鍼灸治療と養生法について(中)

                       人間科学専攻 8期生 池田 啓二


Ⅰ はじめに
 鍼灸の施術の起源は、太古時代(紀元前2383~1123)にある。この時代は中国医学の濫觴時代で、伏義は八卦を画し、神皇は薬草を研究して神皇本草経を作成し、皇帝は黄帝内経を著し、東洋医術、中国医学を大成したという。
 黄帝内経は泰漢時代の著作で、皇帝とその家臣の岐伯、雷公、伯高、鬼叟区、少兪、小師等が平素講義し、問答した内容を編述した東洋医術の原典である。特に霊枢は、鍼経とも言われて鍼灸について詳しく述べている。
 そして「湯薬、その内を攻め、鍼灸 その外を攻めれば、すなわち病逃れるところなし」との原則から、鍼灸は湯薬と並び医方の中軸をなしたのである。
 周泰時代(紀元前1122~207)は、濫觴時代を経た医学の実験研討時代であって、有名な医家扁鵲(秦越人)は、この期の人である。
 扁鵲はインドの耄婆とともに名医の代表とされ、その著書八十難経は、素問、霊枢の内容を敷衍し、中国医学の病理、臨床について重要な内容を、八十一の問答式に遂条、解説したもので今日、貴重な文献である。
 両漢時代(紀元前206~後264)は、中国文化の隆盛時代であり、医学も統一・理論化されて完全な形態を備えた時代であり、湯薬処方の原典とされる傷寒論、金匱要略が長沙の大守、張仲景により大成された。
 両晋、隋時代(紀元265~617)は、医学の停滞期であり、神仙不老術や仏説が混入して医学思潮も従来と趣が異なる時代であった。王叔和の脈経、巣元方の諸病源候論、皇甫謐の鍼灸甲乙経が大成して鍼灸臨床に一段と色彩をそえた。
 唐時代(紀元618~951)は、医学も再度隆盛となり、遜思邈の備急千金方三十巻千金翼方、脈経、王燾の外台秘要方は鍼灸に関係深い文献である。
 宗時代(紀元952~1278)は、宗儒性理の学説、局方学の起こった時代で攻撃治方の盛んに行われた時代である。仁宗時代は、有名な兪穴銅人式が鋳造され、王惟一は「銅人兪穴鍼灸経、難経疏義」を著わし、斯学も盛んになった。
 金元時代(紀元1115~1367)は、宗時代の攻撃治方が反省されて脾胃滋補を指標として〈元気〉を上昇することを治病の要訣とした李朱医学が栄えた時代である。
 この時代に滑伯仁の十四経発揮、難経本義、診家枢要の著作があり、臨床家の重視する文献である。
 明時代(紀元1368~1661)は、金元の医学を継承して李中梓の内経知要、李挺の医学入門、馬玄台の難経正義、張介賓の類経三十巻、高武の鍼灸聚英が著された。清時代(紀元1662~1871)は、西洋医学の輸入があり、日本より漢方医学の逆輸入などが行われた。
 現代では中医師と洋医師とを対等に待遇して国立の鍼灸研究所も設けられて伝統ある医方の再検討が行われている。

Ⅱ 鍼の効用と貝原益軒の養生
 鍼灸医術は、最も古くして、常に最も新しい道理を包含しており、東洋医学の本質的な真髄を充分に発揮しえる医術である。
 鍼の質にも金、銀、プラチナ、鉄等の区別と大きさとを区別して九鍼法といって種類があり、鍼を上手に使い分けるのは、剣道を例にとれば剣道を知らぬ人が、正宗の如き名刀を持ったところで剣術としてその名刀を使いこなすことができなければ、「生兵法は怪我のもと」になってしまうように、この鍼灸を運用するところの医術本来の本質的な鍼灸医道を修得しなければ、いかに一生懸命に誠意を集注して治療したところで、その結果は百害あって、一効もないようになってしまう。

第1節 邪気と免疫力
 そこで貝原の養生訓の中より引用すると、「鍼を刺すのは、気血のとどこおりを循環させて腹中の停滞を散らし、手足の頑固なしびれを取り除く」というが、確かに気血水も入れて考えると、鍼をすることにより気血水の流れが良くなり、内臓の調子もよくなることであり、手足のしびれは、最近 脊柱管狭窄症や鞭打ちの後遺症などでは、手足がしびれており、東洋医学の治療が優先すると思う。
 また「外に気をもらして内に気をめぐらせ、しかも上下左右に気を誘導する。」というが、此れは外邪が体にこもっているとき、邪気を散らす為に、外に邪気を漏らすことを説明しており、体内が弱っているときは、正気を体の中に入れて鍼を刺して抜くときには鍼の刺したところを抑えて気を漏らさないようにすることが免疫力を挙げることです。せっかく気血水のエネルギーを身体に鍼を通して入れているのですから漏らさないように刺入点を閉じることが重要である。それにより免疫力が上がるのである。
 また「積滞や腹痛などの急病に用いると薬や灸よりも早く消導1するためである。」というが、病気により灸がよく効く場合もあり、貝原が江戸中期に「養生訓」を出版したのであり、その当時からの考え方からは、研究が進んでおり、鍼は邪気を取るために瀉法2を用いたり、体力を付けるため、すなわち、免疫力を上げるために補法3を用いたりします。

