国際情報専攻 3期生・修了 若山 太郎
朝、突然の電話で、父の死を知った。布団の中で眠りながら亡くなったそうだ。前の晩に好きだったお酒をいつも以上にたくさん飲んでいたらしい。
それから、2つ上の兄と葬儀にかかる雑多なことを相談しながら決めていった。目に見えないお金も色々かかるものだと知った。
遺体が斎場に運ばれてから、妻と子供たちを連れて行った。眠っているようにおだやかな顔だった。
「こんな安らかな顔で死ねるなんて、たいしたものだ。」と妻や子供たちに話した。
子供たちも「パパじーじ、眠っているみたいだね。」と亡くなったのが信じられないよう。
父との想い出といえば、僕が小学生の頃、庭には常に、犬・うさぎ・モルモット・アヒル・ニワトリ・カメ・カブトムシやクワガタなどの生き物が、身近にいる環境を作ってくれた。
中学生以降を振り返れば、中卒で一生懸命働き続けた父が、仕事が終わった後にお酒を飲んで、愚痴を言ったり、時に泣いたりしていたのがすごく嫌だった記憶しかなかった。
結婚して子供も出来たある日、相変わらずの、そんな父に「うん、わかるよ。」と言ってあげられた時から、父の顔が穏やかになったのをおぼえている。
僕がこだわって、働きながら通信制の慶応大学や日本大学大学院を卒業や修了をしたのは、その父の学歴コンプレックスや苦労へのリベンジという意味合いもあった。僕の学位記を手にした時、自分が出来なかったことを息子が果たしてくれたと、うれしそうだった。
10年前から、年金暮らしになった父の口癖は、「3人の子供を育てる妻に対して、常に気を使え」。若い頃、困っている人を見ると、それ程多くない自分の給料を後先を考えず、全部あげてしまうのには困ったものだった。でも、自分のことより子供のことを何より優先した71年の生き様に、誰より感謝と尊敬をしている。
欠点も多かったけど、それが反面教師となり、長所はそのまま受け継いだ。「お金よりも大事なものがある、子供に対する惜しみない愛情や人へのやさしさ」。だからこそ、僕も目先の自分のことより、地域のことや、店では何よりお客様に喜んでいただけたらと素直に思えるのだ。
クリスマスが間近のある日、親父さん(義父)が次女と三女を連れて、近くの百貨店へ買い物に出かけた。
その時、三女が、「パパじーじがお姉ちゃんの後で一緒にいるみたいだ。」と言った。その話を聞いた周りの大人たちはずいぶん不思議に思えて色々三女に訊ねたが、何だか分からないようだった。
そういえば、元気に歩ける時には、父も子供たちをおもちゃ屋や小物屋などに連れて行き、「好きなものを選びなさい。」と言って買ってくれたものだ。その時は、長女が嫁に行くまでは元気でいられるようお酒にも本人なりに気をつけようとしていた。
父が亡くなる2日前の11月17日、テレビ朝日の「徹子の部屋」のすぐ後の「東京サイト」という番組に僕が取り上げられた。
テーマは「若きリーダーの挑戦」。林家きく姫さんにインタビューをされる形で、店の紹介から、打ち水大作戦などの商店街活動、練馬商人会での連携などについて、コンパクトに分かりやすくまとめていただいた。
『「とんかつまるとし」を営む3代目の若山太郎さん。6年前、近所に進出してきた大型店に危機感を抱いた若山さんは、中小企業公社の若手育成事業に参加。店舗経営や、商品ディスプレイを学びました。そして取り組んだのが「メニューの見直し」。これまでの倍70種類まで増やしました。さらに、女性や年配のお客様を取り込むために、地元練馬大根を使ったさっぱりメニューも用意しました。また、若山さんは、地元商店街をもりあげようと、昨年から「打ち水大作戦」も実行。商店街の人々も一緒に水をまくことによって、一体感が強まったといいます。そして、今年、若手商店主が集い、情報交換を行う「練馬商人会」も発足しました。』(テレビ朝日ホームページ「東京サイト」番組紹介より)
