「『リベンジ!』〜私の修士論文奮戦記〜」 国際情報専攻 吉野 毅 |
1 はじめに〜大学院と私
大学院といえば、私には苦い思い出がある。
今から10年ほど前のことである。私のいる会社では、当時、大学院研修という制度があった。2年間職場を離れて勉学に専念できるもので、国内留学といってもよいものである。私はこれに応募した。それまで、バタバタと走ってきて、少し深呼吸したくなったのである。また、年齢、職位からして最後のチャンスであったからでもある。入学試験は特になく、会社での選考で決まってしまうという、今から思えば、とても“おいしい”ものであった。上司への根回しも終え、心は院生、いや、既に修士であった。ところが……
ところが、である。結論から言うと、私は選考に落ちた。通ったのは、10歳近く若い女性であった。後から聞こえてきたところによれば、どうも当時の社長の側近だった幹部が、社長の意向を深読みして女性に決めたという。そして、社長もやはり「これからは女性の時代だから……」の一言で幹部の決定案を支持したという。また、幹部の一人が、私を落とすために、全然仕事の接点のない、したがって知り合いでもない私についての悪口を選考会議の場で言ったという。つまらない時代であり、つまらない幹部だなあ、これがわが社の現実かと思うと、涙も出なかった。以来、「大学院」は私のトラウマになった。それ以降、その話題からずっと遠ざかっていた。日本大学に通信制の大学院ができたということは、風の便りに聞いていたが、トラウマは、……やはり、消えていなかった。
しかし、10年を経て、ある仕事をきっかけに勉学の意志が再び強くなった。もう、過去のトラウマにも訣別し、リベンジしたい、そう思うようになった。そこで思い出したのである、通信制の大学院の存在を。仕事を続けながら、勉強ができる。これは私にうってつけだと思った。しかし、その一方で、通信制の大学院が私に何を与えてくれるのか、疑問でもあった。煩悶しているとき、妻がぽつりと言った。「大学院が自分に何をくれるかではなくて、自分の興味を持っていることが研究できるかどうかが大事なんでしょ」。漫画の擬音ではないが、まさに「がーん」であった。そうなのである。その後の詳細は省略するが、この言葉をきっかけに、私はこの大学院へ入学することができた(妻に感謝)。こうして私の大学院への「リベンジ」、そして「再生」への旅が始まったのである。
2 修士論文雑感
ところで、本稿は修士論文奮戦記である。やや感傷的な前書きが長すぎた。本論に入ろう。とはいっても、論文ではない。修士論文を書いていて考えたこと、思ったことを気楽に書いていこう。
(1)私はいかにして修士論文を作成したか
私の研究テーマは、一般論的なものであった。そのため、入学早々のサイバーゼミで、先輩や同期の方々から異口同音に受けたアドバイスが、「テーマを絞れ!」であった。私の論文題目は「危機管理」である。危機管理の定義や概念がはっきりしない現状を疑問視し、現場での対応者の立場から見て有用な基礎理論を探る、というのがその内容であった。
以後、「テーマを絞れ」は2年次の春まで私を悩ませた。4月の終わりに、年度初めの決意表明のためのゼミが所沢で開催された。まだウジウジしていた私に、指導教官の近藤教授は「君の書きたいこと、思いを論文にぶつければいいんだよ」と厳しくアドバイスをしてくださった。思いは当初から決まっている、よし、これで行こう、と決意し、最終的なテーマとなったものに決めた。
その後、5月の合宿で章立てをほぼ決めた。合宿では、私の発表前夜、同期の増子氏が夜中の2時までプレゼミ(?)に付き合ってくれた。私の章立てについて、2人でディスカッションをしたのである。大変建設的な意見を多く頂戴し、私のテーマに対する思いは、より強固なものになった。また、この合宿で5期生の坊農氏が論文を書くためのパソコンの効率的な利用法を講義してくださった。これが大変私には幸運だった。両氏に「感謝」である。さて、その後、合宿の成果(テーマ、章立て)を教授にお伝えし、了承をいただくことができた。「早速書き始めるのがいいでしょう」とのこと。「さあやるぞ!」と決意も新たに論文を書き進めた……というわけには、しかし、いかなかった。
夏ごろから、仕事の関係で抱えていた研究会が立ち上げに向けて動き出し、ロジも含めた運営を担当しなければならなくなった。現在でも継続中であるが、これが大変で、特に、秋の立ち上げ時期には、論文執筆がまったく進まなかった。それどころか履修科目のリポートもままならない状態になってしまったのである。何とか態勢を立て直してリポートを仕上げ、研究会の目処をつけたのが10月末だった。当然、中間報告会の内容も、夏前から大きくは進捗していないものになってしまった。
したがって、本格的に書き始めることができたのは、11月からである。ここからは大変であった。章立ての中味を膨らませるべく、メモをストックしていった。サイバーゼミなどで書き溜めたレジュメのフレーズや内容をブラッシュアップして(した……つもりかも)、関係する項目に本文として付していった。ここで、坊農氏に教わったパソコンの利用法を復習し、ただひたすら項目と項目の間を埋めていった。
