著者は「文学のほか一切を捨てて来た。無常(死)を感じたら、文学をやる以外に、生きる道はなかったのである」という人である。世界一周の船中を見わたして「乗客はみな、この船旅を貪り楽しもうとしている。この「むさぼる」という空気が息苦しい。…「喰うことが仕事や。」こう言うている男がいる。女もいる。何もすることがないので、朝昼晩、二度ずつ飯を喰うているのだ。家畜と同じ」と言い放つ。これではいったい何が楽しくて旅をしているのかわからない。著者は「私は「楽しむ」のが嫌いだ」という。そんなにいやならなぜ来たのか。「いずれ船で世界一周旅行に連れて行ってね」と夫人(著者は「嫁はん」もしくは「順子さん」と書く。詩人高橋順子)にせっつかれたからという。
この『世界一周恐怖航海記』は車谷夫妻に詩人新藤凉子を加えた三人の約四ケ月の船旅を日記風に綴ったものである。外国旅行に興味のない著者は船中の図書室で本を読む。そして先輩作家たちに批判の矢を放つ。とくに、福永武彦、寺田透といった大学教員のかたわら小説、評論をものした人たちへの批判は峻烈をきわめる(ただし江藤淳だけは例外らしい)。その反面、島尾敏雄の評価が高いのは、著者は書いていないが、おそらく島尾敏雄が大学教授の地位をなげうって文学の世界に身を投じたからであろう。
島尾敏雄はみずからの浮気事件によって起こった嫁はんの狂気を「死の棘」と書いている。私の人生にはいまのところ、このような「棘」はない。(p131)
こう書いて著者は自らの来し方行く末に思いをめぐらす。著者自身が経験した三回の「姦通事件」が『赤目四十八瀧心中未遂』創作の下地となったこと。作家として「栄誉と金」を手に入れたものの、強迫神経症を発症して「早くこの世を立ち去りたい」と念ずるようになったことなどである。そして「「書く」においては、何も救われなかった。却って多くの人を傷つけてきた。人は真実を書かれると怒るのだ」とつぶやく。この何度も繰り返される一見自虐的な自己省察こそが、本書にかぎらず車谷の随筆の魅力である。
数年前のある晩、いっしょに飯を喰うている時、順子さんが「くうちゃん(筆者注、車谷長吉のこと)、私が先に死んだら、そのあとどうするの。」と言うた。「朝日の古高さんに来てもらって、二人で暮らす。」と答えると、順子さんは卓袱台をひっくり返して、わっと大声で泣き出した。驚いた。…この「泣き叫び」が島尾ミホさんの「狂気」の始まりでであり、「死の棘」の始まりである。数日後、嫁はんは「くうちゃん、お墓を買いたい。そのお墓にくうちゃんと私の名前を二つ彫り込むの。そしたら古高さんが後から来ても、私たちの墓には入れないから。」と言い出した。そしてこの世界一周旅行から帰国したら、墓を買うことになっている。…私には順子さんより先に死ぬ以外に救いはない。(p133)
深刻にはじまる著者の思考も、最後はいくぶんユーモラスに着地する。読者をあきさせないのは、本書全編を通して変わらないこの上げ下げの妙である。そして、それがぎりぎりのところで自虐に堕しないのは、もちろん著者車谷長吉の文士の意地である。
|