番組が放映されて、一ヶ月以上経った頃のこと。昼時の忙しさも一息ついた2時過ぎに、1人のお年を召した女性がいらした。他にお客様もいらっしゃらず、お茶をお出しする妻に、「何にしようかしら?うーん。そうねぇ。」と話しかけた。
「お宅、この前、ほらぁ、徹子の部屋の後にやる番組に出てらしたでしょ。」と手招いた。「はい。」と妻がにっこりすると、「私ね、テレビをみて、食べてみたいなぁと思うと、行ってみるのよ。甥っこにも『おばさん若いね。その歳であっちこっち、よく出掛けてみるなぁ。』って言われますのよ。」と、ほほほと笑った。
「私、いくつに見えます?もう78なのよ。」背筋はしゃっきり、70代後半とは思われない、生き生きつやつやしたお顔は、表情も明るい。色々興味をもたれて歩かれるのが若さの秘訣かなと思った。どこでも歩いて行かれるのだそうだ。
「1人暮らしだから、1人分を買うのにちょうどいい魚屋さんがあればいいのだけど。」とおっしゃって、「サバの味噌煮が特に好きだけれど、自分で煮たのが好きなの。スーパーで切り身を買うと1人分以上だし、いくら好きでも量も食べられないし、途中で食べ飽きちゃうのよ。一切れだけ売ってもらえたら、うれしいのだけど。」それで、商店街の魚屋のことを話した。昔ながらの豆腐屋や洋服やのことなど、色々な街の店に話が移った。
時々このお客様は、1人でいらしては、ゆっくり食事をされていかれる。そして、商店街のあちこちの店をのぞいて行かれるそうだ。
昨年から理事になった隣のニュー北町商店街では、年1回、11月下旬から1ヶ月間、街路灯にイルミネーションが飾られる。
一般からの応募作品と各店舗独自の作品で、商店街通りを飾る。訪れたお客様の投票によって優秀作品が選出される。一昨年初めて出品した、まるとし作品(流れ星をイメージ)は、子供たちの努力が報われ、優秀賞をいただいた。優秀作品に地域通貨「ガウマネー」が贈られるだけではなく、その作品の投票者にも抽選で「ガウマネー」が当たる特典がある。
ニュー北町商店街のイルミネーションコンクールは、商店街全体をイルミネーションで飾り付けをし、商店街を通られる多くのお客様にひと時のやすらぎを提供したいという想いから始められた。1月25日から12月25日まで開催される。一般参加のイルミネーションや各個店においてイルミネーションの飾りつけがある。
イルミネーションの打ち合わせは、打ち水に続いて僕が担当となった。ただ、なかなか店を抜けられないこともあり、まるとしで食事をしながらの打ち合わせにしてくれた。
練馬商人会の仲間である、伊勢屋支店の岡本理事長のために、少しでも力になればと思い、街路灯につけるイルミネーションの作品は子供たちに頼み、2枚の作品を出品した。
練馬区が、8月1日に独立60周年を迎えることで、60周年記念事業の一環として、練馬区全体も『イルミネーションコンテスト2006』を開催していた。そこで、ニュー北町商店街は、大東文化大学の生徒さんの協力も得て、竹にLEDライトを装飾したものを、商店街の電柱に取り付け、より一層華やかなものになった。
ただ、一番大事な飾りつけ直前の理事会は、僕の父の通夜と重なった。
12月19日、練馬区役所本庁舎アトリウムにおいて「練馬区イルミネーションコンテスト2006」の表彰式が行われた。「企業・団体の部」において、ニュー北町商店街は見事、特別賞を受賞した。表彰式に出席した商店街の理事の方々が、その後すぐに店に食事にいらっしゃった。そして、とてもうれしそうに賞状をみせてくれた。