しかし、時は容赦なく過ぎていく。12月の半ばになり、やっと4章構成の2章くらいまでの未定稿を近藤教授にお送りした。すぐにメールで返事をいただき、「このまま最後まで安心して書き上げるように」とのこと。以降、1月半ばの副本提出日まで、ひたすら書き続けた。幸い、書きたいことは決まっており、もう悩まなかった。しかし、どう書くかは別問題であり、時間的に許される限り悩み抜いた。そして、何とか完成。教授にメールで草稿を送るとともに、御了解を得て大学院事務課に提出した。
(2)ポイントは何であったのか〜雑感的アドバイス
このような経緯の中から考えた、陳腐ではあるが、私なりのノウハウに相当する部分についてまとめると次のとおりである(あくまで「私なりの」である。念のため)。
ア 論文の書き方
私は、学部は(日大ではないが)法学部を卒業した。どこでもそうだと思うが、法学部では卒業論文はない。したがって、論文の書き方がわからない。この論文の書き方については、特に神経質になった。何冊か本も読んだ。全面的に参照したものはないが、部分的に方法を取り入れるなどして、自分なりにどのように書いていくかを決めた(結果的にただひたすら書くだけだったような気もするが……)。その時点で22本書いていたリポートの作成過程で培った文章作成力を信じて込んで書いたというのが実感である。
イ パソコンの効率的使用
これは重要である。まず個々のノウハウの前に、ブラインドタッチを習得することが望ましい。私は、入学前に練習し、ブラインドタッチ(もどき?)を身につけた。そして、個々のノウハウを活用した。具体的には、先述のとおり坊農氏の講義の内容をほぼそのまま利用したのである。これが私にとって大変有効であった。特に、時間のない人はパソコンをストレスなく使用する最低限の技術を執筆前に習得しておくことが望ましいと思う。
ウ 常に論文と共にあること〜通勤途上のメモの活用
その日に書こうと思っている部分について、どのような構成にするか、通勤電車の中で考えた。そして、手のひらサイズの廉価なメモ帳に書きなぐった。こうしておくと、その日に書くことが一応決まっており、帰宅してからすぐに執筆にかかれる(ことが多かった)。私の場合、通勤時間が片道10分程度なので、どうしてもまとまらない時は、駅前のコーヒーショップなどでなんとなく気になっている部分をメモしてから(安心して)帰路についたこともある。これは気持ちの問題であるが……
エ ゼミの活用
ゼミは時間が許す限り積極的に参加した方がよい。近藤ゼミの場合、平成16年度は集合ゼミが月に1回程度開催された。17年度は、集合ゼミはほとんどなく、サイバーゼミが主流であったが、形はともかく、ゼミでの発表も積極的に行う方がよい。私の場合は、都合3回発表したが、その時々の作成資料は何らかの形で論文に生かすことができた。思考を煮詰めていくためにもゼミは重要である。違ったテーマを持ち、異なるバックグラウンドを持つ仲間の意見を聞くことは、時として独りよがりになりがちな通信制の欠点を補ってくれる。その意味で、ゼミの仲間は研究への協力者であり、一生の宝物でもある。
オ 教授のアドバイス
節目節目における近藤教授からの助言は、まさに「うっ」と唸るものであった。また、私は自意識過剰であり、やや我田引水的なところがあるので、一般論的なアドバイスも「あっ、これは自分へのアドバイスだ!自分へのお叱りだ!」と勝手に解釈して、それを自分への戒めとして気を引き締めた。テーマに悩んでいる時、なかなか進まない時、やっと乗って来た時―その時々に私をうまく乗せてくれたようである。
カ 健康づくり
健康は本当に大切である。一般論ではない。修士論文作成に当たって、である。社会人大学院生はその年齢に鑑み、やはり健康には十分注意する必要がある。普段から、適度な運動と十分な栄養、そして休養を心がけるべきであると思う(これは反省からである)。
キ 開き直り
最後は、開き直りである。追い詰められたらこう考えよう。修士論文は、学問の世界への入り口だと心得よう。完全なものを書くことなんかできないと開き直ろう。今は、修士にふさわしい学力をつけることが肝要なのである、と。
3 終わりに
随分と偉そうなことを長々と書いてきてしまった。お前の論文の出来はどうなんだ、との声が聞こえてきそうである。武士の情け、それは聞かないことにしてほしい。これから修士論文を書く方々にいくらかでも参考になればと思い、恥をさらしたものである。
2年間にわたる「リベンジ」の旅が今、終わろうとしている。そして、「旅をして良かった」―これが私の感想である。ちっぽけなリベンジなどもうどうでもよくなっていた。リベンジというやや後ろ向きな旅を終え、新たな目標に向けてスタートを切れるような気がしている。そして……この旅は、まだまだ続きそうである。
終わりに、近藤教授をはじめとした各先生方、同期の仲間たち(中でも、折にふれメール等で励ましあった西尾氏)、先輩諸兄姉、そして、妻……関係するすべての方々に感謝の気持ちを述べさせていただきたい。
「本当にありがとうございました」
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