられた。編集長が僕の研究発表会での話を聞いたことで、取材の申し入れがあったからだ。

 記事には、商店街の成り立ちから、現況はもちろん、各種の商店街のイベントを詳しく記事にしてくれた。「S・A」は、中小小売商店の繁栄と商店街の活性化を目指す小売業界向けの業界専門誌で、みんなの頑張りは、テレビや雑誌に紹介されるまで、幅広くなってきている。

 以下、次号。



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