遠くて近い国 〜モンゴル〜

                       国際情報専攻 8期生 吉澤 智也


 1、一般事情

 モンゴル出身力士旭鷲山や朝青龍などの活躍で、「モンゴル」という国名が日本国内でも頻繁に聞かれるようになった。モンゴルは、北はロシア、南は中国という大国に囲まれ、日本の約4倍の国土に約250万人の人々が住んでいる。
 そのうち約90万人が首都ウランバートルに住んでいるといわれるほど、人口が集中している。モンゴルは広々とした緑の大草原の国というイメージが強いが、北は森林地帯・西は山岳地帯・東は草原地帯・南は砂漠地帯といった地形が広がっており、自然環境も非常に厳しい国である。

 90年のソ連崩壊により社会主義から市場経済に移行、社会システムが崩壊した影響による混乱もおさまり、最近では貧富格差が広がるなど、新たな問題の原因となっている。安定した生活や現金収入を得られる職を求め、地方からウランバートルに移住する人口増加は、都会のさまざまな問題の原因ともなっている。

 最近では、モンゴル国営のMIATモンゴル航空の就航によりアジアをはじめ、ヨーロッパからの観光客が増加している。日本から直行便が週3便発着しており、約5時間のフライトである。モンゴルを訪れるほとんどは、モンゴルに残る貴重な大自然と、長い歴史から養われた遊牧を体験するツアーに参加するものである。今年は、モンゴル建国800周年と記念すべき年でもあり、多くの観光客が訪れ、モンゴルという国が世界中に改めて伝わった年といえる。

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首都ウランバートル(2004年7月)


2、モンゴル国の対外関係

(1)中国・ロシア
  北はロシア、南は中国といった大国に挟まれたモンゴルにとって、中国・ロシアとどうつき合うかが最大で最重要な外交問題である。その外交関係は、どちら側にも偏らないというものである。中国とも新しい相互援助条約を結び、ロシアとも相互援助条約を結び直すという形で、両国との関係をバランスよく築いている。しかし最近では、国民の間で反中感情の高まりも見られる。

(2)日本・モンゴル
  日本との交流は、日本がモンゴルに対する支援国の中心となり、かつ援助(ODA)全体の大体を負担するという形で深くつながっている。現在、日本とモンゴルには非常に密接な関係が出来上がっている。
 しかし、ODA絡み以外は、貿易も一進一退の状況である。要人同士の交流は深く、歴代首相のモンゴル訪問も少なくない。本年は、小泉首相をはじめ多くの要人が訪問している。
 過去に、ノモハン事件などの歴史的問題もあるが、モンゴルと日本との関係は良好といえる。

(3)その他の対外関係
 モンゴル周辺の地域、中央アジア、内陸アジア一帯の国々との交流が非常に盛んである。シベリアまで含め、幅広い交流を深めている。モンゴル周辺の国々が豊かになり安定すれば、モンゴルにとって最大の経済交流の相手になる。
 最近では、アメリカのブッシュ大統領のモンゴル訪問など、新しい外交関係をも築き上げつつある。

3、こんな国 〜モンゴル〜

 飛行機でモンゴルを訪れると、草原のど真ん中の盆地に突然と首都ウランバートルが見えてくる。市内で目にするのは、キリル文字の看板とヨーロッパ風の町並み、通りを行き交うモンゴル人は日本人によく似たアジア系の顔である。
 ウランバートルから30分も車で走れば、何も無い緑の大草原地帯が広がる。南へ向かって車を4時間も走らせれば、緑の大草原から茶色い大地へと変わり、ゴビの入り口となる。ウランバートルの標高は1350m、 モンゴルの平均標高は1500mと非常に高く、雲がすぐ真上に見え、夜は星空が綺麗に輝いている。
 モンゴルの南側はゴビ地方である。砂漠とは呼ばないのは、「ゴビ」が「短い草がまばらに生えている場所」という意味だからである。北部はシベリア・タイガ地帯となり、湖や河川が沢山ある。山岳地帯はアルタイ山脈とハンガイ山脈となり、残りの80%が草原である。

