ドバイとアラビア半島の旅

                       国際情報専攻 6期生・終了  森田喜芳

 今年の1月27日から、2月3日まで6泊8日でドバイとアブダビ(アラブ首長国連邦)に観光旅行してきました。今回はその旅行感想記をお送りいたします。

1.アラブ首長国連邦(U・A・E)
 1971年に独立したばかりのこの国は、国名からもわかるように、アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジマン、ウム・アル・カイワイン、フジャイラ、そして、ラス・アル・ハイマという七つの首長国が集まって一つの国を形成している。アブダビは連邦の首都。今でこそ高層ビルが建ち並ぶが、ビルの狭間を埋めるようにして立つモスクに、その激動の歴史を感じずにはいられない。首都として連邦をまとめる近代都市も、ほんの数十年前までは小さな村にすぎなかったのだ。そして、首都アブダビを超える開発を遂げたドバイ。アラブ諸国では珍しい芝のゴルフ場や、マリンスポーツを思う存分満喫できる。この町はアラビアリゾートという点ではアブダビを一歩も二歩もリードし、世界でも有数のリゾート地となった。  面積は、約8万3600平方Kmで北海道とほぼ同じ。人口は、約432万人(日本の約30分の1)。宗教はイスラム教96%、民族構成は、アラブ首長国人19%、その他の国のアラブ、イラン人23%、南アジア人50%、その他8%である。言語は、公用語はアラビア語だが、英語が広く使われている。
 ビジネスアワーは、土曜から水曜日までで、木曜日と金曜日が休みとなる。すなわち週末といえば木、金曜日を指す。したがって、土曜日と、日曜日は、すべてのビジネスがオープンしている(官庁、銀行、商店、オフィス、など)。  生活やインフラであるが、電圧は240ボルト、プラグは3つ穴タイプである。水は一般的にミネラルウォーターを飲用している。水道水は海水を淡水化しており飲用できる。四季はあるが、春と秋が非常に短く、私が行った1月2月3月のドバイの平均気温は約20度前後であった。ただし、朝晩はかなり冷え込んでいて、肌寒い感じがした。通貨の単位はディルハム(Dh)、1ディルハムは約¥32.17である。
 日本との時差は5時間、ドバイが正午のとき日本は17時である。日本からのフライトは、エミレーツー航空が、関西(大坂)と中部(名古屋)からドバイ行きの直行便を毎日運航している。所要時間約11時間である。
 入出国は、60日以内の観光目的の滞在であればビザは不要。パスポートは有効残存期間が3カ月以上あること。入国カードはなし、出国税もなし。日本への通信は、国際電話、Eメールなどはどこのホテルからでも通じる。

