シアトル旅行記―ダンジネス・クラブとマリナーズの旅―
国際情報専攻 6期生・修了 森田 喜芳
今回の旅行は、シアトル名物のダンジネス・クラブ(イチョウガニ)とシアトルマリナーズの二つが目的であった。
シアトルには、私が4月29日から5月4日迄、次男はドバイから、そして妻が1日遅れて日本から合流し3人が揃った。
私と息子が30日に、妻を迎えにシアトル空港に行ってみて驚いたことがある。それは、大勢の旅行業者が、各々のツアーの名前を書いた看板を持って、日本からの旅行客を待っていたことだ。どうやら、連休にシアトルマリナーズの野球観戦が目的の旅行ツアーのようであった。妻から聞いた話では、飛行機の中で出会った1組の母親と娘さんから、「野球ツアーに行くのですか?」と質問されたとのことである。翌日、我々もシアトルマリナーズと、シカゴ・ホワイトソックスの試合を見に行ったときに、日本人の多さに驚いた。日本から「シアトルマリナーズの野球観戦ツアー」が立派なビジネスとして成り立っていることを実感した。
4月30日、早速、今回1番の目的であるダンジネス・クラブ(以下crab)を食べに行った。場所は太平洋岸の海であるウオーター・フロントのピア#57にあるレストランである。17年前に、長男とこのレストランで、crabを食べにきた時にとてもおいしくて今回も行くことにした。また次男は、crabを食べたことの無い事もあって今回この旅行を企画した。
場所、レストランの構え、店内は、以前とまったく変わらなかった。唯一変わったことは、目的のcrabの生け簀が無かったことである。以前は、横幅2メーターくらいの大きな生け簀の中に、crabが3分の1ぐらい入っていて、お客が指定したcrabをすくい上げてその場で釜茹でしてくれた。その際「生け簀の1番下にいるcrabの生命力が強く、1番おいしい」ということを店のオヤジさんに教えてもらった。(実はそのことを私は、かなりいろいろな人に宣伝をしまくったので、今回の生け簀がなかったことは、大変残念な事であった。)その後いろいろな店に行き、生きたcrabを釜茹でする所を探したが皆無であった。3日後にスーパーマーケットに寄ったとき、生け簀があり、生きたcrabを1ポンド$9で売っていた。大きめのcrabなど多分2ポンド位重さなので$18ぐらいであろう。そのcrabを自宅に持って帰り、釜茹でして食べたら最高に美味しかっただろうと、大変残念に思った。次回はサンフランシスコで、別の蟹を食べようと次男から提案があり、今度はキッチン付きのホテルで、自分たちで調理したいと考えている。
今回は、すでに一度釜で茹で揚げし、スチームで再度温め直したcrabを一人1匹ずつ食べた。値段は1匹、$22だった。(参考までに17年前は1匹の値段は$12.50だった。)まな板の上にのせたcrabを木槌で砕き、私が持参したお酢と醤油で食べた。尚、甲羅付きでスチームするように言わないと、甲羅を取り、足をバラバラにして出てくる可能性がある。多くの客はその方法(甲羅を取り足をバラバラにする!)を好んでいるように思えた。
今回食べた感じでは、甘さが以前よりもなく、パサパサしていた。あまりにも期待していた為、イマイチであり大変残念に思った。
しかしながら、やはりcrabを1匹食べると、満喫し、お腹が一杯になる。木槌で叩いて素手でcrabを剥き、むさぼりついた。美味しかった!今回の旅行の目的を果たした達成感と満腹感で最高の気分だった。
木槌を叩いている時、23年前、娘と次男と3人で、オハイオ州から車を運転してボルチモアに行き、ウオーター・フロントのレストランで、バケツに入った蟹を木槌で叩いて食べたことをふと思い出した(長男は日本の大学受験のため、妻と一緒に一時帰国していた)。そのときは、食べ放題であったために私は食べ過ぎて夜中にジンマシンが出て、その痒さにホテルのベッドでのた打ち回ったことが脳裏をかすめた。
