「充実したスクールライフ」 国際情報専攻 高橋健太郎 |
2006年2月11日、保存のために正式に製本すべき修士論文原稿を脱稿することができた。同日、速達で大学院事務課に郵送。正本提出が同月13日。綱渡りの日程。決して褒められる話ではないことは承知している。
それでも「自分のことは棚に上げて」(ごめんなさい)本学入試から修士論文作成まで学事日程に沿って、時系列に述べる。特に本学を志願する方やこれから修士論文に取り組まれる方にとって参考になれば幸いである。ただし修士論文作成上、必要となる技術的な記述はしない(人様にお話できるような大学院生活は送っていません) 。
本学入試に臨む際「研究計画書」の提出を求められるが、私の場合は「近代政治」を修めるつもりだったので「近代政治と政治的無関心層」について作成した。
指導教授は、学部時代に学んだ「政治学」の教科書(『現代政治の基本知識』北樹出版)を書かれた関根二三夫先生(学部時代の恩師と先輩後輩の関係)にお願いするつもりであった。
関根先生とは一面識もなかったが、院の案内に先生のお名前を見つけ「指導教授になっていただければ」と一方的に考えた。
志願書を提出後、大学院事務課より電話をいただいた。「関根先生は通信教育学部の教授と兼任されるためゼミを担当されない」という内容であった。
さらに「今、指導教授を決めて下さい」
咄嗟に「近藤ダイハク先生のゼミを希望します」
「近藤大博(もとひろ)先生ですか」
「あっはい」
「志願書については、締め切りが近いので研究計画書はこのままで結構です」
近藤先生とは一方的なお付き合いがあった。高校時代より『中央公論』『文藝春秋』『噂の真相』(2004年3月で黒字休刊)など、日本を代表する総合雑誌を講読していた私にとって「近藤ダイハク編集長」のお名前は知っていた。
先生が編集長時代に世に問うた『脳死』(ライターは立花隆)や編集者として参与した『清沢列』(北岡伸一)などの新書を購入していた。
入試当日。小論文は2問出題(院では入試問題は公表しない方針なので内容については触れない)された。口頭試問では、研究計画書に沿って説明しなければいけないが、前述した事情により「ぶっつけ本番」で臨んだ。
入試当日は食が細る。昼食は近くの寿司屋で「鰻丼」経済学部1階の喫茶室で「タラコパスタセット」。
近藤先生と高綱博文先生が試験官であった。
近藤先生は、開口一番「君、なんで背広でないの。背広を着ていないのは君だけだよ。いじわるで言っているんじゃないけど」
この後、合コンに参加するため背広を着ていなかった。
「礼を失したことはお詫びします。あえて背広を着ませんでした。学部時代の若々しい気分で口頭試問に臨むためです」苦し紛れの答弁。
諮問の内容については触れないが、高校時代より『日本経済新聞』や総合雑誌を愛読していた旨を話した。高綱先生の「早熟だったのですね」という言葉が耳に残った。
無口な私ではあったが、入試会場では近藤ゼミの同期生となる橋本稔氏や渡邉幸雄氏(乾ゼミ)と親しくなることができた。開講式は私用で欠席した。
2004年4月20日。パソコン研修1日目。パソコンの基本操作から教えてして頂く。人見知りの激しい私ではあったが、近藤ゼミの同期生、増子保志氏と親しくなることができた。渡邉氏と再会する。 昼食を忘れたため、1人で近くの和食店(店名は忘れた)にてランチビール100円(1人1杯)を飲みながら「C定焼魚定食ライス大盛り」「塩辛」「唐揚」を食べて、午後の研修に臨んだ。
夜は所沢市内のホテルに宿泊。初めての地だったため、ホテル内の和食店で済ませる。4人架けテーブルに陣取る。「やきとりセット」「天ぷら盛り合わせ」「お刺身盛り合わせ」「稲荷寿司」「ざるそば」ビール・そば焼酎。日経・読売・朝日・東京の夕刊を読みながら1人で小宴。店内には中華料理店があったため、食後には「五目チャーハン」を頼む予定だったが「今夜は貸しきり」とのこと。
2日目。航空公園駅側のコンビニで昼食と『埼玉新聞』『東京新聞』『日本経済新聞』『フジサンケイビジネスアイ』を買う。「朝食バイキング」を盛大に済ませたため軽食にする。「お握り5個」と「魚肉ソーセージ」「お茶」「キャラメル」。缶ビールを購入するか迷ったが「買わない」。
5月21日軽井沢ゼミ。「日大軽井沢セミナーハウス」は軽井沢駅からハイヤーで3分。軽井沢ゼミは2泊3日。「軟禁状態」で1日8時間のゼミを行う。一つ上にあたる5期生の方の学識に圧倒された。多岐に渡る研究テーマ。真摯に研究活動に取り組まれる姿勢に刺激を受ける。研究テーマの決め方、論文の書き方など参考になった。5期生の皆様の存在がなければ修士論文は1行も書けなかっただろう。
