「最終コースは全力疾走」

人間科学専攻 5期生 大学 和子  

 

  私の場合は、博士前期課程に3年間かかってしまいました。「人生は計画通りには行かないものである」ということを実感した月日でした。
  これから頑張ろうという4月入学直後、実母の具合が思わしくなくなり、6月に脳梗塞の再発で入院しました。2ヶ月あまりで退院し、介護保険のお世話になりました。しかし、病人の生活を軌道に乗せていくことは大変でした。ケアマネージャー、介護認定のための保健師、レンタル業者、リホームのための大工さん、住宅支援による手すりの設置業者、宅配弁当の業者、安全センター会社などとの打ち合わせ、申請、契約、実施で、リホームが済み一段落したのは大晦日でした。この年、私が提出できたリポートは1科目だけでした。
  面接ゼミやサイバーゼミは休みがちでしたが、ゼミのメンバーに支えられながら参加していました。何故そんなに忙しいのと思われることでしょう。実母の介護もありますが、介護関係者との調整に時間をとられてしまうのです。ケアマネージャーは計画書を作成するだけで、実施するのはヘルパーさんでした。ヘルパーさんは「私、車椅子を押すのは初めてです」と不安を隠せません。私はケアマネージャーがヘルパーの教育や指導を行うと思い込んでいましたが、それは誤りでした。私はこれから来るヘルパーさんのために時間を記入した行動別のフローチャートと手順書を作成しました。交通手段に関する手順、移動に関する手順、料金支払いの手順、受診の手順、予約の手順、薬をもらうまでの手順、散歩用の手順、買い物同行用の手順、実母に関する健康上の注意事項(トイレの介助方法、水分の摂取、食事のこと、緊急時の連絡先)を作成し、日替わりのヘルパーさんが安心して介護できるようにしました。ヘルパーさんが安心できることは、実母にとって良い介護を受けることができるにつながるのです。また、受診の際には1ヶ月の血圧やその他の変化を担当医用に記入し、ヘルパーさんに私の代行をしてもらうようにしました。毎月のケアー計画も私が作成し、ケアマネージャーに送っていました。私の抱えている問題の根本は、医療や看護の専門家でない人間が高齢者や病人の世話をすることには無理があるということなのです。その間隙を埋めるために、私は自身の専門知識と技術を活用せざるを得なかったということです。
 2年目、なんとか頑張り抜きたいと思いはあっても、仕事、家事、介護、大学院では、すべきことがありすぎて体がついてきません。実母の難聴もひどくなり意思の疎通も難しくなってきました。そこで、お掃除と日中の実母の見守りを自費でお願いすることにしました。この際お金がかかると言っていられなかったのです。お陰で、この年は3科目を履修することができました。
  しかし、3年目の7月これから研究の実施に取りかかろうと思っていた矢先のこと、お掃除に来てくれていた方の体調が優れず、私を応援してくれる人がいなくなってしまったのです。8月、目の前は真っ暗になりました。あと2科目の履修と実験を行わなければならない。更に9月からは看護学生の2年生の臨地実習で1ヶ月余り身動きが取れなくなる。10月に実験の実施を計画しました。実験参加者と協力者(学生)と実験者(私)の調整は難しく、実験期間は6週余りを費やしてしまいました。12月、今度は看護学生1年生で初めての臨地実習です。そして、実習が終了したのは12月16日でした。実験は行ったものの修士論文は書き始めていません。これからが最後の勝負と思っていたら、26日に再度、実母の入院で、年末年始は修士論文に専念したいとの考えは泡のように消えてしまいました。しかし、10日余りの入院でしたので数日は大変でしたが、以降は連日パソコンと本棚とを行き来しながら、未完成で失礼とは思いつつ、担当教授に細切れ論文を送信し指導を受けながら、1月13日、論文必着日に所沢まで持参し、論文を受けて頂きました。13日17時30分でした。
  1月21日は口頭試問です。その週には練習のためのサイバーゼミが2回行われました。15分間で何をどのように伝えるか。とても勉強になりました。しかし、発表用の紙芝居を作成する必要があり(パワーポイントが使用できない)、前日深夜にコンビニでカラーコピーをして、厚紙に糊付けをしました。もう時間がありません。紙芝居の裏面に発表用の内容を貼らなければならないのです。少し仮眠をとってからと思ったのですが、目覚ましも携帯も握りしめたまま、気が付くと時間がない。電車では間に合いそうもなく、自宅からタクシーを飛ばし、何とタクシーの中で、運転手さんに「どうぞ、私にお構いなく」と言って、裏面の糊付け作業をしました。色々なことがありましたが、何とか口頭試問を終了することができました。後はご指導頂いた内容を追加または修正することです。2月12日クロネコヤマト宅急便に修士論文を託して13日必着、これで完了です。
  おまけの顛末、2月14日、バレンタインデーです。私は朝の満員電車の中で、立ったまま気を失ってしまいました。気がつくと「大丈夫ですか」という女性の声。電車の座席に座っていました。「あ・あ・済みません」これが精一杯の私の声でした。看護関係者なんて言えない。恥かしかった。
  これから修士論文をお書きになる皆様へ、こんな私ですが教授やゼミの仲間に支えられて論文を書くことができました。最後まであきらめないことがポイントのようです。

 

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