「修士論文は、恋人?」

国際情報専攻 米山 正子  

はじめに
  修士論文は、「修士論文作成」という壮大な恋をさせてくれるのではと、私は思う。
  論文を提出し終わったいま、もう一度、引用した参考文献・論文や資料を読み返したいと思っている。そこには私の求める庭があるから。修士論文はその庭に咲かせていただいた小さな花であり恋人だ。
  修士論文は書く内容や目的によって、表現方法や資料収集の条件の違いがあると思う。私の場合は、論題が日本と中国現代史関係をテーマにした「張作霖爆殺事件と町野武馬の関係についての一考察」なので、必然的に参考文献を多く見つけたり、読んだりする時間が欠かせなかった。さらに、文章表現はどうしても硬くなり、固有名詞が多く使われた。
  今回、「修士論文奮戦記」では、私のケースの実務的なことを書かせて頂こうと思う。

1 修士論文という、自分がさがす恋人との出会い。
  どんな恋人と出会うかは、自分のテーマ選びにかかっている。私は、「張作霖」と「軍事顧問町野武馬」と出会った。引き合わせてくれたのは、「満州」で、今の中国東北部である。その満州からの引揚者である私は生地の「満州」ついて、論文のテーマにしたいと思っていた。
  そこで、満州について書いてある易しい本を探して読んだ。易しいのから読み出したのは、単に私は難しいのだと理解力がついていけないからだった。つぎに満州に駐屯した日本陸軍の部隊「関東軍」について読んだ。その結果、関東軍参謀河本大作らの手で爆殺された北京政府を操った大元帥張作霖に、当時、福島県会津若松市出身の軍事顧問町野武馬という陸軍軍人がついていたことを知った。では、日本人の軍事顧問がついていながら何故、張作霖は河本大作に殺されたのだろうか、事前に察知して助けることはできなかったのだろうか、という疑問を持った。
  そこで、今まで余り知られていない町野武馬について資料を集めた結果、20余りそれを手にすることが出来た。それで、「張作霖爆殺事件と町野武馬の関係についての一考察」を論文のテーマに疑問を追及することにしたのである。

2 修士論文作成は、その恋人との長い恋愛期間である。
  恋愛はマメでしかも熱くなくては、ハッピーエンドにならない。私の場合は修士論文を提出できることがハッピーエンドであった。
(1) 資料集め
  まず、参考文献が載っている、自分のテーマに関係ある論文や著書を読んだ。そして、必要な参考文献を取り寄せて、読んだり確認したりした。参考文献の元がさらにあるのなら、それを取り寄せたり、訪れて確認した。
(2) フィールドワーク
  フィールドワークといえるか分らないが、ともかくわずかな時間を利用して資料探しをした。国会図書館。県・市立図書館。福島の県・市立図書館。防衛庁防衛研究所図書館資料室。大学図書館。外務省外交資料館。横浜市のビデオライブラリー・新聞ライブラリー。会津若松市の町野武馬の生家や菩提寺や鶴ヶ城。町野武馬と交流があった方々と面会などをした。これは多くの時間を費やすことになったが、私にとって欠かすことの出来ない、貴重な生きた時間であった。
(3) 章立て
  一番、苦労したのが、「章立て」であった。何故なら、全体が未だつかめない内に作らなければならなかったから。勿論、個人差が大きく、すべて把握できていて章立てを作成する人が大半だろうし、そうあるべきだろう。だが、私の場合はそこまで到達していなかったので、一度出来上がった「章立て」を論文作成途中で、内容によって一部、節の題を変更させて頂いたりした。しかし、それが可能だったのは、大きな救いであった。
 