crabを食べに行く前に、チケット売場及び、マリナーズ関係の土産物が売っている三角形をしたビルに行き、マリナーズのチケットを買い求めた。実は以前から、当日のチケットは、その場でダフ屋から購入することにしていた。アメリカでいろいろなスポーツを観戦したが、今までにダフ屋から購入して定価の2倍以上の金額で買った記憶がない(1番苦労したのが20年前にシカゴでマイケル・ジョーダンの試合である。試合開始直前までチケットが入手できなかった)。また、アメリカのスポーツ観戦のチケットなどは、日本に比べて非常に割安感がある。そのために事前にチケットを購入するというようなことはあまり経験がなかった。今回は時間もあったので前売り券を買いに行った。バックネット裏の一番よい席を3枚リクエストしたら、前から10番目の席で$55、翌日の夜7時5分試合開始のチケットが購入できた。翌々日のチケットもあるとの事であった。日本では考えられないことである。ホームグラウンドのチケットが、前日に正規のチケット売場で購入できる!ということは信じられない事実である。
5月1日は野球観戦だ。早い時間から出掛けので、市内循環のバスで行くことにした。バスは一人$1.50であり、どこで下車しても同じ値段であった。また、1日中乗り降りできる当日券は一人$3であった。ホテルの前にあるバス停からバスに乗り、マリナーズの野球球場であるSafeco Fieldに出かけた(ちなみに野球場はウオーター・フロントに面したピア#36のところにある、隣にはプロのフットボール球場が並んで建っている)。
球場前で、最初に目に付いたのがトイレの表示が日本語で書かれていたことである。トイレは、大きくて大変きれいであり、日本の野球場との設備の違いを感じた。またここには、いろいろな飲み物、食べ物、お土産品などのお店が並んでいた。3人の日本人の若い女性が、グッズを買った大きなお土産用のビニール袋を両手に持って歩いている姿が印象的であった。また、球場内にはATMが置かれており、そこから、現金を引き出している多くのアメリカ人が目についた。
どうやら当日は、身体障害者の招待日であったようだ。私の目の前に、シェパードのような大きな介護犬を連れた二人連れの若い女性が座っていた(その二人は、6回終了のマリナーズの逆転をしたのを観て帰って行った)。
いつものように、アメリカの国歌斉唱(当日は車いすに乗った女性が歌った)後に試合が始まった。マリナーズは、イチロー選手が一番を打ちセンターを守っていたが、城島選手は、怪我ためスタメンから外れて当日は出場しなかった。シカゴ・ホワイトソックスの井口選手は、7番を打ち二塁を守っていた。試合は、ホワイトソックスが、序盤リードしていたが、後半に入りマリナーズが逆転、6対3でマリナーズが勝った。イチロー選手は、3打席ノーヒット、2つの三振で、良いところがなかったが、センターの守備でヒット性のあたりを好捕したのが唯一の活躍であった。井口選手は、ノーヒットであったが、2つのフォアーボールを選んで出塁した。
この球場では、ホームランを打っても他の球場のような派手なパフォーマンスがなく、ちょっと寂しい感じがした(ただし私が知っている球場は、シンシナティー・レッズ、クリーブランド・インディアンス、デトロイト・タイガースの3球場だけであるが!)。三回を終わったところで、球場内を見渡すと、内野席はほぼ満席であったが、外野席は入場者がチラホラいる程度であった。6回を終了したところで、一度席を離れたら、私の席の20番目くらい後ろに、日本から来た知人に偶然会った。日本は5月の連休なので、10人ぐらいの青年を連れて、シアトルに泊り、野球観戦にきたとの話であった。試合中だったのであまり長い話ができなかったが、お互いに珍しいところであったためにびっくりした。改めて、日本人の試合観戦が多いことを実感した。また、イチロー選手が入団したことにより、マリナーズの野球観戦ツアーが成り立つほどのビジネスが発生し、シアトルにとっては大変な経済効果を生んでいるのであろうと改めて実感した。マリナーズの球団オーナーが日本の会社ではあるが、一人の野球選手がこれだけの経済効果を生んでいることを目あたりにして驚きと同時に、日本人の豊かさを感じた。
