『マオの肖像 毛沢東切手で読み解く現代中国』

内藤陽介著、雄山閣 1999年

国際情報専攻 6期生・修了 増子 保志

     
       
   

   古来、ヨーロッパなどでは王の肖像を描いた貨幣を鋳造し、その地域の支配者が誰であるのか、目に見えるかたちで人民に知らしめてきた。貨幣同様、国家の発行する郵便切手も同様に1840年にイギリスで世界最初の切手が発行されてから多くの国家で、元首や「建国の父」とされる人物の肖像が切手の図案に用いられてきた。
 著者は郵便学の学徒を名乗る。郵便学とは「郵便という視点から国家や社会、時代や地域のあり方を再構成しようとするもの」としている。ある地域で国家が切手を発行し、流通させることは、その地域における国家のプレゼンスを示している。それ故、ある切手の図案や発行目的などを調べれば、国家の政策やイデオロギーを把握できる。戦時には戦意高揚を意図した切手が発行され、国家的行事に関しては記念切手が発行される。また、歴史上の事件や人物が切手上に取り上げられる場合、そこには国家の歴史観が投影される。また、印刷物としての切手の品質は発行国の技術的・経済的水準をはかる指標にもなり、郵便料金の変遷は物価の推移と密接に関係している。
 本書では、毛沢東像がどのように切手に登場し、氾濫し、やがて消えたかを歴史的に丹念に辿る事で中国の国家像に迫った。本書の主題である毛沢東の肖像は、中華人民共和国の建国以前の解放区時代からその死を経て、現在に至るまで中国共産党の支配地域で発行された数多くの切手に使用されている。
 例をあげるならば文化大革命の前期、切手における紅衛兵を接見する毛沢東の肖像は、いずれも濃緑色の軍服姿で殆どが着帽あるいは帽子を携えている。切手では、「無帽」の毛沢東像が政治的指導者としての毛沢東を描くための演出であるのに対し、「着帽」の毛沢東像は軍事指導者として描くための演出であった。新生中国の誕生後に着帽の毛沢東切手が激減し、無帽の毛沢東切手が圧倒的多数を占めるようになったのも、新国家建設に際して、毛沢東の政治的リーダーシップが軍事的リーダーシップよりも重要視されてきたことの表れであろう。
 毛沢東の肖像には、各時代の政治的・社会的状況が如実に反映されている。切手上の毛沢東像に多くのヴァリエーションが生じるのは、切手上において毛沢東のイメージ操作を行った結果である。こうしたイメージ操作は、毛沢東が自己の正統性や政策内容を内外にアピールするために行われるものであり、その意味で切手は国家にとってメディアとして重要な機能を果たしているといえる。




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