第2節 熱病と鍼灸治療
 『内経』に言う「熇々の熱を刺すことなかれ。渾々の脈を刺すことなかれ。漉々の汗を刺すことなかれ。大労の人を刺すことなかれ。大飢の人を刺すことなかれ。大渇の人、新たに飽ける人、大驚の人を刺すことなかれ」と。また次のようにも言う。「形気不足、病、気不足の人を刺すことなかれ」と。これは『内経』の戒めである。
『正伝』には「これ皆、瀉ありて補なきを謂うなり」という。
 これは熱が熇々と言うことは、大変熱が高い状態であり、気をつけて刺しなさいと言うことであり、上手に発汗現象を起こして熱下げをしないと肺炎を起こすので注意をしなさいということです。渾々の脈とは、脈が乱れて濁る状態の時は、ゆっくりと慎重に刺すことであり、太淵穴に刺して脈の調節を取りながら治療することである。
 次に漉々の汗とは、表面の陽経の皮膚が弱っている状態か、内部の陰経が弱って内に熱がこもっている状態であり、汗を正常に保つのには、危険性があるので慎重に鍼治療をしなさい、という事である。
 次に大労の人とは、働きすぎて疲れすぎている人には、食欲が正常に戻るように鍼治療に、軽いやさしい「補的な鍼治療」をしていくことが大切である。
 次に大飢の人とは、食物が不足して飢えている人、すなわち食べることが出来ない人には、腎経の冷え込みがあるので腎経をやさしく冷え込みが取れるように補的な鍼治療をすることが良い。
 次に大渇の人とは、のどが渇く人で糖尿の方が多いのであり、唾液の出を良くする様に外分泌腺の流れを良くする様に、やさしく鍼治療をすることが良いのです。 新たに飽ける人や大驚の人は、先ず始めに飽ける人は、腹いっぱい食べる人であり、栄養過多の人は、食べれば食べる人ほど益々肥えてくるので食慾を抑えるように、慎重に鍼治療をすることであり、大驚の人は、驚きやすい人で、血圧が上がりやすい体質であるので注意深く鍼治療をすることである。と貝原はいう。

第3節 食養生と鍼灸師の心得
 貝原は養生訓の巻第八の中で、次のように述べている。
 「入浴してからすぐに鍼をしてはいけない。酒に酔った人に鍼は禁物である。食べ終わって満腹している人に、すぐに刺してはいけない。鍼医も病人も以上の『内経』の禁を知って守らなければならない」
 これは消毒の意味もあるが、ツボへの刺激が、入浴することにより体全体が血液循環が良くなり、患部への効果がうすれることである。酒に酔った人は、体全体がアルコールで血液循環が良くなり、鍼治療をしても効果が半減することを言う。それ以外にも注意深く鍼治療のことは、より多くのことを『内経』では取り上げているが、刺激量の問題が大切であると思う。
 次に貝原は同じく養生訓の巻第八の中で、次のようにも述べている。
 「鍼を用いて生ずる利害は、薬や灸よりもすみやかに現れる。だからよく利と害と検討しなければならない。強く刺してひどく痛む鍼はよくない。また、上述している禁戒をおかすと気がへり、気が頭にのぼり、気が動いて、早く病気を治そうとして、かえって病気が加わる。これはよくしようとして悪くすることであろう。大いに用心しないといけない。」
 これは鍼治療すると、病気によっては薬や灸よりも効果が出るのは早いが、早くよくしようと考えて経験の少ない若手の鍼灸師は鍼治療をしすぎて失敗をする。その戒めを貝原は言ったのである。
 鍼灸治療で、中国最古の医書が、現時点でも役立つことであり、東洋医学の深さが数世紀にわたって研究されているものであり、大宇宙の中から小宇宙の世界をいかに組み立てて病気だけでなく政治にも、家族にも、人間の私生活にも上手に利用されていることは今後益々の研究に値するものであると考える。


【注】


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