「合言葉は『修論提出までの我慢』」

人間科学専攻 岡本 陽子  

  ピピピピ……けたたましい金属音の目覚まし時計をやっとの思いで止める。
 ふーっ、眠い……が、とりあえず起きるか……。
  カーテンを開けると猛吹雪、ホワイトアウトである。午前3時。
  まだまだ外は暗い。いや真っ白である。遠くに新潟港の魚市場の明かりが透ける。
  パソコンに向かい電源を入れる。パソコンが立ち上がるまで、床の上で大の字になる。
  なぜこんなことしているのだろう。
  なにをしようとしているのだ。
  大学院なんて自分には無理だったんだ。
  別に書きあがらなくてもいいじゃないか、誰に頼まれたわけでもないし。
 楽しくなければ。苦しいならばやめればいい……。
 ……自分への言い訳の言葉が縦横無尽に頭の中を駆け巡る。
  おもむろに机に目をやると、パソコンは立ち上がっている。健気だ。
  メールをチェックする。ゼミ仲間からついさっきのメールが入っている。
  ああ、さっきまでやっていたんだな。がんばるなあ、みんな。
  こっちもやるかぁ。
  ―――しらじらと夜が明ける。
  ああ、今日は燃えないごみの日だ。そろそろコーヒー淹れるかな。
 もう少し……そろそろパンを焼かなきゃ。
 もう少し……このファイル先生にみてもらわなきゃあ。
 もう少し……うわあぁあ! ファイル添付を忘れてメールおくっちゃったぁ!
 
  こんな日々を送った2年であった。
 
  40才直前、自分の今までの人生をやり直したくなった。これからは本当の自分の人生を探したくなった。女四十にして惑うこと、惑うこと。そして仕事を辞め、一つのテーマを抱えて大学院へ。それからパートをしながら院生の生活が始まった。1年次はひたすら5科目の履修課題をこなすことが精一杯、修論のことは文献を集めることと自分のテーマを固めることくらいであった。
  修論は2年次からが本番であった。しかし、このときから同時に2つの仕事を掛け持ちすることになる。予定していたこととはいえこれが非常に大変だった。新しい仕事を同時に2つ、休日は日曜日のみ、しかも家事がある。家に仕事を持ち帰ることが多い。皆さん、ほとんどの社会人大学院生は同じ状況であると推測するが、仕事と家事と院の時間的分配に苦労した。新しい仕事の環境に慣れず、夕飯を食べながら睡魔に襲われ、食べながらうとうと寝ること数知れず。それでもなんとか夕食の後片付けをして机に向かっても頭が回らず少しもはかどらない。仕事から頭を切り替えるために一度寝て、夜中におきてから勉強をするというスタイルに変更する。なにが欲しいって、知力も欲しいが体力が欲しい!!睡眠時間の確保はゼミの仲間内でも話題になり、仕事中トイレで仮眠することを聞き納得。
 修論ではなにを血迷ったか、調査分析をすることに。数字がからきしダメだから、文系に行ったのに、どうしてこんなことをしてしまったか。でもやりたい。これが思ったより時間が取られ、分析を何度もやり直した。そのとき誰かが耳元でささやく。「別に誰も貴方に何も求めてないよ」。同時に見も知らずの院生の論文のためにアンケートに協力してくれた人たちのメッセージが浮かぶ。「ぜひ、がんばってください」。「よくぞ私たちに光をむけてくれました」。……これらのメッセージを無駄にはできない。やおら思いなおす。
  とにかく、時間が取れない。体がついていかない。気持ちだけが焦る。諦めの気持ちと粘りたい気持ちが交差する。特に年も迫ってくると、仕事も家の雑務もますます多くなり、それまでにまして時間と体力との戦いになる。年末年始は嫁業にシフト。家族で箱根マラソンを見ながら、「こんなことしている場合じゃないだろうが」と焦る。時間が取れないことに加えて、知力が足りなすぎる。何度も諦めようと思ったが、駄文にも関わらず諦めずに指導・添削してくださる指導教官の田中先生、ゼミ仲間の人たちのメールに励まされた。「こうなったら力技で出してしまおう」とゼミ仲間から年賀状をもらったときからエンジン全開。修論締め切り前日に郵便局にて郵送したときの帰り道はさすがにジーンと胸に迫るものがあった。転職、引越し、中越地震、といろいろあったなぁ。

  修論提出の直後は中途半端な仕上がりに、達成感や満足感とはほど遠いものであったが、こうして奮闘記を書かせていただいていると、やはり浮かぶ言葉は「感謝」である。この年令でアリストテレスに触れる機会、若い異業種の人たちと接する機会、新しいことを学べる機会、自分の体感でしかなかったことを理論と結び付けてまとめることのできる機会、周囲の人たちから助けられていることを実感できる機会、様々な機会を与えていただいた。これらのことは非常に贅沢なことであり、入学当初は考えてもいない収穫であった。
  入学当時「(大学院に)行ってもいいが家に影響をだすな」と消極的賛成で、合宿やスクーリングから帰ると不機嫌そのものであった夫も、最後は外食も埃が舞う部屋も資料等で占領されたリビングダイニングも何も言わずに我慢してくれた。合言葉は「修論提出までの我慢」。今少しずつ生活は落ち着きを取り戻しつつある。

  指導教官の田中堅一郎先生、大学院事務課の皆様、ヘルプディスクの八代さん、図書室の皆様、履修課目の先生方、本当にお世話になりました。重ねがさね深謝いたします。そして、落ち着きのない私を最後までお守りをしてくれたゼミの皆さんに感謝いたします。

  最後に、後輩の皆様には何の参考になりませんが、要するに「諦めないこと」でしょう。

 

BACK