研究戦国時代

                       国債情報専攻 5期生修了 真藤 正俊


 『科学のなかから技術が生まれ、技術から製品へと、科学は目に見える形に変わっていく。科学と技術は、一体不可分なものであり、科学のなかから技術が生まれ、技術のなかからまた新しい科学が生まれてくる。優れた分析機器を創りだす。技術の山を高くしようと求めるなら、科学の裾野を広くしなければならない。』
赤池学『ニッポンテクノロジー』丸善株式会社、2005年、342〜343頁。


「国際競争力」「技術立国」という言葉を最近よく目にする。国立大学も法人化されて、研究開発の世界に「競争」を求められる時代になった。たしかにアメリカに比べると日本はノーベル賞受賞者の数が少ない。あきれるほど少ない。
 このような状況から考えると中国やインドが大きな力をつけているのに、アジアにおいて日本が両者の足を引っ張ることになりかねない。今こそ研究開発の分野で活躍する人材は変わらなければならない。

 『民間企業的な経営感覚を取り入れて、研究活動を活性化することができるのは間違いないでしょう。かつてのように象牙の塔に閉じこもって研究者ではなく、もっと世の中の役に立つ便利で効率的な技術開発ができる新しいタイプの研究者が求められているということです。
 研究者は確かに変わらなければならないと思います。自分の研究テーマに必要な予算を自ら調達し、必要な人員を集め、研究に必要な機材を購入し、決められた時間内に成果を出す。研究だけでなく、マネージメント能力も求められるようになるのです。』
白鳥敬『よくわかる研究所ガイド』ぱる出版、2007年、18頁。


 一つの分野に特化できる能力さえあれば、全てが上手くいくはずの20世紀の研究。ところがいまや総合的な能力を研究に必要とされる時代となった。当然、20世紀の研究が骨の髄までしみついた連中が不安になっているのは言うまでもない。
 新時代が到来する。そうなると、どこの組織でも必ず三種類のタイプに人材がわかれていく。第一に、すぐに対応できる者。第二に、時間をかけて対応できる者。第三に、どんなに時間をかけても対応できない者。いま問題なのが「どんなに時間をかけても対応できない者」をどう生かすかである。
 「良くない。成果主義は良くない。」と、叫ぶ研究者がいる。たしかに全ての研究開発を短期的な視野で行なうのはいいことではない。「短期サイクルの成果主義では、言うまでもなく独創的な研究は生まれにくく、そのためには異なる発想、異なる考え方への許容度を上げ、標準的でない考え方や研究アプローチに対してもファンディングする仕組みづくりが求められているように思う 」と赤池(前掲、343頁)は論じる。
 実際のところ、大学や大学院では可能性については議論するものの、今すぐ実用化に至るアイデアはほとんどないか全くないかのどちらかである。実用化とはそれほど難しい。まず、実績がなければいけないし、大手の取引先がなければ、軌道に乗らない。少し落ち着いて考えてもらいたい。パソコンを操作している読者は実用化した技術を体験している。こうして、多くの人が使えるような技術にしなければ、研究開発は実用化には至らないものなのだ。
 「書けない。特許に関する研究論文は書けない。」と、本気で嘆く民間企業の研究者がいる。私の友人にもいる。こういった個人の能力をはるかに超えた問題が発生した時、研究者はどこまでも悩む。結論から言おう。職場で研究を続けるなら残ればいい。しかし、どうしても辞めたいなら辞めればいい。自分の決めたことにグチは言わないように。
 どちらを選んでもいい。大切なのは憂いを残す決断をしないこと。自分にとっても他人にとっても最善の決断をすればいいと私は思う。ナノテクノロジーを語るストーズ・ホールは人間社会を次のように語る。

『われわれの心は、自分にも他人にも良いことをすると嬉しくなるようにできている。(中略)人間はいつでも競争するものだし、競争するのは当然だ。さもないと人間にはなれなかったろう。だが、無味乾燥な世界では、共感と思いやりは発揮する機会がなく、抑えめになる。加えて、他人がいなければできることと実際にできることとの差が大きくなると、欲求不満が生まれる。現実として、このような世界では、何かを得るために、他人に危害が及んでもやましさを感じないような、他人を悪者にする口実が探されはじめる。非難と侮辱が、根深い嫌悪と不和を生むのだ。』
J・ストーズ・ホール=K・エリック・ドレクスラー
『ナノフューチャー』斉藤隆央訳、紀伊国屋書店、2007年、357〜358頁。


 すでにわかっていると思うが読者が抱えている問題は全て自分の問題である。自分がそこにいるから悩む。悩んでいるのは自分である。自分が変わらないと何も変わらない。相手を尊敬し、尽くし、感謝の気持ちを持った研究者が今の時代には必要ではないか。成果主義で一分一秒でも早く結果を出す人間が優等生となる時代では、利他的な行動はバカみたいに見える。そうならないような研究開発をわれわれは期待する。
 研究開発は戦国時代に突入した。今世紀の人間が20世紀よりも、どこまでも人間らしく生きられる社会を建設できるように誰もが祈っている。白紙のページに歴史を刻むのは人間だからだ。




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