国際融合文化学会第11回宮古島大会に参加して

                       文化情報専攻 8期生 金井 治

  
 平成18年10月に、「国際融合文化学会」が沖縄県宮古島市で開催され、私も研究発表者の一人として参加した。本学会は宮古島市制発足1周年記念行事の一環として、市長の要請に応えて開かれたもので、3日間にわたりシンポジウム、英語能ハムレット公演、研究発表会、島民交流会などが催された。
 宮古島市は昨年、5市町村が合併して誕生したばかりで、「健康都市宣言」をして今後の市発展に向けて模索しているときでもあるという。その宮古島市での開催の経緯について、国際融合文化学会会長の上田邦義先生に聞いてみたところ、次のようなことだった。学会のホームページを見た市の職員が市長とも協議して、「自然・環境・健康・平和」をテーマに掲げている市民の意識と、学会のモットーである「調和・共生」が合致している点に注目して招聘する段取りになったそうである。要するに、学会のホームページが縁結び役を果たしたというわけである。今更ながら、ウェブサイトの効用というものを知る思いがする、と上田先生は述懐していた。

 最初の夜は、伊志嶺市長をはじめ助役、教育長など市の幹部が出席して市内のホテルで歓迎会が開かれ、来島した学会関係者30数人と歓談のひとときをもった。私は25年ほど前に宮古島を訪れたことがあるが、当時は素朴な自然環境たっぷりの島という印象が記憶に残っている。今の島の様子は、その当時から比べるとちょっと変化している気がしたので、市長に話しかけてみた。73歳になるという市長は医師でもあり、温厚そうな感じの人である。カウンターで私が泡盛のオンザロックを求めると、市長は同じく泡盛を割らずに注文した。そして、市長は宮古島の現状について、25年前とは様変わりしていることを認めつつ、開発の進展をやや懸念するような口ぶりで、今後どうすべきか検討中であるというような話し方をした。「島の開発を優先すべきか、それとも自然環境を保全すべきか」――もしかしたら、目下のところ、市長はハムレットのような心境に置かれているのではないだろうか。私は泡盛の酔いを感じながら、ふとそんな気がしたので、それ以上の話の突っ込みはしなかった。2時間ほど、それぞれの参会者が楽しく有意義な懇談のひと時を過ごし、歓迎会は終了した。

 翌日は、午前10時から宮古島市中央公民館で「市制1周年記念シンポジュウム」が開催された。「21世紀人類の進化と宮古島の発展」というテーマで、市長をはじめ9人のパネリストが具体的提言をするという趣向であった。天文学、自然農法、介護、地場産業、水質保全、映像文化などの多彩な専門家が顔をそろえ、各人が5分間で提言を行った。ユニークな発言も多々あり、100人以上の聴衆が熱心に聞き耳を立てていた。ただ、私が実に贅沢だな、と思ったことはパネリストに5分間しか発言時間が与えられなかったことである。市長の基調提言も途中で時間がきて、無情にも鉦を鳴らされていた。全体的な時間の制約があるのでやむをえないが、もう少し各専門家の提言を聞きたかった、というのが私をはじめとする聴衆の思いではなかっただろうか。
 その日、午後2時から市民劇場で「英語能ハムレット」公演が行われた。能楽師による英語での能の舞台は世界で初めての試みとのことで、注目が集まった。最初に「英語能シェイクスピア研究会」の代表である上田先生が、解説と自作の宮古島賛歌を披露した。また、8人の本大学院の院生や修了生が出演し、舞台を盛り上げた。地元の宮古毎日新聞には、「上演後は、会場から出演者に対する大きな拍手が送られるとともに、650年間にもわたる能の歴史と芸術性に大勢の市民が感嘆の声を上げていた」と報じられていた。
 私も、今回同行した妻と娘とともに観客席にいたが、ゼミなどで顔見知りの人たちが本格的な舞台で袴姿で堂々と舞を舞ったり、地謡を務める様子を眺めながら少なからぬ感動に浸ったのだった。

 その感動の舞台の余韻も覚めやらぬうちに、私たちは研究発表会の会場へ向かった。いよいよ私の出番がきたのである。私は初体験なので、上田先生に「研究発表で大事なことは何か」と質問したら、「時間内に終わらせることである」との端的な答えが返ってきた。
 なるほど、その通りだ、と納得したので、とにかく15分間の持ち時間で自分の言うべきことを言えるように集中することにした。
 シンポジュウムが行われた中央公民館が会場となっており、午後4時過ぎから6人が研究発表をした。聴講者には市長をはじめ助役、教育長なども顔を見せ、熱心に聴いていた。私は2番目に登壇し、「ヘミングウェイ作品にみる臨死体験描写について」と題して、なんとか時間内で発表を終えることができた。あらためて今回の研究発表者の顔ぶれをチェックしてみたところ、院生は台湾在住の女性と私だけで、後の4人は大学で教鞭をとっている人たちであった。研究発表を終えてみて、やはり限られた時間内で、聴講者に分かりやすく説明することは、つくづく難しいと思った。

 3日目は、宮古島に隣接する池間島で「英語能ハムレット」公演と、島民との交流会がもたれた。この日の行事は、池間島の人たちの強い要望によって実現したものであり、私たちはホテルからバスで30分ほどの会場となる「池間島離島振興総合センター」を訪れた。午前10時半、最初に観世流能楽師の二人が仕舞「高砂」「羽衣」を舞った。女性能楽師の杉沢陽子さんは本大学院の6期修了生である。
 続いて、「英語能ハムレット」の幕があがった。ハムレットには上田先生が、オフィーリアには、今年春に博士号を取得した宮西ナオ子さんが扮した。地謡などの出演者は、昨日と同様に院生や修了生である。「生死は、もはや問うまでもなし。この世もあの世も本当のいのち。宇宙の命につながること」との深い意味を込めた、英語能の舞台は会場を埋めた観客に、どのように伝わったのだろうか。
 舞台終了後、会場は島を訪れた私たちと、島民との交流会の場に変じた。昼時なので、島の人たち手作りの料理が、テーブルに次々に並べられる。カツオの刺身、さつまいもの葉の煮物、黒糖のてんぷら、こんぶの煮しめ、きゅうり・いか・かぼちゃの煮つけ、沖縄そば、もち、赤飯などが、大皿に盛られていた。すごいご馳走の数々である。私たちは、これら料理の素材や調理法などを島の人に聞きながら、おいしく食べた。あとで聞いたところによると、島の人たちも、こんなご馳走はめったに口にすることはないとか。島の人たちがいかに私たちを歓迎してくれていたのかを知り、思わず胸が詰まった。
 昼食会が終わると、老人会の人たちが輪になって踊りだした。クイチャーという口承による歌を口ずさんで、身振り手振りを繰り返す。私たちも加わって楽しい交流の輪が1時間以上も続いた。
 その後、島の研究家の案内で、私たちは島内を見学した。池間島は、高齢化率50%をこえるというお年寄りの島である。昭和30年代にはカツオ漁が最盛期でにぎわったこともあるが、今はその面影もなく静けさが漂うばかりである。島内を散策してみると、なんともいえぬ時が止まったような不思議なたたずまいを感じさせる。私たちは、迎えのバスが来るまでの時間を利用して句会を開いた。最後に、私の駄句を披露して結びにしたい。
     池間島 あの世とこの世の 橋渡し
     池間島 宇宙のいのち 時とまる

 

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