SCIP年次総会の途上に大願成就

                       国際情報専攻 4期生・修了 長谷川 昌昭


はじめに
読者諸賢から電子マガジン26号の「ホノルルポリスと10年目に遭遇・遂にマイアミから電子マガジンへの返書受信」の拙稿に励ましと激励を頂戴する過程において、ご指導と関心をお示し戴き、誠にありがとうございました。御礼を申上げます。今回は続編です。
1 ホノルル警察本部長の墓前に
SCIP1
故ナカムラ・ホノルル警察本部長の墓前に献花(’07.4.24)
 
SCIP2
SCIP Martha R.Matteo,Ph.D総裁夫妻と(’07.5.2)
電子マガジン26号の
『先ず 彼は私のことを勇退祝賀式典後の地元TVの臨席者へのインタビューを観て印象が残っていたとのことで、当方はスッカリ忘れていたものでした。勇退後のM S、ナカムラ・ホノルル警察本部長はハワイ大学での教鞭を執る傍ら、持病治療の通院途上で昨年交通事故に遇って他界され、残念だと冒頭に伝えられた。4月にSCIPA年次国際総会で渡米の予定もあり、是非墓前を訪れたい。』の宿願が実現したことを報告します。
SCIP総会(4/29-5/3)は、五月連休に掛かり、航空券を二人揃ってのビジネス席を確保の困難性は、先のIMFの示した’07日本の実質経済成長率は4月時点の見通しを上方修正した+0.3 の2.6%の好況感は、航空需要増に反映してビジネス席満席しため4/24出国の前倒し、5/11帰国の後倒しの已む無きとなった。
旅程は、ホノルル2泊、NY6泊、DC5泊、ミネソタ1泊、ホノルル1泊、機中3泊の18泊19日間にホノルル、ミネソタ、シカゴ、ニューヨーク、ワシントン、ポートランドの6都市を廻り、空路は国際線4回、国内線14回の離着陸、陸路のNY〜DC間は米国唯一の特急列車ACELAも利用し、6つのホテルに泊った。空路のNWのホノルル往復のビジネスは米国内線のファーストよりも設備、応対、食事は快適で、アテンダントの気配りと相俟って長躯約27,400Km(日本縦断の略10往復)の旅の前後は、ワールードビジネスクラスの真髄に触れ、将にリーズィナブルで、米系航空初の太平洋航路開設60周年も納得した。
マイルエージカードのお陰で、米国内線エコノミー航空券は、カード提示のみで、ファーストクラスへグレードアツプとなります。当然に座席・食事から出発前のラウンジンも異なります。国内線の米国人仕様の座席は、日本発の国際便よりも座席の広さは申し分ありませんが、椅子の高さは足が届かず、ピローを足元に置くらいの余裕もあった。
旅程上、総会開催前にハワイに寄り、ホノルル警察本部長を訪ねて前回の前本部長退役祝賀式典への招待(電マ17号参照)の謝意表明として家内制作の木目込み人形を贈呈した。表敬訪問は、テロ情勢の厳しい中にも世界の屈指の観光地の安寧を維持するハワイらしく、明るく市民と観光客に加えてボランテイァの協力で実現していることや前本部長は退役後にも経験を生かしてハワイ・サイパン・グアムの運輸航空保安関連企業の責任ある重要なポストで活躍中であることなどが話題でした。広報課のKau警部の案内で、ホノルル警察博物館で私の現職時代に寄贈した日本警察の警察機動隊長時代の私の制帽に再会し、世界の各国の警察の様々な制服や装備品とともに所蔵・展示されているのに懐かしく接する機会も設定するなどの肌理細かいアロハな対応でした。
霊苑は、ホノルルの郊外のほぼオアフ島の中心のCentral Oahu Regional Park近くのWaipioでした。市内からはKau警部と彼のスタッフの車で案内して戴き、30分程の真珠湾を見下ろし、遥かにワイキキを望み、遠景はダイアモンドヘッドを眺める景勝地でした。
故ナカムラ ホノルル警察本部長の眠る墓前に花束を奉げてお参りをして、冥福を祈ることができた。流石に地元では、信頼が厚く期待をされた人物の墓は、花は絶えずに一杯で、綺麗に墓守されており、泉下に眠る故人は私達の来訪を喜んでくれているとの思いがした。
故人の信任と人望を物語るものとしては、国内線(5/9)のミネソタからポートランド経由のハワイ便内で、ハワイに戻ると言う初老の紳士との機内で談笑の機会に、故人が交通事故で亡くなったことを詳しく知悉しており、「これからも活躍と言う60歳以前で亡くなり、惜しい人を失った。」と警察組織の社会的地位の高さは、安寧を重視し、それに生涯を奉じた者の真摯な努力と功績は、権限を負託する市民との紐帯の強さを感ずる話題にも触れた。
2 16年前の恩人のご子息とNYマリオットで遭遇
SCIP3
左 Michael Voelker(NYPD警察協会)恩人(A M.Voelker副総監)のご子息
右 James Luongo(NYPDマンハッタン地区捜査責任者)恩人のスタッフ
 
