「FORWARD」

文化情報専攻 ニコル美里  

はじめに
 二年間は早かった。修士論文は楽しかった。大学院生活は決して楽ではなかったけれど。思い返せば入学式から冠婚葬祭と重なってやむなく欠席、と思ったら、中間発表も論文提出期間までも、まるで合わせたかのように身内の結婚式が重り海外へ出ねばならなかった。月々のゼミに参加したくてもベビーシッターを見つけなければ家を空けられない。週末忙しい家族に無理をして頼み込んだこともあった。それでも月々のゼミのほとんどを欠席する結果になってしまった。ゼミを断るたびに「こんなはずじゃなかった」と無力感に苛まれた。昼間している仕事にも波があって、リポート提出や合宿が迫るときまって忙しくなるように感じた。最初に白状するが、私は模範的院生ではなかった。

ハンディ
  幼子を抱える母親は家族の協力と時間の工夫なしに研究の継続は不可能だ。しかし何をするにせよ、傍らで笑いかけるこどもの笑顔を見逃すほど価値のあるものがこの世にあるのだろうか。とにかく一度決めたことだ、やれる範囲で精一杯やるしかない。早起きして午前中に仕事を片付け、午後はこどもを目一杯遊ばせ(出来るだけ体力の消耗する外遊びが良い)、夜は八時にさっさと寝かしつけ、その後に私の学習時間を確保する。確かそういう予定であったが、日中目一杯こどもと遊ぶと先に眠り込むのはいつも私であった。幼子を抱える母親は何でも予定通りに物事が進まないことには慣れている。真夜中にボーっと起きてきてコンピュータへ向かう私はきっと論文への執念にとりつかれた亡霊のように夫の目に映ったことだろう。
  しかし、通信制大学院へ通う生徒は皆忙しい。ハンディは私だけが抱えていることじゃない。皆そうやって頑張っているのだ。思い返せば二年間、数は少なかったが合宿やゼミ参加のため朝一番の新幹線に乗り込む私を、早起きして見送ってくれたこどもたちや、仕事を休んでベビーシッターを受けてくれた家族や、コンピュータに向かう亡霊にそっとコーヒーを入れてくれた夫のことを思うたび、萎えそうになる気持ちを奮い立たせ、良い論文をかこうという思いを強く持ち続けてきた。恩返しはそれしかない。今思えば、ハンディに思えた色々なことは、実際ハンディではなかった。

ゼミ
  ゼミに満足に出席できないことを引け目に感じながら、それでも合宿には3回参加できた。これは本当に良かった。S先輩の発表を最初に聞いたのはサイバーゼミだったと記憶しているが、とても面白かった。感動と共感がともなったからだ。私も発表するなら、聞いている人が「おもしろい」と興味を持って聞いてくれるような発表がしたくなった。せっかく参加している皆様に、眠りをお誘いするようなものでは申し訳ない。発表のためせっせと原稿を書き、自分の言っていることを皆に納得してもらうために資料集めにも力を入れたが、実際それ以上に自分の研究の幅を広げてくれたのは、発表後に頂いた皆からの質問やコメント、アイデア、励ましや反応であった。論文を書く上で是非、ゼミを前向きに上手く利用することをお勧めする。自分の気づきや、それがどの辺りに位置づくのかを確認する良いチャンスになることは間違いない。

課題
  修士論文の中で論を展開する上で、大いに役立ったのが履修科目の課題に取り組むことであった。履修科目の登録は、自分の興味の向くままに登録した。「なんでこんなばらばらな領域なの?」という同期生からのコメントも頂いたが、それで良いのだ。論文を書き上げてみたら、論文のテーマを通して全ての科目がつながった。自分で開けた箱の中から何を取り出すかは自分次第なのだ。それから諸先輩方の助言のとおり、履修登録は最初の年に頑張って一つでも多く履修することがお勧めだ。二年になったとき論文に集中できる。ただ、私の場合、論文と同時進行で進めたリポートが、論文を書くのにとても役に立ったのは事実だ。むしろ同時進行だったから書けた部分もある。リポートのアイデアを論文に取り入れたり、論展開のヒントを見つけることがままあった。二つ以上のことを同時進行でするという技は主婦にとっては特別なことではない。時には三つも四つも同時進行だ。料理をしながらこどもの宿題を見て、パンを焼きながら掃除と洗濯をして、夫の話を聞きながらウトウト眠り――相変わらず魚は焦げるし、朝洗った洗濯物が夜まで洗濯機に入っているし、夫の言ったことを全然覚えてなかったりするけれど、とにかくそうやって毎日鍛えていることが、論文と課題の同時進行に役に立ったのかもしれない。論文もリポート課題も家事も仕事も育児も全部ひっくるめて、それらをどうやって上手く両立させて完成させるか、それが主婦としての私の本当の課題なのだ。

テーマ
 論文にしても何にしても、書くということは、心の中に問題意識がないと難しい。常に問題と向き合って解決しよう、解決できなくてもせめて自分なりの答えを出そうと努力する過程が私の論展開で、その記録が結果として修論になった。答えを出したい色々な問題をいつも抱えている、という意味では、私は非常にラッキーであった。少なくとも子育てや結婚生活を通して私は毎日頭を抱え込むような色々な問題に直面せざるを得ない。次から次へと現れる問題には終わりというものがない(誤解を避けるためにあえて補足させてもらうが、私が論文で扱ったのは、決して不倫や浮気や幼児虐待や離婚問題ではない)。私の研究対象は児童文学が中心になるが、そこには私の求めるテーマが織り込まれていて、なおかつその探求の動機にも方向性にも同じものを見て共感するからである。自分の抱える問題意識と強く結びつき、またそれを解決しようという強い動機に下支えされたテーマは論文を書く上で最も大切なものの一つであると考える。

御礼
  最後に私の指導教授に、こんな私の立場にいつも理解を示して頂き、さらに伸び伸びと自由に研究を続ける環境を与えて下さり、辛抱強く見守り続けて頂いたことに心から感謝申し上げたい。一生徒として、希望した指導教授から直接指導が受けられることは本当に幸運なことである。今見えているテーマに取り組むのにはもう少し時間がいるので、相応しい時がきたらその時はまた先生のドアをノックしたいと思う。

 

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