続いて12月23日、ニュー北町商店街のイルミネーションの表彰式。投票が多かった、子供たちの作品(家の屋根に犬が2匹)が最優秀作品賞を受賞。昨年に続き、2年連続での受賞となった。時間をかけて一生懸命作った、妻や子供たちの努力は報われた。
そして、新年を迎えた。
1月17日、毎年恒例の、きたまち商店街の新年会があった。
昨年までは地元の2つの金融機関のみ来賓だったのが、理事長が代わったこともあり、今年は、両隣の北一とニュー北町の理事長および、練馬区長、商工観光課の課長も呼ばれた。久しぶりのことだ。
新年会には、急遽当日の司会に指名されたが、何とか会を進めることができた。来賓の方以外にも、今年が選挙年ということで、議員の方も途中から何人かお越しになり、その都度、挨拶があった。
その翌日、練馬商人会の顧問をしていただいて、日頃からお世話になっている二瓶哲先生からの依頼もあり、北区商店経営塾の公開講座の講師を務めた。時間は7時30分から2時間、北とぴあ701会議室で行われた。
この講座は、買い物に対する消費者の心理や行動から商売を学ぶ北区独自の商業者向け講座であり、自店を活性化させるには、経営の視点とともに消費者の視点で考えてみることが必要であり、 僕にぜひ話をしていただきたいとのことだった。
その公開講演には、北区の方はもちろん、板橋区や練馬区からいらした方もいて、全部で30人ほどの方が聞きに来られた。
区や都の経営塾に沢山参加させていただいている僕としては、予定調和的な聞き応えの良い話や、建前の言葉はすごく退屈で、やはり現場の声が一番ありがたく思えた。そういう経験から、北区の経営塾の方向性は僕の考えと同じだと感じ、気持ちよくお話させていただけた。
内容について、タイトルは、「個店だからできること。店主の体温が感じられる店づくり」。
という内容の、自分なら聞いてみたいと思う話にした。
見やすくなった配達やテイクアウトメニューのこと、多くの販促関係の資料(回覧して皆さんにみていただけたらと考えていた)もまだまだあり、紙に手書きで注文されたお客様の情報を書き込んでの管理やアプローチの仕方等、売上向上に直結するより具体的な内容など色々話したかったが、時間の関係でできずに残念だった。
講演の2日後、受講された方が、娘さんを連れて食事をしに来てくれた。その方は、店に入りテーブルに座られてからも、すごく恐縮して礼儀正しくされていたので、もしかしたら経営塾に来てくれた方かなと思っていた。
その時の店は、他のお客様や配達の注文もあり、また、仕込みも同時にしていたこともあって、バタバタとしていた。なかなかそばまで行って話かけられなかったけれど、帰りがけに、その方が、「北区の経営塾で教えていただいた」と声をかけていただいて、ようやくお話ができた。とても嬉しかった。
そういえば、北区商店経営塾の告知が、1月16日付の朝日新聞に掲載され、そこに僕の名前も書いてあったと、お客さんから教えてもらったこともあった。
二瓶先生からは、『「参考になった」という意見も多く、充実した時間であったのでは、そして、講演会では新たな取組み内容も聞くことができ私自身も勉強になりました。』と言っていただいた。
また後日、北区の職員の2人の方も、食事にいらっしゃり、いろんな話をした。そして、隣のテーブルにいた他のお客さんと、店内に飾ってある、やはりまるとしの常連である、お風呂絵師の中島盛夫さんの富士山の絵で話が盛り上がった。
北区は、隣の板橋区商店主との交流会を区主催で開いていたり、北区と練馬区の職員の同士が交流したり、いろんなところで連携を進めようとしている。
「経営塾に参加されている皆さんはとても熱心な方が多く、この方々を次に繋げていきたい」と考えているそうだ。具体的にはこれからとのこと、僕に出来ることがあれば、ぜひご協力していきたい。
以下、次号。