 私の初北米渡航は、’91の湾岸戦争直後の米国治安実態の調査研究と米国警察幹部教養の実態調査で、NYPD への公式表敬訪問団の団長の時でした。省みると今次の旅は、18回の目訪米で、その44州を踏破した。渡航は’91以降24回18ケ国193日間の個人旅行でした。
公式表敬訪問は、NYPDBAnthony M.Voelker副総監兼組織犯罪部局長とボストン公安委員会Francis M.Roche公安委員長にコロラドスプリングの米空軍士官学校でした。奇しくも A M.Voelker副総監は、’87にNYPDの人事部長として鎌倉警視総監公式表敬訪問の際に、私は警視総監の渉外担当管理官として、表敬事務をアレンジしていました。
そして図らずも3年後に再会を果たした。その時は破格の厚遇を享受し、その後もコンタクトを継続していました。その後にNYは数回訪れました。再々会の機会に恵まれずに、今次の旅は、前倒しであったことや、当方の英語力の乏しさからlong retire やpass awayは既に、退役後に亡くなったのかと思い、この度は、NYPDへ直接に伺い再確認したところ、フロリダにご健在でした。
NYPDへ直接再確認の翌日に、御子息からのコンタクトが、私共の止宿先のホテルマリオットに入り、私はセッション参加中で、家内が電話に対応した。翌早朝にホテルに訪ねてこられ、思わぬ宿願が成就しました。同氏の消息はご子息から詳しく伺い、当方との’91年当時の出逢いをご子息に詳しく伝えられており、大感激でした。
これまた奇遇なことに、同氏の往時のスタッフは、現在NYPDのマンハッタン地区捜査責任者で、その方も同時に見えて、その時私共は、当日のお昼過ぎの列車でワシントンへの移動日で朝食前の荷造りの真最中でした。
お二方は、A.Voelker氏のご意向もあって是非食事をと、一週間滞在していた世界一喧騒と人混みのNYタイムズスクェアーから、イーストリバーを車でブルックリン橋を渡り、ブルックリンハィツの一角にある清楚で静寂な佇まいのレストランへ誘われ、氏の話しに華が咲いた。氏は往時 既に62歳で、その直後に退役、引き続きセキュリティ関連で活躍されて、現在はニューヨークとフロリダを季節の快適な方に半々の生活で、Happy Retirementとのことでした。私がコンタクトを継続していることに謝意と畏敬の念を表して戴き恐縮する場面もありました。
ブランチ後にマンハッタンに戻り、特別に案内されてグランドゼロを見学、その際の報道規制線内までも、入っての説明は、彼は、当時爆心地から2ブロック先でここの崩落に遭遇した方で、その説明・案内は、迫真に迫る稀有な幸運に恵まれた。5月の近藤ゼミ塩原研修でS-11のその後に交えて「国際大会出席を踏まえての教訓等−国際大会出席の経験・基調講演者・大会運営者等との交遊抄−」に纏めて発表の機会を与えられた。
WTC−グランドゼロは、その崩落の30日前の同時刻に最上階の110階を私共は、極めており、修士論文でも研究課題との関連もあって、特別の思い入れある建造物です。
‘91当時を振り返ると組織犯罪部局の発想は、本邦には未だ無く、我が帰朝報告書は誤訳との指摘を受けたことは、現在日本警察は組織犯罪対策課と刑事課が並列的に存在し、対処している現実と比べると隔世の感は否めません。往時 小説で著名な「NY24分署」への例外的夜間視察を特別に組み込んで戴き、視察中に突発的な銃撃戦にも遭遇し、得難い体験として生涯忘れ得ぬ「弾の下を潜った」体験もさせて戴いた大の恩人であり、表敬訪問以外にも収穫の多い人智に恵まれて成果を挙げられたのは彼のご尊父のお陰です。
当然に現職当時は職務へ反映させ、革新的な改革の端緒を得た。それが現在も継承されて第一線の職務執行の現場で活きている装備や手法があることに感謝している。
そのような経緯からS-11では、個人として$1,000.-をNYPDに寄贈もしている。
そのNYPDからの謝意表明書簡は修士論文でも、危機管理対応実例の稀有な例として紹介し、世界からの厚意への謝意表明感謝状は、将に my treasureです。
