「風の詩人 石原吉郎」 第1回

博士後期課程・総合社会情報専攻 3期生 柴崎 聰 


出会い

 ある日、私の勤務する出版社にひとりの詩人が訪ねてきた。かつて短い期間ではあったが、その編集部で働いていた経験があるとのことであった。彼から石原(いしはら)吉郎(よしろう)の名前を初めて聞いた。詩集を紹介された。30年も前のことである。
 それをきっかけにして、石原吉郎の詩集やエッセイ集を読み始めた。屹立するような、それでいてリズミカルな詩行の運びに、私はすぐに魅せられた。その後しばらくして、東村山市に住む三人で始めた詩の読書会において、現代詩文庫『石原吉郎詩集』、『新選 石原吉郎詩集』を読破した。一人が二篇ずつを発題し、議論した。自分の解釈をぶつけあって、時には激論になった。一人で読んでいると分からなかったことが、三人で読み合うと不思議にも分かってきた。
 そのことを通して痛感したことは、石原の作品は議論の試練に堪えられる作品であるということであった。三人がそれを一様に認めた。石原の詩は難解であるし、時に不明晰であったが、それだけ奥行深く感じられ、様々な解釈を可能にした。
 石原は、シベリヤそれも強制収容所における苛酷な体験をし、戦後しばらくして日本に帰還してから本格的な詩作活動を始めている。そのために、シベリヤ体験からのみ石原の詩が解釈される傾きを持った。それはやむを得ないことであったかもしれない。

位 置

  第一詩集である『サンチョ・パンサの帰郷』(思潮社、1963年)の最初の詩は、「位置」である。

   
位 置

   しずかな肩には
   声だけがならぶのでない
   声よりも近く
   敵がならぶのだ
   勇敢な男たちが目指す位置は
   その右でも おそらく
   そのひだりでもない
   無防備の空がついに撓(たわ)み
   正午の弓となる位置で
   君は呼吸し
   かつ挨拶せよ
   君の位置からの それが
   最もすぐれた姿勢である
                     (『石原吉郎全集T』花神社、1979年、5ページ)

  一行一行は短く厳しく刈り込まれ、前のめりになりながらも毅然とした姿勢を垂直に保っているような詩の運びである。そこに石原の詩の魅力があった。断定の魅力であった。この詩の発想は、まずシベリヤ体験にあるであろう。「敵」がいるからである。強制収容所で直に体験した出来事が下地にあるであろう。それにもかかわらず、詩は完成されれば、自立の道をたどる。好むと好まざるとにかかわらず、詩人の手のうちから飛び立つ。
  この詩から、新約聖書の福音書に記されているイエス処刑の場面を連想する読者もいる。ルカによる福音書23章が伝える「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行」き、処刑場であるゴルゴタの丘に立つ真ん中の十字架にイエス、左右の十字架に犯罪者が架けられる。その構図を思い描くのである。それも立派な一つの解釈になるであろう。

二度の電話

  石原に魅了された私は、早速エッセイ集という企画を内懐に携えて、石原吉郎に会いに行った。1974年のことである。丸刈りにした頭が、修練に励む修道士のたたずまいを見せていた。小柄な人であった。企画の快諾を得た時の喜びを私は忘れないであろう。その時から、1977年に石原が自宅の風呂場において事故死するまで、少なからぬ親交を得たことは幸いであった。すでにアルコール依存症の徴候が表情や振る舞いに現れてはいたが、周囲にはいつもシベリヤの峻厳な「風」が吹いていた。そこでまとまったのが、三番目のエッセイ集『断念の海から』である。
  石原から私は二度、電話で聖書箇所を尋ねられたことがある。
  一度目は、ヨハネによる福音書15章13節の「人その友のために己(おのれ)の生命(いのち)を棄つる、之より大(おおい)なる愛はなし」であり、二度目は、創世記19章24―26節の、アブラハムの甥であるロトの妻が後ろを振り返ったために塩の柱になる箇所である。
  前者がどのような形で作品に反映したのか、私は知らないが、後者は、歌集『北鎌倉』の「塩」という項目にある「男(を)の子しもロトのごとくにふり向きて塩の柱となることありや」に結実している。 しかし石原は、意識的にか無意識的にか、「ロトの妻」と「ロト」を取り違えて用いている。短歌の「ロト」の傍らに註が添えられていて、「ロトの妻は後を回顧(かへりみ)たれば鹽の柱となりぬ」(創世記19・26)が引用されている。そこから判断すると、意識的に取り違えていると推量できるであろう。
「石原吉郎とキリスト教」「石原吉郎と聖書」という主題が私の脳裡に浮上してきたのは、この二度の電話を契機としている。この主題の光のもとで石原の作品を見渡してみると、キリスト教や聖書の影響がきわめて大きいことが分かってきた。  


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