『メディアは知識人をどう使ったか』

大井浩一著、 勁草書房 2004年

国際情報専攻 6期生・修了・研究生 増子 保志

     
       
   

   「知識人って何だろう?」エドワード・W・ザイードは、知識人を「公衆に向けて、あるいは公衆になりかわって、メッセージなり、思想なり、姿勢なり、哲学なり、意見なりを表象=代弁し肉付けし、明晰に言語化できる能力にめぐまれた個人」としている。
 今日のメディアでは、新聞の一日の紙面、テレビ局の一日の放送番組の中にも実に多くの知識人が動員されている。
 本書は、新聞を中心とする日本のメディアが敗戦直後に、どの様な知識人を登場させ、それによって、どの様な効果を得ようとしたのか。「メディアはどの様に知識人を使っているのか」という問いにメディア論と知識人論の視点から分析を試みている。
 著者は、メディアが知識人を利用することで得られる効果として、(1)補強材料 (2)権威づけ (3)読み物 (4)特ダネ (5)方向づけという5つのポイントを挙げている。メディアにとって自らの論調や主張との兼ね合いで知識人を利用するケースが少なくない。あるテーマについて、その知識人のもつ見解を掲載することによって、メディアの取るべき論調・主張の方向性を決定し、補強づけをする。
 結局、「メディア」という言葉は、ある理論や思想を語るための体のいい手段として使われる傾向にある。
著者が敗戦直後の論壇を取り上げたのは的確である。メディアによる知識人の利用という営みがフル回転した時期であると同時に現在に至る『戦後』的言説の支配が成立する時期であるからだ。現在の論壇が振るわないとすれば、状況の変化にもかかわらず、編集側と書き手の双方が『戦後』的言説のコードに安住しているためだろう。現状の打破には、メディアに『使われる』だけでなく、メディアを『使う』能力を発揮してコードの転換を主導する知識人の登場が求められる。
 あとがきで著者も述べているように、マクルーハンをはじめメディアを論じるものは、メディアが世界の「媒介物」であることを忘れ、「メディアこそすべての世界」のように語りがちである。しかし、それは単なる錯覚に過ぎず、メディアが働くところには、常に「媒介された」人間と社会の現実が厳然として存在している。このことは、将来においてどの様なメディア環境が出現しようとも見誤ってはいけない重要なポイントである。
 メディアは、自身もしくは記事の信頼性や社会的威信を増すために知識人の権威を利用し、かたや知識人も自己の主張や見解をメディアを使って社会にひろめようとしたのであって、メディアと知識人は互いに互いを利用しあったというべきなのであろう。




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