「感謝の気持ちを忘れずに」

文化情報専攻 毛利 雅子 

はじめに
  長かったような短かったような2年間も、もうすぐ終わる時が来る。大学院進学を考えてからも含めると約3年間、やはり短かったと言うほうが正しいかもしれない。
  怒涛のような女子学生(!)生活を終えるにあたり、自分の中での一区切りとして修士論文奮戦記(いや、戦闘記かも?)を記しておくこととした。

1.学業と仕事のバランス
  この大学院に入学していらっしゃる方は、ほぼ大半の方が職業人であると思われるが、私もその中の1人である。そういう意味では、仕事が多忙であることが学業の遅れの言い訳にはならないが、現実は想像以上に過酷なものだった。
 2005年3月から9月まで愛知県で開催された「愛・地球博」の期間、仕事に忙殺されることはあらかじめわかっていたが、敢えて私は2004年に入学した。つまり万博期間中は修士2年生で、修士論文を書かなければならない時期だったのである。しかしそれでも入学を決意したのは、「思い立ったが吉日」で決めた以上はすぐに勉強を始めたかったのと、修論も万博終了後に集中してやれば何とかなるのではないかという甘い見込みからであった。
  だが、現実はやはり厳しかった。万博だけでなく他の仕事も含め、「千手観音くらい手が欲しい! メデゥーサみたくヘビの頭でもいいから余分に欲しい!」という状況になり、学業は全くと言っていいほど捗らなかった。また仕事上、土日も関係ない状況になり、1ヶ月間全く無休ということもあったりして、実は丸々何もできなかった時期が多々あったことも事実である。
 しかし、いつもハンドバッグの中に資料やテキストを入れて持ち歩き、移動時間に1ページでもいいから読もうという気持ちだけは維持していた(とはいうものの、実際は電車で爆睡しているところを随分と学生に目撃され、かなり恥ずかしい思いをしたのも事実である) 。

2.テーマ決定と資料収集
  ただ、そんな私でも救われたのには理由がある。まず1つには、修論テーマは入学時からはっきりと決まっていたので迷いがなかったこと、もう1つの理由としては、テーマが決まっていたので1年次から資料収集を始め、早い段階である程度の先行文献が見つかっていたことである。物理的な意味での図書館、書店を始め、バーチャルライブラリーもいろいろと検索したが、数をこなすことで背表紙や概要を見た段階で、それが自分の必要としているものかどうかが、すぐに判断できるようになってくる。これは仕事柄、常にいろいろな分野の文献を見なければいけないところから訓練されてきた賜物だと思うが、そのおかげで資料収集だけは苦労せずに済んだような気がする。
  とはいえ、資料収集は早い段階から始めるに越したことはない。思いがけない文献が出てくることもあれば、思ったように見つからない時もある。また図書館から借りるとなると時間的制約も考慮しなければならないので、資料収集は早め早めが肝心と実感した。

3.パソコンの使い方

  しかし、いくら資料が集まっても入力して実際の論文に仕上げなければ意味がない。そこで私が実施したのは、まず簡単に目次を決めて書式設定することであった。あらかじめ目次を決めておき、何か気づいた時にその項目に引用などを入力しておけば、あとでいくらでもコピー&ペーストが出来るからである。また最初から目次などの書式設定をしておけば、最後に目次を作成する時も苦労せずに済むことがわかっていたので、とにかくラフでもいいから、と目次を決めて書式だけはきちんと設定した。
 もう1つ必ずやっていたことは、資料を見ていて気づいたこと、また引用できそうな部分については、即座にその場で入力することであった。またあとで……などと言っていては、一体いつになったら出来るかわからない。「気づいた時にアクションを起こす!」ということだけは自分に課していた。
 実際、これが私の場合は非常に役に立った。10月の中間発表までに引用するテキスト(原文)の入力を済ませたため、その後は自分の論点を展開することに主力を注ぐことが出来たからである。そんなことは当然……と思われる方もいらっしゃるかもしれないが、実は入力作業というのは意外に時間のかかるものである。データエントリーのスピードでは今まで人に負けたことがない(人材派遣会社ではいつもスピード記録を更新していた)私でも、修論作成にはかなり時間を費やした。もちろんここには考える時間は含まれていない。単純な作業時間に恐ろしく時間がかかったのである。よって、文献は読みながらインプットしながら、という並行作業で進めることとなった。
  その他パソコンの使い方としては、データ保存に気をつけていた。というのも、ハードディスクに入れておいてパソコンが使用できなくなった場合、お先真っ暗だからである。そのためハードディスクに入れると共に、外部メディア(私の場合はUSBとコンパクトフラッシュの2種類)を使って、常に保存していた。さらに几帳面な(?)O型の私は、アップデートしたものをプリントアウトするまではその前に出力したものを保存しておいた。外部メディアで十分ではないかと思われるかもしれないが、そこはやはり何が起きるかわからない。電子データは一瞬にして消え去る可能性がある。そういう最悪のケースを想定して、スキャナーで読み込めるようにハードコピーも必ず1部は手元においておくこととした。
  もう1つ気をつけていたことは、ディスククリーンアップとデフラグである。ネットでいろいろ検索をしていると、いつの間にかディスクに不要な情報が溜まっていたりする。またクッキーにも不要なものが溜まっていたりするので、時々ディスククリーンアップをしてハードディスクのお掃除を心がけた。またデフラグもたまに行い、マシンランがスムーズになるようにも気をつけていた。
 