何よりも嬉しかったのは、NYPDの機関誌に、日本大学大学院で学んでいることを紹介され、同誌に同時にヒラリー・クリントン氏は1ページ大で、当方はベタでも一緒に紹介されたり、恩を忘れないという日本人の感覚を理解して戴いたことです。その後に国内の有名企業のトップからも応分の評価を得たり、居住地と米インデペンデンス市との姉妹都市提携25周年親善訪問に際して、市長・市議会議長のNY市警公安委員会委員長表敬訪問実現などは、治安担当都副知事の評価を得られる事例に結実し、地元の安寧維持に貢献できたことを市長から帰朝報告で市民へも伝えられたことです。
3 終章に替えて−「事実は小説よりも奇なり」
 彼Michel Voelkerの父Anthony M.Voelker NYPD副総監兼組織犯罪部局長の部下であつた方John F.Timoneyマイアミ警察本部長は、電マ26号で昨年私がフロリダにおいて、レンタカー返還時に道に迷い先導を享受した親切な行為の白バイ警察官の上司であることは、ブルクリンでのブランチの時に日大電子マガジン24号、26号を示したところ、判明した。 権威ある大学院の電子マガジンに掲載され、「とても光栄だ。」と申しておられたので、本号が発刊されたら、早急に届けます。
NYPDは全米一高い在職者の大学院通学率を往時示されて驚愕した記憶が蘇りました。
往時は警察等の在職者の大学院通学の考えは、全く私にはありませんでした。帰朝報告でも相手にされず、持ち帰った資料を添付しての報告会で、初めて納得される程度であったとの記憶があります。
2011のWPFGCはNY開催です。その時には氏のご尊父に是非 再々会をしたいものです。
十数年前に警視庁から警察庁に出向したことが、人生の転機ともなった。東京の治安維持に専心し、警視庁しか知らなかった私には、全国からの将来の警察の枢要ポストに就く課長代理(警部)が学生の警察大学校での教授職は、自由闊達な学生とのゼミでの論議には各都道府県の地域特性をも踏まえてのもので、やや余裕ある時間に世界の警察制度との比較や実態を在外公館の警察アタッシェを通じて入手した最新情報面から国際対応型授業に特化しての講義となった。その2年間の4期の学生の中から、私のゼミから2名のトップを輩出したことなどが上司の目に停まり、公用出張の調査視察研究団長に選ばれ、’87.7.13に来日のA M.Voelkerと’91.3.23にNYで再会し、以降も交誼を続けられ、その氏のご子息やそのスタッフに異国で遭えた。
同様にM S、ナカムラ・ホノルル市郡警察本部長の訃報に接したのも、再々就職先のJACCSでの案件処理を迅速にすべく、躊躇無く即断し、急ぎ大阪出張の「のぞみ」に飛び乗り、そのグリーン車内で、見ず知らずの外国人からと思いきや、何と 9年前にホノルルで同警察本部長の勇退祝賀式典出席の私をホテルに迎えにきた方と遭遇した。
聞けば同氏の訃報をも齎されて、お蔭で墓前に参ることが出来た。流石にグリーン車は英語を解する方が多く、拍手や微笑を送ってくれた方々が多かった。それらの方々にも墓参が実現出来たことが伝わる電子マガジンの広範即時伝搬性に期待したい。
平成10年2月11日常夏の太陽が燦燦と降注ぐホノルルの警察本部の中庭において、勇退祝賀式典が挙行され、勇退者へ州知事からの勇退賛辞の直後に、将に 急遽突然にスピーチを指名され、慌てふためく私に、愛嬌たっぷりにM S、ナカムラからウィンクを送られ、どうにか大任を果たした。出席者1,200名の、しかも異国で、初の事前打診抜きでした。
以降 常に一層の即応と鑽仰の姿勢を堅持することなるターニングポイントを与えてくれた生涯忘れ得ぬ大恩人でした。
自らの出逢いを大切にした上で自らの知恵と志向を尊びつつ、好みを共にする人々との縁を大事に継続する「自尊好縁」が達成感となり、宿願を果たせたものと信じたいものです。
“機会はあらゆる努力の最上の船長”−ソフォクレス




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