2.ドバイ
 ドバイの人口の7割から8割が外国人というインターナショナルな街である。きれいな海、美しい砂漠、巨大ショッピングセンターやレジャー施設と何でも揃っているこの街は、なんともつかみどころのない不思議な街である。アラビックなムードがあまり感じられないのだが、民族衣装をまとったアラブ人が携帯電話でおしゃべりをしている姿を見かけると、やはりここはアラブなのだと感じることができる。七つの首長国の中でも、目に見えて飛び出た発展を遂げたドバイ首長国は、以前、海のシルクロードの重要な中継地であった。昼間に空路でドバイに向かうと、自然が作り出した美しいcreek(運河)を空から一望できる。このcreekの存在が、交易地としてのドバイが発展した大きな要素になっている。(“地球の歩き方=ドバイとアラビア半島の国々”ダイヤモンド・ビック社、2007.3.7)
 ドバイの面積は、埼玉県とほぼ同じである。現在世界中の建設用クレーンのおよそ3割が集結していると言われている。現地では24時間の突貫工事が続いており、ドバイの空港を降りてダウンタウンに行く途中、前方を見渡すと180度の視野の中に、クレーンが所狭し立って工事をしているのがよくわかる。つい1年前までは、中国の上海で同様の光景が見られた。しかし、去年の後半から今年入って、私のみたかぎりでは、上海の建設は少しずつ下火になってきているように思われる。それに比べてドバイは、今後ますます建設ラッシュなるのではないか。建築物の特徴はビルの高さが高い建物が多いことである。たとえば、ドバイ・タワーの高さはなんと800メートル以上で、現在世界一のビルである「台北101」の509メートルを楽々と抜き去る。さらに高さ1000メートル級の建設計画もあると聞いた。
 この建設ラッシュに、日本の大手建設企業も現地へ進出、または現地で仕事をしている。実は私がドバイを訪れるきっかけとなったのは、私の息子がドバイに駐在員として勤務することになったことである。息子が勤めている会社は、大手のバルブメーカーで、建設用やオイル、水道工事などに使用されており、昨年8月にドバイに事務所を開設した。今後アラブ、アフリカを中心に大きなビジネスが期待されている。
 建設業でみると、大成建設が3月1日付で、ドバイに設計を専門に手がける拠点を開設し、業務を敏速に進められる体制を整える。道路などの社会基盤を整備する工事の受注増が見込めるためである。ゼネコン大手が海外に設計専門の拠点を設けるのは珍しい…と報道されている(日経新聞 2.26付、13版、p7)。
 また日経新聞(3.2付、13版、p7)に、「中東を訪れる顧客の多くがドバイを経由するようになり、ドバイに拠点を設けないと中東関連の商談が思うように出来なくなった」(三菱東京UFJ関係者)とあり、「年内には三菱東京UFJ,三井住友、みずほコーポレート、という日本のメガバンク三行が、相次ぎ拠点を設ける予定だ。」と報じている。『ドバイ、金融センターに台頭する』という記事では、「中東の有力な経済都市に成長したアラブ首長連邦国(UAE)のドバイが国際金融センターとして台頭してきた。金融立国を目ざすドバイは中東の新た経済成長のモデルと見なされている。」と報じている。 日本経済新聞社も中東報道を強化するためにドバイ支局を開設している。
 更に、3月12日のNikkei Net :米ハリバートンが本社機能をテキサス州ヒューストンからドバイに移すと発表した。なおハリバートンは、チェイニー氏が、米副大統領に就任する前会長兼CEOを務めており、「イラク戦争の際に米軍向け需要を独占的に請負、ブッシュ米政権との特別な関係が取りざたされた。」と報じられている。
 企業が次々にドバイに支店等を設ける最大のメリットは、「タックスフリー」であることだろう。原則として法人税(個人については所得税)は無税である。

3.ドバイの旅
 私は現在勤めているデトロイトより往路はパリ(復路はアムステルダム)を経由してドバイに入った。妻は関西空港から直行便で到着した。到着したその日は、空港近くのホテルに泊まったが、ホテルの中の設備その他はアメリカと変わらない。しかし驚いたことに、ホテル料金は大変高く、素泊まりで$563.71であった。アメリカのホテルに比べ4倍ぐらいに感じた。その後も、アブダビやドバイの砂漠ツアーで泊まったホテルは、共にすばらしいホテルであったが、両方とも$1000以上であった。アブダビのホテルは、宮殿のような大変すばらしい豪華な感じがするホテルで、裏側にはきれいな海岸線が続くリゾート地であった。ゴルフのタイガー・ウッズが、コマーシャルに出ている「ヘリコプターが停まるホテル」も見たが、何から何まで「お金でできることはすべてやってしまうような感じのところがドバイである」という印象を受けた。