私は地方紙を研究テーマにしているため、在住する福島県の地方紙『福島民報』『福島民友新聞』東北のブロック紙『河北新報』・関東甲信越の地方紙『埼玉新聞』『信濃毎日新聞』『上毛新聞』『東京新聞』などを持参する。
1日目の夕食は「骨付唐揚チーズ和え」「サラダ」など。食堂内ではジュースの類は飲み放題。深夜もゼミは続く。2日目の昼食で食べたいもの相談。「焼肉」と答えるが2秒で却下される。
2日目の朝食は和洋食のバイキング。昼食は外食。軽井沢を散策。湖畔近くの瀟洒なレストランに入る。人数が多いため「できれば同じメニューを」とのこと。「ビーフカレー」(私はカレーが苦手)を注文。
皆さんが軽井沢銀座を散策している間、増子氏と私は、蕎麦屋で1杯。夕食のメニューは思い出せない。しかし個人的には1日目よりは充実していたと記憶している。深夜もゼミは続く。近藤先生から「君はこれでも飲んでろよ」と焼酎を渡される。銘柄は「島流し」 。
3日目朝食。和洋食バイキング。昼食は分散会を兼ね館内で摂る。寿司が旨い。合宿を通して先生や先輩方の親睦を深めることができ、有意義な経験となった。
7月23日夏期スクーリング。国際経済・心理学・哲学などの講義が充実していた。昼食はコンビニで買った「お握り5個」「魚肉ソーセージ」「海草サラダ」など。近藤先生は、「冷やし中華」「しじみの味噌汁」「海草サラダ」を召し上がる。
終了後はハッピーアワー。夕食は所沢市内の飲み屋で増子・西尾・橋本稔氏と「焼肉バイキング」。勉学に励んだため食が進まない。先にホテルに戻る。
2日目。朝食バイキング。早い時間のためか、客は私のみ。テーブルに戻ろうとすると「お早うございます」。近藤先生の声。先生も同じホテルに宿泊しているとは知らなかった。
「昨夜は勉学の疲れから一足早くホテルに戻りました」
「君、二日酔いだろう」
午後は「総合雑誌は必要か否か」をテーマにディべートに参加する予定であったが、体調を崩しホテルで休養。
3日目。魅力的な教授陣による授業が終了した。
11月20日冬期スクーリング。出席の必要はなかったが、向学心を押さえることができなかった。
3月25日修了式。5期生の方の終了祝賀会に出席させて頂く。2次会は近くの居酒屋、蛸の刺身が美味い。3次会は中華料理店。満腹だったので、ビールと「ラーメン」「五目焼ソバ」「餃子」を注文。なぜか同席した方が唖然とした表情。
2005年4月23日。新年度第1回のゼミ。7期生の幹事長、小沢健司氏と親しくなれた。
7月23日。夏期スクーリング。出席の必要はなかったが、魅力的な授業を聴講するため出席。ディベートに出席。近藤先生から7期生の皆さんに「これは流れ者です」と紹介される。
9月24日。近藤ゼミイン福島。皆さんのご協力で成功裏に終わることができた。
10月22日。前期課程中間発表。「はじめに」しか書いていないが発表する。緊張のため昼食が喉を通らない。日大本館地下食堂で「豚角煮丼」と「日替わり定食」のみ。他の皆さんの修士論文の内容、プレゼン力に圧倒される。
終了後、近くの鳥料理専門店で反省会。板わさ・焼鳥・そばが美味い。そばをお代わりする。福島に向かう新幹線で缶ビールと「日光おこわ弁当」。
本格的に修士論文に取り組んだのは12月に入ってから。大晦日と元旦以外はパソコンに向かった。
2006年1月28日。修士課程口頭試問。修士論文の副本を基に諮問に答えなければならない。
早めに昼食。1人で私学会館内の中華料理店で「日替わりランチ」。その後、午前中に口頭試問を終えた鳥居雄司・増子・吉野毅らと日替わり定食。皆さんはビールも注文。橋本氏の「諮問の前にビールはまずい」という助言に従って「ウーロン茶」を頼む。
口頭試問では、研究の目的・独自性などが問われた(諮問の詳細については記述しない)。
これらの学事行事の合間に「サイバーゼミ」に参加し、近藤先生や同期生の・修了生などの皆様から数々の助言を頂いた。
入試から修士論文の口頭試問までを時系列で想起しましたが、近藤大博先生を始め各先生方・事務スタッフ・教員補助の皆様は、真摯に学生の良き伴走者としてご指導して頂きました。修了を前に改めて感謝しています。ありがとうございました。皆様のご研究の深化とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
これから「修士論文」を書かれるすべての皆様へ。「修士論文」より「修士論文奮戦記」の方が数倍、楽しく書けます。
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