詩の形
石原の詩は、散文形式の詩を除いては、ほとんど例外なく、一行一行が短く整えられている。先に引用した詩「位置」を見ても明らかであろう。そこから石原が言葉のリズムを大切にしていることが読み取れる。また、リフレイン(繰り返し)という詩の修辞法が多用されている。例えば、「しずかな敵」(『石原吉郎詩集』、思潮社、1967年)を読んでみよう。
おれにむかってしずかなとき
しずかな中間へ
何が立ちあがるのだ
おれにむかってしずかなとき
しずかな出口を
だれがふりむくのだ
おれにむかってしずかなとき
しずかな背後は
だれがふせぐのだ
たった九行の詩の中で、「おれにむかってしずかなとき」が三度、そのうえに、「何」「だれ」「だれ」という疑問代名詞が三度、その後に「しずかな中間」「しずかな出口」「しずかな背後」が続く。この詩は、リフレインのみで成立している詩であるとも言える。これ以上細かく行分けをすると、きわめて読みにくくなると思われるぎりぎりの言葉運びである。
「しずかな背後」には、おそらくシベリヤの強制収容所体験があるのであろう。「しずかな敵」という詩名がそれを暗に示している。詩人の内外に陰に陽にひそみ続ける「敵」。余人には測り知ることのできない、作者の緊迫した現場があるに違いない。リフレインによって成立している詩であるにもかかわらず、この詩にはどこか不思議な魅力がある。読み手は、知らず知らずのうちに、石原の内外の現場に立ち会うことになるからである。
石原には、「背後」という詩がある。「きみの右手が/おれのひだりを打つとき/おれの右手は/きみのひだり手をつかむ/打つものと/打たれるものが向きあうとき/左右は明確に/逆転する/わかったな それが/敵であるための必要にして/十分な条件だ/そのことを確認して/きみは/ふりむいて きみの/背後を打て」(『日常への強制』構造社、1970年、所収詩集「斧の思想」)。
この詩では、「きみ」が「打つもの」となるとき、「おれ」は「うたれるもの」になり、それぞれの右手と左手が左右逆になって、その役割を課せられることになる。面と向かってそのような形になるとき、「敵」となることを断定している。それを確認してから振り向いて自分の背後を打てというのである。
ここには何ひとつ結論めいたことは記されていない。穏やかではあるが、毅然とした問いが作者から三度も投げかけられている。
風の詩人
私が石原吉郎を「風の詩人」と命名した理由についてふれたい。
石原は、生前、400篇に迫る数の詩を公にした。そのうち、52篇に「風」という言葉が登場し、「風」と同根である「息」や「呼吸」という言葉を入れると、62篇に及んでいるのである。数量のことだけを言っているのではない。質においても「風の詩人」と言いうるのである。
その中でも、詩集『禮節』(サンリオ出版、1974年)に収録された「名称」という詩に私は魅かれ続けている。
風がながれるのは
輪郭をのぞむからだ
風がとどまるのは輪郭をささえたからだ
ながれつつ水を名づけ
ながれつつ
みどりを名づけ
風はとだえて
名称をおろす
ある日は風に名づけられて
ひとつの海が
空をわたる
この日 風に
すこやかにふせがれて
ユーカリはその
みどりを遂(と)げよ
15行詩の中に、「風」という言葉が五回も用いられている。その「風」は、「水」や「みどり」や「海」に命名する風である。その命名は、何よりも命と関係している。文字どおり、命を吹き込む命名である。「水」にも「みどり」にも「海」にも命を与えるのである。風は流れながら、それらに命名してから、風の命を断念する。すると、「名称」がその事象に降り立つのである。
その風は、石原が強制労働を科せられていたシベリヤの大地を吹き抜けていく風であろう。強制労働で疲労しきった肉体には、それは、時に峻烈を極める風であり、時に温もりと癒しを運ぶ風であったかもしれない。最終の二行が、作者の強いメッセージを読み手に喚起する。「ユーカリ」に託された「みどり」は、私たちに託された「命」とも言うべきものであろう。そこにこの詩の命の水源がある。
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