3 修士論文作成のための小さなコツは、恋人への花束プレゼント
 恋人への花束は、自分の思いを伝えるメッセージ。修士論文作成のための小さなコツは、論文への思いを伝える新鮮なプレゼントである。
(1) 章立て袋の活用:「章立て」が出来たら、各節ごとに章立てを貼り付けたA4用紙が入る袋を作った。私の場合は4章4節だったので、「はじめに」と「おわりに」を足して全部で18袋を作った。その袋の中には、内容に関係のあるメモや参考資料の一覧表および薄い資料のコピーを入れた。まあ、簡単に言えば付録の袋みたいなものである。ただし、これは便利で大いに活用した。
  ちなみに、リポート作成に当たっても、この方法を活用し、課題を袋の上に張った。1科目で4袋を作り、中に集めた資料を入れておいた。そうすると何時でも、リポート作成に取り掛かりやすかった。勿論、提出リポートも入れておく。
(2) パソコン機能の活用 (1):私は満州を時代背景にしたので、論文内の言葉がちょっと難しかったり、反復継続して同じ固有名詞が出る。そのため時間短縮目的で固有名詞などは、メニューバーの「編集」から「日本語入力辞書への単語登録」をしておいた。例えば、「町野武馬」だったら「まちの」と打つだけで、「町野武馬」が出てくるようにしておく。「張作霖」という名も「ちょうさくりん」と打っても、一度では希望の字が出てこないので「ちょう」と、打つだけで目的の「張作霖」の名前が出るようにしておいた。
  パソコン機能の活用 (2):同様に、「TMEパッドの手書き認識」からでないと出ない、中国名の「呉佩孚」「楊宇霆」「郭松齢」「馮玉祥」などの難解な字は、認識で出した後、やはり「日本語入力辞書への単語登録」をしておいた。根気の要ることだがボディ・ブローのように、後になって時間の短縮や誤字脱字の防止にしっかり効いた。
  パソコン機能の活用 (3):さらに、修論作成中「注」の挿入を利用した。これは、同輩に教えていただいた方法だが、メニューバーの「挿入」から「参照」、そして「脚注」を出して「文末脚注」を出し、最後に「挿入」をクリックすると、「注」が文章の目的箇所と文末に同じ番号が出てくる。これは、文章と連動してくれるので、優れものであった。
  以上の「パソコン機能の活用」については、入学後、初めてパソコンを取り扱った私での話で、非常に重宝した経験として書いた。
(3) 次回執筆時の自分へのメッセージ:論文を長い期間をかけ、途中で他の仕事をしながら作成していると、どこまで進めたか分らなくなることがあった。また、前回の自分はどういうことを考えながら書いていたのか、忘れてしまうことがあった。そこで登場させたのが、次回パソコンに向かう自分に対しての「メッセージ」をしておくことだった。
  作成途中の論文の最後の行に、日付をカラー文字にしてメッセージしておく。例えば私の2005年6月12日の場合、
  【6月12日、23時20分終了。次回には、第1章第2節 日本の満州経営政策 「遼東守備軍から関東総督府の誕生まで」について書くこと。参考文献は (1)陸軍省編『明治軍事史 下』原書房、1979年、1399−1400頁。(2)園田一亀『張作霖』東京中華堂、1922年、47頁。(3)森克己「小村寿太郎とルーズベルト」『日本歴史』通巻第295号、吉川弘文館、1972年、62−63頁。」次回の私、頑張って!】
  と、書いた。マア、メッセージといっても自分専用のナビと応援歌みたいなもの。そうすると、次回、どんなにぬけた頭の状態の時でも、前回の自分が次回の自分に道筋をつけてくれて、それを見るとギアーが3速に進むのが早くなるのだった。
(4)事前に集めた論文や参考文献の、修士論文に関係あるところを打ち出して、パソコン内にファイルを作っておいた。
 例えば、
  ≪佐々木到一『ある軍人の自伝』普通社、1963年8月10日 「町野武馬」掲載119頁。「彼は予を奉天顧問と見誤り……当時の奉天顧問は松井七夫、町野武馬、儀我誠也らにて……」193頁 「町野は塘沽で下車、律義者の儀我だけは共に遭難して……」≫
  と、論文内容に使いたいものや、重要な内容を打ち出しておいた。すると著書名だけでは思い出しにくいことも、甦りやすかった。
 
4 壮大な恋には大きな時間の流れが欠かせない。修士論文作成はもっと時間が欠かせない。
 論文作成をしていて、一番時間がかかったのがパソコンで打つことだった。無論、2年前はパソコンとは無縁の生活であったせいもあるが、文章を打つのに考えながら打ったり、まったく手が止まって進まなかったり、一次資料の読み込みに時間がかかったりした。時には同じ内容を別なセクションで重複して打っており、その読み返しと訂正で、論文作成のギアーがバックに入ってしまい、少しも進まないことが再々であった。
  しかも、文章力のなさが如実に出て、それではと論文にふさわしい表現を探し出し始めると、もう迷宮の世界にはいり込んでしまう。
  つまり、壮大な恋と同じで、私にとっての修士論文作成は、実に多くの時間が欠かせなかった。と同時に、最後の最後まで時間に追われっぱなしであった。
  だが、忘れることの出来ないひとつの言葉が、いつも私を励ましてくれていた。それは、修士論文作成のためのあるサイバーゼミの時、近藤教授がゼミ生の私達に「一字でも一行でも書いてください」と、言われたことだった。それまでは完全でなければ論文の文章化は駄目なのではと、私は勝手に思い込んでいた。しかし、その言葉を聞いてからは「そうか!一字でも一行でも良いのか、それなら固有名詞だけでも書いてみよう」と思うことができ、論文作成に向かうことが出来た。余りにも単純な受け止め方ではあるが、論理より行動ありきだったのだ。とくにこの言葉は行き詰った時に有難かった。
 
おわりに
 この2年間私は修士論文作成という、壮大で熱い恋をさせて頂いた。指導教授である近藤教授をはじめ、荘光ゼミでと個別にご指導を仰いだ荘光教授、大学院の諸先生方そして入学時から支えて下さった石先生、ゼミの皆様がたのご指導やアドバイスを頂くことによって、その熱い恋である修士論文作成を成就することができた。これほど贅沢な思いを持てたことは終生忘れえぬことと、心から心から、感謝し尽せない思いである。
  そして、この2年間を生かすよう、今後に向けてつなげていかなければと思うのである。
BACK