「距離を越えて……」

人間科学専攻 柏田三千代  

入学
 私が日本大学大学院を選んだ理由は、まず仕事をしながら勉強が出来る通信制であること、次に「ものの考え方」を学びたいと考えていたので、「哲学」が学べる大学院であることでした。これらの要因をインターネットで検索したところ、全国の大学院で日本大学大学院1校だけだったので、なんら迷うことなく、私は日本大学大学院を受験することを決めました。

  受験前日、関西に住んでいる私は飛行機で東京へ向かいました。宿泊は両国の某ホテルでした。私は自分自身の学力では、まず不合格になるだろうと思っていたので、受験記念に「せっかく両国に来たのだから“ちゃんこ鍋”を食べよう」と、1人で“ちゃんこ鍋”を食べていました。
 試験当日、筆記試験を終えてから面接がありましたが、以前から学校の資料に載っている佐々木先生の写真を何度も眺めていたので、実際に佐々木先生に初めてお会いしたとき、「うわぁ〜、本物の佐々木先生だ!」と、感激と緊張が入り混じった心境でした。
 このような私ですが、その後に驚きの合格通知が届きました。

一年次
  佐々木先生のゼミは、埼玉県所沢市の本学で2ヶ月に一度、2日間にわたって行なわれます。先生は1人1人の院生に対して、丁寧に1時間以上かけて指導をして下さり、ゼミ終了後には懇親会も行なわれます。また、ゼミ生は全国各地から集まった人たちで、職業も年齢もさまざまですが、すぐに打ち解け仲良くなることが出来ました。

  当初、私の修士論文の題名は「一般病院における患者尊厳への改善案と倫理教育方法」でしたが、初めてのゼミでは何をしていいのかわからず、文献検索の結果発表で終わってしまいました。
 夏のスクーリングが終わり8月の軽井沢合宿でも、まだ自分の方向性が不確かだったので、取り留めのない発表に終わってしまいました。しかし、合宿の懇親会の時、私が「先生、哲学って何ですか?」「哲学がものの本質を問うものだとすれば、どうして医学や看護には概論や倫理があって哲学がないのでしょうか?」と質問しました。すると私の問いかけに対して、先生をはじめゼミ生皆が考えてくれました。
 それから12月までの間、私の修士論文で一番問題としている尊厳について、「尊厳を問うためには、哲学が必要なのだろうか」ということを悩み続けました。そして、12月のゼミで、それまで私が悩んでいたことを話し、題名や内容の変更を先生へ申し出すると、先生は快く承諾して下さいました。ここで、ようやく修士論文の方向性が見えてきました。
 2月のゼミでは、題名を新たに「医療における患者の尊厳―新たな医療・看護哲学をめざして―」と変更し、序章を考えました。この序章を書いたことで、自分が問題としていること、何を明らかにしたいのかということが見えてきました。

二年次
  二度目の春を向かえた頃、修士論文は序章に次いで、章立てを考えました。章立ては序章に沿って考えましたが、まだまだ大雑把なものでした。章立てに関しては、佐々木先生から何度も指導が入り、8月夏の軽井沢合宿時には本文の第2章まで書いていたのですが、先生からは章立ての指導を受け続け、それより先に指導を受けることも出来ませんでした。章立てから先に進むことが出来ない私に、同ゼミの友人たちから、いろいろなアドバイスや励ましの言葉を頂き、先生の指導や友人たちの言葉を思い出しながら、修士論文の修正や本文を進めていきました。
 10月のゼミでは、本文の第3章まで書き進めました。この頃からようやく本文第1章から第3章までの指導を先生から受けることができ、修正を行なっていきました。しかし、残り本文第4章と終章を考える前に、年末年始は修士論文に集中するため、履修科目のレポートを早々に着手し、12月には全てのレポートを最終提出しました。