 遊牧民は太陽が地平線から上がってくると、1日の生活が始まる。そして、家畜がざわめきだすと、まずはじめに起きてくるのは女達で、乳絞りが1日の始めの仕事である。男達は家畜の放牧に草原に出かけ、太陽が地平線に傾きかけるころ、ゲルに帰ってくる。
 遊牧民は、寝ている時間以外は馬に跨いで家畜の放牧をしており、日常の移動手段も馬によるものが多い。ゴビ地域ではラクダによる移動手段をとる遊牧民もある。遊牧民の子供達は4歳位になれば馬に乗りはじめ、10歳頃には一人前になる。モンゴルの広大な草原で家畜を放牧していくには、馬を自由に乗りこなせる技術が必要である。この技術の習得は、約4千年前からだといわれている。チンギス・ハーンが広大な帝国を築くことができたのも、モンゴル人と馬が絶対に切り離せない関係であったからである。
 自然と共存しながら生活をしているモンゴル人にとって、自然環境は法律よりも厳しい掟のようなものなのである。

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大草原 (2005年8月)

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ゴビを背景に (2005年8月)

(1)ゲル
 木とフエルトで出来た組み立て式移動住居。内モンゴル自治区ではパオと呼ばれる。円形の骨組みの上に布をかけ、煙突代わりの天窓が開いている。冬は羊の糞を床下に敷き、羊の糞を固めた固形燃料を燃やして暖をとる。奥が主人、入り口右側が女性・子供、左側は男性・客人の席となる。北奥の最上席には仏壇が置かれる。また、ドアに鍵はなく、誰でも出入りが可能であり、客を丁寧にもてなすのがモンゴル流である。

(2)五畜
 モンゴルの遊牧民が飼う動物は牛、馬、羊、山羊、ラクダの五種類で、合わせて五畜という。毛を刈り、乳を絞り、肉を食べ、骨や関節は子供のおもちゃになる。初夏には馬乳から馬乳酒が作られる。ラクダの乳からもチーズなどの乳製品を作る。

(3)羊肉
 モンゴルで肉といえば羊肉である。骨を折らず・切らず・関節に従って解体し、大鍋で茹でる。血を一滴も流さずに解体するのがモンゴル流であり、これは動物に対するモンゴル人流の感謝の気持ちである。味付けは塩で、保存用として干肉を作ることもある。モンゴルの主食はこの羊肉といってもいい。

(4)モンゴル相撲
 モンゴル相撲は、大相撲力士の旭鷲山や朝青龍の活躍で一躍脚光を浴びているモンゴルの伝統的なスポーツ。13世紀、チンギス・ハーンの時代に兵士の身体を鍛えるために用いられていたとされ、現在のモンゴルでも大変人気のあるスポーツである。

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遊牧民ゲル (2005年8月)


4、モンゴルの未来

 モンゴルを最初に訪れたのは高校2年。これまで8回モンゴルを訪れている。毎年訪れるモンゴルは、行く度に変化し、驚かされる。つい数年前までは、タクシーすら無く、車もほとんど見られなかった。それが、今では首都ウランバートルは大渋滞と車の排気ガスが日常茶飯事。そして、レストラン事情も変わり、ファーストフードや世界中の料理を食することまで出来る。
 また、移動は馬から車へと変わり、乳製品と肉中心の食事から欧米風の食事へと変わった。住まいも、ゲルからマンション、一戸建ての家。ウランバートルは、何もない薄暗い都市から近代化した大都市へと変化した。

 モンゴルは、海外からの援助によって数年で大きな発展を遂げることが出来た。特に日本からの援助による影響は大きい。町中にODAマーク付きのバスや消防車が走り、学校に供与した机や機材にもシールが貼ってある。モンゴルが日本の援助によって大きく変化したといっても過言ではない。
 最近は若いモンゴル人からも、「これからは自分たちに出来る事は、自分たちで努力していきたい。」という言葉も聞く。モンゴルの人々全体に、自助努力で発展していこうという意志が広がっていくことが、これからのモンゴルを変えていく原動力となるに違いないと強く感じる。

 また、若いモンゴルの学生には、日本語は人気のある言語である。大学で日本語を専攻する学生も多く、小中学校でも日本語を導入している私立学校がある。今後、両国の若い世代による日・蒙の交流が促進していき、両国の友好に大きくつながっていくことを期待したい。



【参考文献/HP】

1)駐日モンゴル国大使館HP
 <http://www.mongemb-jp.com/bignewsd.php?id=105> [2006年11月3日アクセス]
2)島崎美代子/長沢孝司『モンゴルの家族とコミュニティ開発』日本経済評論社、1999年7月25日




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