4.生みの苦しみ
  と、ここまでなら、非常にスムーズに事が運んだように見える。しかしそれは大きな誤解であって、ここから先が本当に苦しかった。
  中間発表でいろいろご指導・ご指摘を頂いてから、いよいよ追い込みという時に大スランプに陥ったのである。中間発表が終わったことで気が抜けてしまったこと、また発表直前に追い込みをかけたため、そこで一瞬バーンアウトしてしまったのである。それからはなかなか論理がまとまらず、パソコンを開いても1行も書き進められないという日々がずっと続いた。また秋のハイシーズンで仕事が再びピークとなったため、時間に追われ全く進まない事態に陥ってしまったのである。
 気持ちは焦るが、頭がついてこない……。日々、本当に焦るばかりだったが、こればかりはどうしようもなく、結局、何でもいいから1日1文字でも……という気持ちに切り替え、本当にカメの歩み状態でしばらく過ごしていた。
 とはいえ、時間は確実に過ぎていく。焦る気持ちとは裏腹に、いくら画面とにらめっこしていてもなかなか先には進まない。正直この時ばかりは、「3月修了は難しいかも……?」とか「半年延期した方がいいのではないだろうか……?」など、いろいろと弱気なことばかりが頭をよぎった。10月までの勢いはどこへやら、ほとほと途方にくれてしまった。
 こうしたスランプから脱出できないまま、あっという間に12月を迎えた。街はクリスマスイルミネーションで華やいでいたが、精神的にはそれを楽しむ余裕は全くなく、この頃が一番悪循環に陥っていた時期でもあった。さらに誕生日が12月の私にとって年末は例年ならイベントシーズンなのだが、修論を目の前にしてそれを楽しむ余裕もなくなっていた。が、そんな私を友人が救ってくれた。「そんなに根詰めてやっていても、行き詰まってしまい効率が悪いだけでは?」と誘い出してくれたのである。「どうしよう……? 1分でも惜しい時期なのに……でもいくら画面を見つめていても、少しも進まない……」と自分の中で逡巡していたが、いっそのこと全てを忘れたら気持ちも切り替わって、何かが生まれてくるかもしれない、と思い切って出かけることにした(ご指導頂きました先生方、ごめんなさい。年末はかなり飲んでいました……汗)。
  結局、これが好転するきっかけになった。久しぶりにリフレッシュしたおかげで、頭の中のモヤモヤがすっきりした。それからは、秋の大スランプが何だったのかというくらい、快調に進めることが出来たのである。
  こうして、私は何とか修論提出日にこぎつけることが出来た。とはいえ、これで全てが終わったわけではない。口頭試問、さらには正本提出とまだまだ山は続いたが、やはり副本提出までが一番苦しかったと感じている。
 
5.最後に
  こうして、今は修論奮戦記をしたためることが出来る環境となった。が、ここに至るまでには本当に多くの方々にお世話になったことを忘れてはならないと思う。自分1人だけの力で成し得た修士論文ではないのである。
  ご指導頂いた先生方はもちろんのこと、家族、友人、仕事仲間など、周囲の協力がなければこの2年間は成り立たなかった。多くの方々に支えられた2年間は、私にとっては大きな実りある時間ともなった。また、修士論文を提出したことが、こういった皆さんへの謝辞になるかと思う。しかしそれ以上に、自分を支えてくれた方々への感謝の気持ちを忘れてはならないと思う。
  ここに改めて皆様に感謝を申し上げることで、奮戦記を締めくくりたい。


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