オックスフォードの窓辺から(4)

爆笑!ここがヘンかも?外国人(中華人民共和国 編)

 

文化情報専攻 6期生・修了 外村佳代子

   

 国連の『世界人口白書2004』によると、世界の総人口61億人。中国の人口13億人。ダントツで人口の多い国である。実に世界の4.6人に一人が中国人ということになる。中国の総人口の92%は漢民族で、それ以外に55の少数民族からなる。同書によると10億人を超える人口を持つ国は2位のインドで10億人、3位のアメリカでも3億人に満たない。
 私の訪問したことのある国でも、その国の自国民を除くと人口比率は上記と変わりないような気がする。それ程どこに行っても中国人と出会う確立は高い。日本にもアメリカにも、ここイギリスにも西欧のあらゆる国々にもリトルチャイナは存在するし、商売上手の彼らにとってそのバイタリティを発揮させる場所は、本土に限る必要はないのだ。
 諸外国に行って、その国の食事に飽きてくると中国料理の店を探す。本格的なイナカでなければたいがいどこにいっても必ず見つけることができる。お米の国からきたものにとってチャイニーズパワーはありがたい話である。


  私の家に一番近い日本食レストランは、中国人経営である。研究熱心でもあり、なかなか繁盛している。始めてそのレストランを訪れたのは店がオープンをした3日後だった。“サーモンいくら丼”は、薄く削ぎ切りをしたスモークサーモンが5.6枚と、小さじ1杯ほどのいくらが乗って、日本円で約1200円程度。日本のうなぎやで供されるような四角いプラスティックの器(弁当箱)に入っていた。当然みそしるもお茶も有料である。どうやら私たちが、初めての日本人だったらしい。注文品をテーブルにおいてから食べ終わるまで、厨房の人もフロアーのウエイターも全員がこちらを見ている。ちらちらではない。じーーーーっとである。少しずつ近寄ってきた。テーブルを囲まれ、まるで刑事ドラマで見た、自白を促されている犯罪者のようである。その弁当箱の5分の1ほどの大きさのわさびがじゃまだった。もしかしたら、日本語がわかるかもしれない。ぼやくことも出来ず、ほとんど無言のまま食べ続けた。頭を上げるたびに彼らの誰かと目が合い、落ち着かない。食後、友人とグリーンティーのティーバックが入ったままのお茶を飲んでいると、頃合いよし、とばかりに感想を聞きにきた。「どうだった?」「これは日本食だろ?」「俺達はここで(商売を)やっていけると思うか?」

 私も日本人の友人も言葉につまってしまったが、どうして日本食の店をやりたいのか聞いてみた。答えは単純だった。中華料理の店はひしめき合っている、勝ち目はない。イタリア料理はピザしか知らない。フレンチは作ったことも食べたこともない。で、同じアジアの料理にしようということになったが、タイ料理は複雑だし、寿司なら米と魚があれば出来るだろう。ということになったらしい。彼らは日本人相手の日本食ではなく、外国人相手の日本食レストランをするのだという。「寿司ならみんななんとなく知ってるだろ?でも本物は知らない」なるほど……。値段はというと、1人前の握り寿司セットがネタにもよるのだが、約4000円位からとなっている。けして安くはない。日本で修行をしたこともなければ日本語がしゃべれるわけでもない。本を見て、研究をしたという。「だったらお茶くらい無料にしたら?」そういうと「わさびならいくら食べてもタダだよ」。誰が、こんな握り寿司よりでかいわさびだんごを食べるのだ。

 余談になるのだが、中国人は目上の人や年配者をとても大切にする。その点では日本と共通の価値観である。私の祖父はおととし、104歳で大往生を迎えた。眼もたしか、歯も自前、耳も遠くない。歩く速さは私より早く、カレーライスやピザも大好物だった。生前、その祖父の話を西欧の人にするとあまり盛り上がるような話に発展しない。キリスト教の考え方では、亡くなるという事は神の国にいけるということで、決して終わりでも不幸でもない。むしろ神の国に入ることを許されたと解釈するのである。神の国にいけないのは、行いに問題があるからではないかといわれた。日本的にいえば、「憎まれっ子、世にはばかる」という意味なのだろう。カルチャーショックを受けたものだが、中国人に、私の祖父は104歳なんだよ。というとまったく違う反応が返ってきた。すばらしい、すばらしいの連発である。長生きできるということは、身内の人たちの愛情があってのことであり、そこまで長く生きたというのは、周りが生きさせたのだ。と感慨にむせるのである。ちょっとうれしくなった。なんだか救われる思いがしたものである。ちなみに、エリザベス女王の母君クイーンマザーは祖父と同じ1900年生まれである。2002年3月、生誕100周年に沸いた翌年ウィンザー城の一室で、その生涯を終えられた。日本に帰った際、祖父にクイーンマザー崩御の話をすると、いくつで亡くなったのか。と聞かれたので「おじいちゃんと同い年だよ。101歳だった」そういうと祖父は静かに合掌をしながら「まだ若いのになあ」とぽつりとつぶやいた。