<ドバイの街>
 世界一金製品が安いマーケットがあるというのでそちらを1日訪ねてみた。ホテルからタクシーで10分ほどのところにあり、狭い地域に約300軒の店が出ていた。所狭しに金製品がディスプレイされており、クレオパトラ時代の首飾りのようなものも多く見られた。なぜか男性のお客が、3〜4人のグループとなって買い物をしているのが目立った。自分たちの奥さんへのプレゼントなのだろうか?女性も同様に何人かまとまって買い物をしていた。私の妻も金製品をいくつか買い求めたが、日本やアメリカに比べると半分近く安いのではないかとのことだった(私は予算をオーバーしてかなりの出費をさせられた)。
 買い物でショッピングモールなどを歩いていると、女性が目だけを出している独特の民族衣装で歩いている姿が目立った。私は実際に初めて民族衣装を着ているのを見たので、大変珍しかった。ただ、ショッピングモールは、外国人の姿が圧倒的である。聞くところによると、ロシアやパキスタン、インドなどからも大挙して買い物に来ているとのこと。息子の友人の話では家族単位で外国から買い物に来ている人たちも多いという。ショッピングセンターには、世界の有名なブランド品のお店もほとんど出店していた。やはり免税、その他街が栄えてきたため、世界中からいろんなものが入って来ているのだろうと推察した。また、スーパーマーケットを訪れてみたが、お店の中はアメリカ式の大きなスーパーマーケットとまったく同じ様式であった。ほとんどの食料品が揃っており豊富であった。私の先入観で、フルーツなどはあまり売られてないのではないかと思っていたが、アメリカで売られているフルーツ類はほとんど揃っていると、息子から説明を受けた。
 日本の屋内スキー場をそっくりまねた「スキー・ドバイ」では、これまで雪を見たことないドバイ住民を大いに驚かせ、1年間で100万人もの動員に成功した、とのことである。ゴルフ場も砂漠の中にあり、アメリカのラスベガスで見たゴルフ場と同じように、私にはかなり違和感を覚えた。
 アブダビに行く途中に、世界一の賞金金額を誇る競馬場を見た。中には入らなかったが、時間があれば行ってみたいという誘惑にかられた。アメリカ人に「休暇でドバイに行く」と話したら、彼の口から「競馬をやりに行くのか?」という質問が出てきたのにはびっくりした。どうやらかなり世界的に有名な競馬場であるらしい。

<2つのツアー>
 1泊2日で、砂の中のホテルに泊まり、2つのツアーに参加してきた。ツアーのコースは6つあり、すべてのコースが無料で1日1回、もしくは2回ツアーに行けるようなシステムになっている。
 私と妻は17時からの「ラクダ・ツアー(Camel)」に参加した。このツアーは、ラクダ1頭に二人が乗り、往復1時間、途中で30分ほど休憩し、飲みながらサンセットを楽しむツアーであった。私たちが乗ったラクダは、今回のツアーの中で1番大きなラクダであり、背が高くて乗るときと降りるときとでは、2メートルぐらいの落差があり少々怖かった。ただ、歩き出すとだんだん慣れてきて、ラクダの歩調のリズムで、体をゆだねるようになってきた。サンセットの中をラクダの背中に揺られて、しだいに暗くなる景色を見ながら帰ってきたが、それがなんと ♪月の砂漠をはるばると♪ という歌の文句に出てくるような光景で、幻想的な感覚を覚えた。おそらく、私の生涯の記憶に残るツアーではないかと感じている。それほど印象的なすばらしいツアーであった。
 翌日の朝は「砂漠ドライブ=Desert Drive」で、四輪駆動車の大きなバンに乗って約2時間のツアーを回ってきた。高低差の大きい砂漠の中をかなりのスピードで走り回ってきたが、慣れるまではかなり怖かった。ドバイ側から、横200km、縦400kmの砂漠の中を縦断してきた。ちなみに私の記憶では、東京から浜松まで200km、大阪まで400kmという感覚である。砂漠の砂は非常に細かく、赤い色をして手ですくってみるとサラサラと流れるように落ちていった。記念にこの砂をおみやげとして、自宅に持ち帰ってきた。4人いたドライバーのうちの一人はなんと女性であった。彼らは南アフリカからこのドバイに、仕事に来ているとのこと。為替の関係で南アフリカからドバイに来るのは有利であるかららしい。

 以上、非常に楽しい、そして初めての経験となった感動的な生涯に記憶に残る旅行であった。来年も今年と同じように感動するような旅行に出会ってみたいと思い、今から次回は何処に行こうか考えワクワクしている。


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