「皆さんの協力で完成した論文」

国際情報専攻 加藤 坦弘  

 私はサラリーマンを定年になってから日大の通信制大学で歴史学を学び、その延長として当大学院で勉強させていただいた。思えば「ウン十年前」の高校時代には、「大学院」で学べるなどということは夢にも思わなかった。それが修士論文を書き終えた今、これで大学院を修了できるのかと思うと「夢ではないか」と思えるほど嬉しさが込み上げてくる。
  しかし、論文を書き上げるまでの道のりは苦難の連続であった。まず入学できるかどうかが問題であった。英語はまるっきり駄目、論文も即席で作ることが困難、論文テーマも決まってないという有様であった。そこで日大通信教育部校友会の事務長をなさっている石大三郎先生(当大学院一期生)に相談したところ「入学するなら国際情報を専攻し『荘光ゼミ』に所属することになるだろう」ということであった。
  それなら修士論文は中国関係の問題をテーマにしようと決めた。そして中国関係なら、子供の頃から疑問に感じていた「戦争がなぜ起こったのか」という問題をこの機会に考えてみようと思った。それで私は論文テーマを「満州事変についての一考察」として登録した。しかし、石先生からは「テーマが大きすぎる、もっと絞り込め」とのアドバイスがあり、その後、テーマを「満州事変の問題点についての一考察」と変更した。この時点では、近現代史の知識がまったくなかったので、うまく論述できるかどうか非常に心配であった。何しろ満州にいる日本の軍隊をなぜ「関東軍」というのかも知らなかったのだから無理もなかった。
 
  一年目は五科目のリポート提出にほとんどの精力を傾注した。与えられた教材は講義概要を見ながら少なくとも五回は読み返した。多いものでは十回ぐらい読んだ。それでも論点がつかめないものもあった。時々「学術論文は読む人に分からないように書くものなのか」と恨めしい気持ちになることもあった。それでも何とか五科目のリポートを提出することが出来た。
  修士論文のことも気になっていたので、一年目はリポートの作成と並行して論文テーマに関係しそうな文献の収集作業を行った。収集作業といっても詳しく読む余裕はなかったので、図書館で論文テーマに関係しそうな参考文献にざっと目を通し、忘れないように本の題名と目次をコピーした。また、ゼミなどで都心に行ったときは、関係書籍を出来るだけ購入し、一通り読むようにした。おかげでかなりの資料が手元に集まった。
  リポート提出に目途がついた十二月頃から本格的に論文の作成準備に取り掛かった。最初に行ったのは参考文献の読み込みであった。図書館で題名と目次をコピーしておいた本をもう一度図書館へ行って読み、重要と思われるところはコピーをするようにした。ところが、すべての箇所が重要と思えてしまい、結局すべてをコピーする破目になることもしばしばあった。
 
  こうして満州事変の全体像がつかめた段階で論文のストーリー作りに取り掛かった。ストーリーは、「まえがき」のところで問題提起、第一章、第二章で事実関係、第三章、第四章で考え方を述べるという構想で目次をつくり、二月の「荘光ゼミ」に提出した。荘光ゼミでは荘光教授、石ゼミ長から「まあ、いいだろう」というお言葉と、「特に第三章と第四章がいちばん重要な部分だから、ここで自分の考えを明確に述べるように」とのアドバイスを受け、一先ずホット胸をなでおろしたのを今でもはっきりと脳裏に焼きついている。
 
  私は近藤ゼミと荘光ゼミという二つのゼミに所属させていただき、大変恵まれた環境で論文を書き進めることができた。近藤ゼミでは、同期のゼミ生九名によるパソコンを使った「サイバーゼミ」が毎月一回行われた。私はこのゼミで同期の人たちから鋭い質問を受け、これによって自分では気づかなかった問題点を論文に反映することができた。サイバーゼミは顔が見えないという欠点があるが、何回かやっているうちにだんだん親しみがわき、いつしか同級生として気楽に話が出来るようになった。これは大きな収穫であった。
  また荘光ゼミは先生陣に恵まれていた。ゼミ生がたった二人(後から三人になった)なのに先生方は近藤教授、荘光教授という二人の教授のほかに、石ゼミ長、後期博士課程の山本さん、五期生の齋藤さんの五名の方が毎月のゼミに参加され、論文の進捗を温かく見守ってくださった。時には「食い足りない」「長すぎる」などの指摘を受け、翌月のゼミに変更したものを再提出して、また講評を受けるという作業を繰り返した。特に第三章、第四章になると歴史観が微妙に絡んでくるので、その指摘は一段と鋭くなった。一時はどう書けばよいのかまったく分からなくなり、パソコンの前で一日中悩んだこともあった。
  それで思ったのは「自分の論点は変えないほうが良い」ということであった。論点というのは、「この論文でなにを訴えたいか」という自分なりの考え方・主張の着眼点であり、これが変わると全体の構成そのものが変わってしまうことになる。それだけに「まえがき」は重要だと感じた。論文を着手するにあたっては、まず「まえがき」と「目次」に時間をかけ、十分にすり合わせてから本論の叙述に入るべきだった。これが私の反省点である。
 
  今考えると、この二年間は山登りと同じだった。重い荷物を背負ってヒーヒー言いながら山を登っている、そんな感じだった。今は頂上にたどり着いた爽快感を味わっている。どれもこれも皆さんのお陰と感謝している。特に私のようなものを快く大学院に受け入れてくださり、温かくご指導くださった近藤教授、荘光教授に心よりお礼申し上げます。
  また荘光ゼミを取り纏めてくださった石先生にはことのほかお世話になった。石先生は私たち二名のゼミ生を弟や妹を労わるように見てくださった。最後には誤字・脱字まで確認していただいた。私は石先生に出会わなければ、大学院に入学することも、修了することも恐らくできなかったであろうと思う。それを思うと私は石先生に出会えたことが、私の人生で最高の幸運だったと思っている。本当にありがとうございました。
  これで大学院は一応終わるのかもしれない。しかし、私は修士論文に取り組んできて、また新たな疑問が湧いてきた。私は近現代史を理解しようとして修士論文に取り組んだつもりであったが、逆にわからないことが多くなったというのが現状である。修士論文では一応結論らしきものを導き出しておいたが、すべてにわたって納得しているわけではない。「なぜそうなったのか」という視点で見ると、まだまだ分からないことが多い。今回のテーマについては、これからもさらにいろいろな視点から研究を深めようと思っている。

 

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