 中国に行ったときのことである。当時、クワガタ虫の飼育にハマッていた私は、仕事で中国に来たついでにどうしても手に入れたいクワガタがいた。日本中がクワガタやカブトムシに沸くほんの少し前のことである。環境破壊と生態系を壊すことはしたくないと専門家に飼育の指導をうけ、森に返すときには採取した場所に帰すことに決めていた。近所の子ボウズ君たちの間ではちょっと知れたものになり、自分達で飼育が困難になった生き物をよく玄関先に置かれていた。うわさを聞きつけてきたというあるクワガタブリーダーは、私の1匹のオオクワガタに107万円の値をつけたことがある。だが、子供のようにかわいがっている彼らを販売することはついぞ一度もなかった。図鑑の中でひときわ目を引くクワガタがいた。“ラオス産クルヴィンデス”。オオクワガタの一種である。オオクワガタのルーツは4つになるらしいがそのうちのひとつである。色が黒檀のように黒く、つやがある。当時は今のように虫の専門店などなく、手に入れる方法はほとんどない。そこで、中国に来たついでにそのクワガタをペアで持ち帰ろうと思っていた。成田空港の検疫の方法も調べ、この種類に関してはなんの輸・出入の規制もないことを確認した。

 ホテルについてから、フロントマンにペットショップがどこにあるか訪ねた。驚いたことにあまり動物をペットにするという感覚が当時の中国人にはないのだという。一部のお金持ちが海外から連れてきた愛玩犬くらいで、動物がほしければ市場に行けばある(いるとは言わなかった)という。いえ、私がほしいのは食用ではないと説明した。その後、ガイド兼通訳の男性にも聞いてみた。何がほしいのかと聞かれたので「クワガタの1種なんだけど………」というと彼もまた「クワガタって美味いのか?」と聞いてきた。
   いや……違う……。食べない……。

 ガイドが自分の知り合いにクワガタ採りを頼んでくれた。数を聞かれたので、1ペアでいい。お金はちゃんと払うから。とガイドを通じて伝えてもらった。ちょっと浅黒く、髪の毛をちゃんと整え欠けた歯を差し歯にでもしたら、ヨン様に似ているかもしれない。この辺の山を知り尽くしていると言っていた。

 翌日、フロントから「お客様です」の電話で起こされた。慌てて身支度を整えてロビーに下りると、さわやかな笑顔のヨン様は蒸し器(調理用品)いっぱいの昆虫を捕まえてきていた。いろいろいる。中には黒々としてしきりに触角を動かす甲虫がいる。動きも早い。「これゴキブリじゃないか」と言うと、ばれたか・・・という顔をした。中国にとってクワガタは害虫に類するのだそうだ。いくらでも採れるというが、商売をするつもりも食べるつもりもないのだから本当に1ペアでいい。と一応手間賃だけ払ってその日は別れた。

 翌朝、ヨン様は2人に、蒸し器は4つに増えていた。もう一度言う、クルヴィンデスの1ペアだけでいい。彼らが本当にクワガタの名前を知らないのか、それとも知らぬフリをしているのか最後までわからなかったが、蒸し器の中は恐ろしいことになっていた。自分でフタをあける勇気はない。バン!と一発フタを上からたたくとフタについていた虫が仰向けになって中に落ちる。フタを取りその蒸し器の本体を机の上に逆さにおく。逆になった本体の底をまた、バン!と叩く。ごそっと音がする。かごを持ち上げるといろんなものが出てきた。中で食事をしていたものもいたらしい、頭や足がぽろぽろと落ちる。私は体が硬直して声も出ない。気分が悪くなってきた。やはりいろいろ出てくるがお目当てのものはいない。とても朝食をとる気になれず、すべてお持ち帰りいただいた。その日一日、なんだかウツな気分のまま一日を終えた。

 夕刻、蒸し器の数はとうとう10を越え、ヨン様の数も5人になっていた。編んだ竹の間から忙しく動く長い触角が見える。 お願い、あけないで! もうどうでもよくなっていた。その日一日ウツな気分に加え、食事も一切とってない。ここでその蒸し器を開けられたら、たぶん私は壊れるだろう……。
 翌朝、フロントからの「お客様です」のコールに「I’m not here.」といって切った。

 それ以来、私のクワガタ熱は冷めてしまった。いまだにクルヴィンデスにお目にかかったことはない。親子のように暮らしていたクワガタたちはみなちゃんと越冬して3年目(種類によっては4年目)に土にもぐると出てくることはなかった。
 それからの日本での空前のクワガタ・カブトムシブーム。その是非はともかく、ヨン様達が忙しくなったことだけは確かだろう。いやはや、世界は広い。

 


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