「理科の教員、文科の学徒となる」

文化情報専攻 山本勝久  

真夜中は別の顔
  私はふだん大学受験生に生物を教えている。かつては小中学生から社会人まで受験指導をしていたこともあるが、今はもっぱら高校生である。当然のごとく理科系の人間と思われていて、同僚と話をしていて大学院のことが話題にのぼったとき「研究のテーマは?」と聞かれたので「芭蕉と杜甫」と答えると、彼は「芭蕉は日本各地を歩きましたからねえ」といった。どうやら彼は「芭蕉と徒歩」と勘違いしたらしい。まあ、そのほうが生物の先生らしいかもしれない。こちらはまったくの理科系人間というわけではない。大学は教育学部の情報教育コースという中途半端な学科の出身であり、学生時代以来手ばなさなかったのはパソコンではなく『福田恆存全集』の方である。いずれにせよ昼間「DNAの二重らせん構造」だの「血液凝固のしくみ」だのを講じ、深夜『校本芭蕉全集』や『和刻本漢詩集成』等を開く日々と相なった。シドニィ・シェルダンの小説ではないが「真夜中は別の顔」である。
 
資料集めと論文書き
  論文の資料集めは楽しい。資料読みはチト苦しい。論文書きは苦行である。世の中には苦もなく文章をものする人がいて、たとえばG.K.チェスタトンなどはお金がなくなると、ワインとロールパンを持って人気シリーズ「ブラウン神父もの」の短編小説を一気に書き上げたそうである。もちろん私にこんな芸当ができるわけもなく論文書きには苦心惨憺した。それにくらべて資料をさがすのは楽しい。ゼミや学会出席のため上京すれば必ず神田神保町の書店街へ足を運んだ。この界隈のうれしいところは、書店のみならず飲食店も昔のまま頑張っている店があることである。すずらん通りの洋食屋のカツカレーは学生時代のままだし、白山通りの喫茶店は今もワイシャツに蝶ネクタイのウェイターが給仕してくれる。これもまた資料集めの楽しみのひとつであった。しかし、好事魔多しというか、調子に乗って大失敗。昨年のクリスマスに入手した『エリオット全集』がずいぶんおもしろく、 これはぜひ論文に取り入れねばと実行に移すも、重大な箇所での誤読を先生から指摘され大幅に書き直すコトに。論文書きは苦行である。しかし、部分的に書き直すのはもっと苦しい。いっそのことはじめから書き直すことも考えたが提出期限一週間前とあってはそれも無理。いっこうにはかどらぬ論文を尻目に日数だけはすぎていく。布団に入ることもなく仮眠をとっていると、崩れ落ちてきた本の下敷きになって死ぬ夢を見る。もはや寝ている場合ではないと意を決し、二日間徹夜して修論副本提出期限日の昼頃仕上げる。周囲の目を気にしつつ新幹線車中で製本作業。パソコンの前にすわりつづけて具合の悪くなったひざをカクカクさせながら所沢の大学院にたどり着いたときには日が暮れていた。
 
吹雪の秋葉原
  私は一見したところパソコン好きに見えるらしい。そんな人相があるのか疑問に思うが「趣味はパソコンですか」と聞かれたことが一再ならずある。「能が趣味です」と答えると相手はなるほどそれでわかったという顔をする。これまた不思議なはなしではある。コンピュータは大学のときにはじめて手に触れた。その同じ頃、上田邦義先生率いる能シェイクスピアグループの一員であったので、コンピュータも能も同じ時期に出会ったことになるが、機械モノは性にあわなかった。それゆえ秋葉原にも縁がなかったのであるが、修論審査の日にたまたま顔をあわせた同じゼミの院生4人、『電車男』さながらにメイド・カフェで打ち上げをしようということになり、吹雪のなかを秋葉原へむかった。「13番の番号札をお持ちのご主人様、お嬢さまぁ」との声に、「その日本語おかしくないか?」と思いつつ「こっち、こっち」とタレントの乙葉似のメイド(職種上はウェイトレスであろうが)を呼び寄せる。アイボリーとピンクの二種類のメイド服があるのを疑問に思い質問すると、スタッフの数が増えて制服がたりなくなったので新人のコにはピンクのものを着せているとのお答え。繁盛しているらしい。森永卓郎先生のいうように「萌え経済」が消費の牽引車となるのであろか。もっともこちらとしては景気回復よりも論文審査のパスに一息ついているところである。思えばこの二年間はひどく忙しかった。十年後に同じことをやれといわれても無理かもしれない。しかし、振り返れば楽しいことの方が多かったのもまた事実である。年齢も職種も居住地も違う四人がこうして集まって話しをしていることも不思議な縁である。大学院に入らなければありえなかったであろう。駅で皆とわかれたときはその場から立ち去りがたい気分であった。

 

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