  12月のゼミが最終となるため、ゼミまでに取り敢えず残りの本文第4章と終章を書き終えて、先生からの指導が受けられるようにしました。しかし、この第4章で哲学に触れるため、かなりの時間を要しました。いろいろな哲学者の本を読み、学び、考え、最終的にどの哲学者を論文に取り上げるかと悩みました。そして終章を書き終えた時に、もう一度題名について考え、「医療における人間の尊厳―医療・看護哲学をめざして―」と最終変更することにしました。ゼミでは第4章を中心に先生より指導を受け、私の哲学者の捉え方についてゼミ生皆も意見やアドバイスを与えてくれましたが、1日では話が着かず、話は翌日まで持ち越されました。

  最終ゼミを終え、関西へ戻った私は、序章から第3章までの修正・追加、第4章と終章の書き直しと、やらなければならないことがたくさんありました。そのため、遊びに行くことやベッドでゆっくり休んではいけないように思え、仕事以外は自宅で過ごし、自宅の和室に大学院貸し出しのノートパソコンを置き、周囲には本と資料、そこで眠ることが出来るように枕と毛布を置いていました。しかし、体調を崩しては修士論文が書けなくなるため、風邪を引かないように気をつけ、体調を維持しました。
 お正月が過ぎ、このような生活をして一ヶ月、ようやく修士論文が完成しました。しかし、修士論文と要旨が完成したのは1月12日午後でした。提出期限が13日郵送必着となっていたので、普通の郵便では間に合わないと思い、慌てて近所の宅配センターへ駆け込みました。最近の宅急便は早く、関西からでも「13日の午前中には届きますよ」と聞き、安心しました。

  1月21日口述試問当日、関西では雪は降っていませんでしたが、関東が大雪のため飛行機は延着しました。まるで紙吹雪のような大きな雪が深々と降り続ける中、「こんな東京の大雪の日に口述試問を受けるなんて、生涯忘れられないだろうなぁ〜」と思いながら、足をツルツルと滑らせ口述試問会場に向かいました。口述試問では、いろいろな質問や指導がありましたが、無事終えることが出来ました。

  最終提出は2月13日郵送必着ということだったので、口述試問からしばらく期間がありました。以前に国際情報の近藤先生より、「修士論文が完成すれば、しばらく論文を寝かせてから、もう一度論文を読んでみると、それまで気づかなかった誤字・脱字などがよく見えてくるよ」と教えて頂いていたので、私はしばらく修士論文に目を通すことはありませんでした。2月10日、私は久しぶりに修士論文を読むと、自分が書いた修士論文だというのに、新鮮な気持ちで読むことが出来ました。すると今まで気が付かなかった誤字・脱字や文章の不足しているところがわかりました。最終修正を終えて、2月12日に再び宅配センターから郵送しました。翌日13日には大学院事務課より「正本提出確認」のメールが届きました。

2年間を振り返り
  私にとって大学院での生活は、とても楽しく充実したものでした。私が住んでいる兵庫県宝塚市から本学の埼玉県所沢市までは、かなり「遠い距離」があります。しかし、私にはこの「遠い距離」が全く苦にはなりませんでした。むしろ、まるで御近所の大学院に通学するかのような感覚さえありました。私にこの「遠い距離」を「近い距離」に変えてくれたのは、「佐々木ゼミ」だと思っています。ゼミでは私の考えに対して、熱心に指導して下さる佐々木先生や、自分の問題のように一緒に考えてくれる友人たちがいます。また、友人たちの発表や懇親会の語らいの中から、私は多くの事を学ばせて頂きました。そんなゼミに行くことが、私はとても楽しみでした。私はこれからも「佐々木ゼミ」で育てて頂いた「ものの考え方」を大切にし、哲学の語源である古代ギリシア語「philosophia(知を愛する)」を続けていきたいと思います。
 最後になりましたが、適切な御指導と温かい激励の言葉を頂きました佐々木先生、近藤先生をはじめ諸先生方、佐々木ゼミの皆さん、GSSC関西の皆さんへ、心から深く感謝を申し上げます。

 

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