試験勉強とは

                       文化情報専攻 6期生・修了 山本 勝久

  
 テオドール・フォン・カルマンといえば航空学の父である。日本の川西航空機の技術指導をし、また中国人のロケット学者銭学森を育てた人でもある。このカルマンの自伝に以下のようなはなしがある。彼がまだ若いころ、ハンガリーの鉱山専門学校の教員時代のことである。学校に赴任してしばらくたったある日、学生の代表者が彼の部屋を訪れ、自分たちはカルマンを警戒していると言ったという。

 「なぜだ」と私は驚いて尋ねた。
 「あなたが来られる前には年取った先生がおられて、最終試験のときは決まって、同じ問題を出してくれ、我々はみんな答えを知っていたから大丈夫だったんですが、先生の問題は、きっと我々には難しすぎるだろうと思います」と学生は答えた。 
 私はかねてから学生によって動揺することはないのだが、この言葉にはいらだった。
そこで私は彼らに、学生は学ぶために大学にいるのであって、教授を教えるためにいるのではないと言って追い返した。 (『大空への挑戦』野村安正訳 森北出版1995年)

 「試験に出る問題をあらかじめ知ることができたら」受験生ならかならずいちどはこんなことを考えるはずである。もちろんこれは無理なはなしであって、ここから受験生の悩みもはじまる。

 仕事がら、よく「受験にむけてどういう勉強をしたらいいのですか?」という質問を受ける。質問をしてくるのは大学入試をひかえた現役生である。こういう質問がいちばんこまる。漠然としすぎているからである。こちらとしてはその生徒の志望校、現在までの受験勉強の進み具合、こういったことを聞いたうえで答える。まず問題集を一冊指定し、自分で解いてくるよう指導する。もしわからないところがあればかならず質問に来るよう言い、一冊解いてしまった場合には、その生徒の理解度をチェックしてみる。足らなければやり直しを命じ、合格ならつぎの問題集を指示する。こうやって二、三冊仕上がったところで受験本番に突入するのがたいていの受験生である。この地味な勉強に真剣に取り組めば、たいてい志望校に合格できるのが昨今の入試レベルといえる。問題は、いつやる気になるかであり、そもそも「やる気」それ自体がつかみどころのないものである。これについては以下に西部邁氏のことばを引きたい。

 第一に、知育そのものは実は独学でもできるということを我々はあっさり認めなければならない。・・・知育そのものは、本人にやる気さえあるなら、本を読み自分で考えればどうにかなるものだといえる。ところが厄介なのが、その「やる気」である。これも自分自身の経験を踏まえれば、やる気というのは一人きりで生きているといつの間にか消え失せてしまう。・・・放っておけばどんどんやる気をなくすものであって、実はやる  気もまた教育の場においてしか成長しえない。 (「中央公論」2007年2月号)

 「やる気」の「成長」。じつに含蓄に富むことばである。いかに短期集中型が至上命題の受験勉強といえども「成長を待つ感覚」、いいかえれば「時の感覚」の大切さは、いくら強調してもしすぎることはない。瞬間的なある時点の偏差値にとらわれるより、自分のなかに確実に成長しつつある学力の方を信じてほしいと思う。    




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