2年前の6月、デトロイトで観戦したときにイチロー選手を見たが、彼の印象はそのときとほとんど変わっていなかった。ただしデトロイトでは、かなりの人がイチロー選手にサインを求めていた。そのときまでイチロー選手は打撃が不振であったが、当日は第一打席でいきなり三遊間を一直線で抜くクリーンなヒットを打ったのを今でも鮮明に覚えている。すばらしい打撃の技術だと感心した。正直に言って、私は「イチロー選手はアメリカで通用しないのではないか」という危惧を抱いていた。日本人のピッチャーが通用することはすでに実証済みであったが、バッターは難しいのではないかと感じていた。今でもイチロー選手はマリナーズのなかでも背丈は中位で、体全体はほっそりとスタイルのいい選手で、外見からでは、アメリカ人のような力強さは感じられない。しかしながら、彼の今までのマリナーズでの大活躍からファンが多いことを当日も見ることができた。プラカードを持った子供達はイチロー選手が打席に入ると、声を大きくし、「イチロー」と名前を呼び、拍手などが湧き上がっていた。イチロー選手はアメリカに来てまた一段と成長したことを感じた。
なお、マリナーズのスケジュールは、5月は3日間の移動日があるのみで、その他の日はすべて試合が組まれていた。シカゴとの2連戦が終わると、3日が移動日で4日からNYヤンキースと4連戦。8日からデトロイト・タイガースと三連戦、その日の夕方にデトロイトからシアトルに戻り、NYヤンキースと3連戦というスケジュールになっている。5月4日から10連戦だ。6月は移動日が3日、7月が4日、8月が4日、9月が2日である。その日以外はいずれも試合を行っている。スケジュール表を見ると大変なハードであることがうかがえる。また、体力が相当ないと1年間を通して、スタメンに出場することは難しいと感じる。
試合の途中から曇っていた空から雨が降り始めた。8時から8時15分の間に今までなかった天井が自動的にせり出して球場全体をカバーした。照明は天井が出てきたためにとても見やすく明るくなった。又、それまでは多少風が吹いており、ウインドブレーカーなどを着ていても多少寒かったが、寒さを感じなくなった。球場の形式は、ちょうど日本の西武球場のようだった。試合は7時10分に開始され、9時25分に終了した。2時間15分の試合であり、日本よりも、スピーディーな試合運びであるとの印象を受けた。
シアトルには有名なフード・フィッシュ・マーケットに300軒ほどの店が所狭しと軒を連ねている。ウオーター・フロントの中心には、鮭や蟹類を中心とした魚屋が何軒もあり、また花屋も多く、果物屋、ガラス細工のお店、レストラン、コーヒーショップ(ちなみに、スターバックスは、このシアトルが発祥の地である)、お土産品などを求めて、大勢の人たちが集まってくる。そのマーケットだけのツアーもあるのには驚いた。
シアトル市内は観光コースも多く、2階建てのツアーバス($19)は2日間有効で、乗り降りが自由。バスは30分毎に走っており、このバスを利用して観光スポットを見て廻るのもまた楽しい。水族館にも行った。名物は大きな蛸が2匹いるとのことであったが、残念ながら私は見落としてしまった。
5月4日、帰る日は、ホテルからリムジンを予約してシアトル空港に向かった(タクシーで$38、リムジンで$40とのことであった)。家族全員がノースウェストのフライトであり、私が12時35分フライトの直航便でデトロイトへ、息子が13時00分のフライトで、アムステルダム経由ドバイへ、妻が14時40分フライトの直航便で成田へ、各々帰路についた。以上、楽しい1週間の休暇であった。
<以上>