「わだちもけっぱるはんでおろ〜」(注)

国際情報専攻 8期生 柳澤 泉 

     
  昔から「○○だからできない」「時間がないからできない」こういう言い訳をする人は(信用できないぞ)と思っていた。「できない」のではなく、「やりたくない」のである。人間、本当にやりたいことであれば、実現へ向けて方策をいろいろと考えるものだ。できない言い訳を並べ立てるのは聞き苦しい。でも、言い訳を言う時の自分が、いかに言い訳に聞こえない言い訳をするかと逡巡しているときもある。言い訳を考える時間があるならば、ひとまずとりかかってしまうというのもひとつの方法だろう。しかし、頭の中で考えるだけと実際の行動を起こすまでの距離は、かなりあるのが現実なのだ。今まで、好奇心丸出しで「いろいろな楽しいこと」をやってきた私は、行動を起こすまでの距離が他の人に比べてちょっと短いだけなのだが。子育てが終わって、かなりイイ年になってからダイビングや自動二輪の免許を取得した。モルディブでのダイビング、富良野へのツーリングという夢もとりあえず果たした。興味のあることには、熟考することなく飛びかかるのだが、今回だけはちょっと勝手が違う。   
  本を読んでいる時間は幸せな時間だ。活字を追うことだけに没頭できるし、頭の中で想像を巡らせながらその中でいろいろな役割を果たす自分を場面投入できる。風景や街並み、そこで営まれる暮らし、人々の喜怒哀楽。その場その場にピッタリとくる自分を演出する。ただし、幸せなのは好きな本を読んでいるときだけ。今、目の前に積み上げられた本を読むにあたっては、想像することが多くなればなるほど苦しいものへと変わってくる。これらの本は「理解すること」を求められるからである。苦しい読書の時間が勉学なのだ・・・と自分に言い聞かせてはいるが、身体は正直である。まぶたは重く垂れ下がり、うつらうつらなんて時間すら通り越して深い眠りへ。寝つきの悪い人にはもってこいの睡眠導入剤だ。理解しようと思えば思うほど理解から遠のいていく。教材や参考文献には、自分の世界が描けないのだ。大学院での研究はまずは「本を読む」ことから始まるのに、既に酸欠状態の金魚のように口をパクパクさせてしまっている。思考を整理する手段として論文を書く……ということが、極めて有効だと考えていたのだが、いざ大学院生活が始まってみると「時間」の管理に四苦八苦する有り様。電子マガジンに寄稿している場合ではないのだが「書いてみませんか?」とお誘いを受けて、リポートは後回しにし、こうやって好き勝手なことを書いている私は、やっぱり懲りない人間なのかもしれない。   
 さて、前置きが長くなってしまったが、私の住む青森県は「公務員の人数が多い、インターネット普及率最下位、有効求人倍率最下位、平均寿命が最も短い短命県、肥満度ナンバーワン」など、住みにくい地域としてその名を日本全国に轟かせている。この地に居を構えて早23年が経過するが、極めて快適に生活している私にとって、「何もないこと」こそが青森での暮らしを快適なものにする絶対的要素なのだということに最近になって気づいた。お上(県庁など)に物申す人などはほとんどいない。以前、とある審議委員会で「青森県のお金持ちは、み〜んな東京の病院に行く」と、医師会会長やら自治体病院の院長たちを目の前に本当のことを言ってしまったことがある。のちに委員会の報告書が出来上がったときに、全面的とは言えないがとりあえず、意見は意見として反映されている内容になっていたので、市民と行政の距離が近いのが地方都市の利点なのかもしれないと思ったものである。青森県の場合は特に、私のような市井の者でも言いたいことが言えて、それが組織の改革などに繋がっていく経緯をみることのできる稀有な自治体のようだ。多様性をもつ人の数が絶対的に少ないので、何が不足していてどうすればもっと住みやすくなるのか?という基本的な視点での議論がこれまであまりされてこなかったのである。教育の現場ですら競争することがほとんどない地域社会にとっては、自立した社会への道のりは、かなり遠いもののように見える。ここでは情報は「とりにいく」ものではなく「受け取る」だけのものだし、行動することのリスクばかりが取り沙汰される。   
  一次産業県である青森は、のどかな田園風景の続く緑豊かな地域である。しかし、田園風景の中に突如としてウルトラ警備隊基地のような建物が目に飛び込んでくる地域がある。原燃施設が集中している六ヶ所村・東通村地区にあるこの異様な建物は、補助金で建てた役場である。まわりの風景から完全に浮き上がった何とも滑稽な箱物。確かこの建物についても、どこかの委員会で文句を言った記憶がある。文句ばかり言っていても仕方ないので、5年ほど前からNPOの中間支援組織を立ち上げ、市民活動や個人・団体を対象に、市民活動団体の運営を担う人材の育成やネットワーク、パートナーシップの構築などの事業を行っている。「地域づくり」に関わる仕事をしてきて思うのは、個々の力をコーディネートする人材が決定的に不足していることである。地域の女性大学や寿大学などで毎年講座を開催するのだが、この方たちの潜在能力を社会に生かしていけないことは、地域社会にとって大きな損失であるといつも感じている。地域に埋もれたこんな力を引き出していくことで、地方が自立していくための社会的環境整備に貢献していきたいと思っている。ただ文句や意見を言うだけで終わらせないためにも、私自身がきちんと研究を続けなければならないのだ!と自分に言い聞かせながら、今日も教材片手に夢の中である。   
    
  しゃべればしゃべったってしゃべられるし、しゃべねばしゃべねってしゃべられるし、どうせしゃべられるんだば、しゃべねでしゃべったってしゃべられるより、しゃべってしゃべったってしゃべられるほうがいいべ。」   
    
※ しゃべる=言う   
   言えば「言った」って言われるし、言わなくちゃ「言わない」って言われるし……。どのみち言われるんだったら、言わないのに「言った」って言われるより、言って「言った」と言われた方がいいでしょ?   
  

※ 「わだちもけっぱるはんでおろ〜」=「僕達(私達)も頑張るぞー」   
 


 


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